ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

山本健吉「俳句とは何か」を読む

 

 俳句を始めて2年が経過した。2年経過したが、今も俳句がよくわかっていない。2年間句会に参加して、これは良い句だというのが昔よりはわかるようになったと思う。良い俳句と悪い俳句の違いが少しわかるようになったと思う。しかし、自分で皆さんから褒めていただける良い俳句を作ることは今もできない。愚作の山を今も築いているだけである。

 そういう中、句友が山本健吉さんの「俳句とは何か」を勧めてくれたので読んだ。俳句初心者の私にとって、内容レベルが高過ぎるきらいがあったが、参考になった。その中から、写生について書かれていた部分を引用する。

づかづかと来て踊り子にささやける 素十(すじゅう)
この句は作者が外遊中の作と言う。してみると、ここに描き出されたものが、どんな踊場情景であるか、外遊したことのない私には、小説・絵画・映画、または外遊者の土産話を手がかりに空想してみるより外ないわけだ。だが、この句から感銘を受け取るに我々は何も作者が外遊中の作であるという知識を必要としないし、そのような知識の有無によって、この句から受ける感銘が左右されることもない。この句は十七音以上でもなければ以下でもない。勝負は、作者がここに提出した言葉の含む意味・音律の範囲内で決まっている。
 私はこの句から日本の盆踊り風景を脳裏に描き出す。そしてそれは、作者がこの句の感動を引き出したある現実の風景とまるで違っていることも明らかである。だが事実の背景を捨象してしまえば、ある人間の動きの一瞬、ある場の空気の動揺の一瞬を捕えた作者の感動は、その確かなデッサンによって狂いなく、我々に伝わってくるのだ。さらにまた、作者自身が外国の踊り場の一風景から、日本の盆踊り風景の1コマを導き出していることもここに付け加えておこう。「踊」といい「踊子」という季語として十七音の中に投げ入れしている以上、作者はそのようなものとして、受け取られることを既に予期しているのだ。これが俳句における移調(トランスポジション)である。作者は、最も忠実な写生の徒として1つの仮構の世界を創り出すのである。
 だが、ここに描き出された盆踊り風景の一齣は、現実におけるあれこれの盆踊り風景ではないのである。この17音の世界においてのみ存在する風景である。すなわちそれは、この現実世界とは次元を異にする完全な小宇宙である。同時にその世界は、あくまでも外界に対する作者の知覚によって支えられている。仮構とは自分が体験しない現実の想像力によって描き出すことではない。自分の体験の支えによって非現実の完結した世界を描き出すことだ。写生とは自分が体験した生の事実を描き出すことではない。むしろなまの事実の拒否の上になり立つものだ。
 そのことを芸術の方法として、最も意識した俳人は芭蕉である。「ほととぎす宿かるころの藤の花」が「草臥(くたび)れて宿かる頃や藤の花」となって、初夏の句は晩春の句に転ずる。「雪薄し白魚白きこと一寸」が「曙や白魚白きこと一寸」となって、冬の句が早春の句に移される。ある人はここに芭蕉の狡猾な作為を見ようとする。だが同じ場所に、私は芭蕉が見事に成就した移調の世界を見るのだ。現実は断片であり、作品は完結した世界である。同じ素十の作品でも、「煙草苗育つともなく葉を重ね」の如きは、細かいところを見つけたというだけのトリビアリズム(本質を離れてつまらぬことにこだわる瑣末主義)に堕(くず)した作品で、現実の断片がそのまま作品の断片として現れ、そこでは移調が実現されているとは言えない。私は写生を芸術の方法における自明の前提として重視する。だが、だからこそ移調の実現が意志されていないただの写生には我慢がならないのである。
 人々にとって現実が抵抗として現れる以上、写生とは抵抗への忍耐として、意志の強さとして現れるはずのものである。それが技術である。子規が説いた写生説の言外に、私は意志の訓練の教えを読み取るのである。だが花鳥諷詠の標語には、そのかんじんの教えが素抜きにされている。そこには見えるものを見、触れるものに触れることで足れりとするきわめて受動的な姿勢がある。三好達治氏の言う疎懶風流である。これまで見えていた事は少しも本当に見ていたことではなかったという自覚、本当に見えるためには積極的に見ようとしなければならぬのだという意志が、子規の写生論を裏付けているとすれば、現代の写生俳句は、そのような自覚と意志とを喪失して、思想のない風景画をやたらに作り出しているように思われてならない。
(中略)
言わば創作の1つの安易な手段として、写生が考えられているのです。物干し竿を見ていたら1匹の蝶が飛んできた。そこで1句ができると言う具合であります。これを手帳俳句といいます。「それは事実だった」ーそれが手帳俳句の支えであります。
 だが、作品はあくまでも1つの完結した世界であって、偶然経験した事実の断片が言葉の上に移されただけでは、やはり断片は断片で、それだけでは完結性は与えられていないのです。客観的世界はもっと抵抗のある、もっと忍耐を持って対しなければならない、強い意志を持って奪取しなければならない1つの対象であります。
(中略)」
客観世界を尊重するという事は、感動を通して「物」を掴むということであります。我々がまず発見しなければならないのは、対象そのものでなく、我々の感動でありますと書かれていた。

俳句は物や風景を観察して、そのありさまを絵のように17文字の中に写し取る文芸だとも言われ、このような俳句の作り方を「写生俳句」と理解していた。写生俳句の言葉を聞いたとき、なるほどと思って理解したような気になっていたが、私は思想のない風景画である手帳俳句ばかり詠んでいたようだ。山本健吉さんは写生について、まず発見しなければならないのは対象物ではなく、感動であると語っていた。山本健吉さんのこの言葉を決して忘れないようにしなければと思った。