雑誌を読んでいたら、「何のための美術館か!文科省が国立美術館・博物館の自己収入額に数値目標を設定」というタイトルの記事を見つけた。そこには次のように書かれていた。
「文部科学省が5年ごとに策定する国立美術館や国立博物館などを運営する独立行政法人の今期の中期目標に、展示事業の数値目標が導入された。自己収入額の割合を、2030年度までに65%、2035年度までには100% とし、40%に達しない場合は、再編の対象としている。財政難のおりとはいえ、国立館でなぜこの事態か?その影響は?」と書かれていた。
その記事の中で、足利市学芸員の江尻潔氏は次のように述べていた。
「文化庁は、国立館を運営する独立行政法人の展示事業の費用に対して収入額の割合を100%にする方針を立てた。そもそも、公共の福祉に利するのが国公立館の使命である。これでは納税者に負担を陥ることとなり、自ら使命を放擲していると考えざるを得ない。美術作品や資料は公共の財産であり、博物館法では、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならないとしている。対価の徴収が許されるのは、維持運営のためにやむを得ない事情のある場合である。本当に費用に対して、収入額の割合を100%にするやむを得ない事情があるのか。あるとすれば、説明する義務がある。東京国立博物館が創設されて150余年、ついにこの国には美術館・博物館が根付かなかったのかという思いを禁じえない。
さらに、文化庁は、自己収入額の割合が4割を下回っているなど社会的に求められている役割を十分に果たせていないと考えられる館については、再編の対象とすることも示した。なぜ自己収入額の割合が4割を下回ると社会的に求められている役割を十分に果たしていないことになるのか、社会的に求められている役割とは何なのか、入館者数が多く、採算が取れれば、役割を果たしたことになるのだろうか。確かに入会者と収益が多いに越した事は無い。しかしこの尺度のみで展覧会の良し悪しを囲ろうとすると、大きな陥穽に陥る。(中略)
美術館・博物館の「社会的に求められている役割」とは良質の芸術体験や知的体験を大衆にもたらすことである。それにはただ展示しただけでは無理だ。美術館・博物館は作品や資料と大衆の仲取りもち役としてその本質的な価値を伝えなくてはならない。それには「問い」が大事だ。なぜこのような作品が生まれたのか、作品により何がわかるのかといったものだが、深く追求すれば人間とは何か、生きるとは何かと言う本源的な問いに逢着する。
展覧会は体験であり、そうした問題を自身のこととして考え共有することが肝要だ。どんなに昔に作られたものでもこちらの「問い」に答えてくれる作品がある。観る者の内面に息づき魂の一部となる作品だ。それは観ることによる創造である。そのような作品が名作として後世に伝えられる。
大衆の芸術に対する感性は決してメディアによって作られるものではない。展覧会を始めとする様々な芸術体験により形成されるのだ。だから美術館・博物館は大衆に対して大きな責任がある。これこそ「美術館・博物館の社会的に求められている役割」である。入館者数より質の問題なのだ。良質の展覧会は観る者の魂を賦活してやまない。
今や質の問題がないかしろにされている。図ることのできない質よりも目に見える人数や収入に意識が向かっている。繰り返しになるか、このままだと本質を見失ってしまう」とあった。
私は、江尻潔氏の意見に賛成である。日本の美術館・博物館が利益を上げないと存在できないということになれば、一般大衆好みの親しみやすさ、かわいらしさに当てはまるものしか展示会は成功しないだろう。果たしてそれで美術館・博物館の役割を果たすことができるのか疑問である。
今、日本には多くの外国人の方が訪れている。多くの外国人は日本独自の文化・芸術に接して感動したと語っている。私たちは外国の人に高く評価される日本独自の文化・芸術をこれからも大切に守っていかねばならない。そしてその日本独自の文化・芸術を守り育ててきたのは美術館・博物館である。それを、儲けが少ない美術館・博物館は整理するとは、自分で自分の首を絞めていることと同様であると思う。日本が文化国家であり続けるために、軍事費を削減しても美術館・博物館の運営に力を注ぐべきと思う。