ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「ハドソン川の奇跡」を見る

ハドソン川の奇跡」は2009年ニューヨークで起きた飛行機事故を題材にした映画で、クリント・イーストウッドが監督を務めた映画である。 

2009年1月15日、ニューヨーク州ラガーディア空港からノースカロライナ州シャーロット空港へ約2時間のフライトを行う予定のUSエアウェイズ1549便(サレンバーグ機長)が飛び立った。離陸から95秒後、1549便は高度約900mで両方のエンジンに大型の鳥を吸い込むバードストライクによって両エンジン停止という異常事態に陥った。推力を失い、エンジン停止から墜落までのリミットは3~4分。速度と高度をできるだけ維持しながら、管制官のアドバイスに従い、出発地のラガーディア空港に戻るか、進行方向にあるテターボロ空港への着陸を検討するが、機長はどちらも無理だと判断。彼は充分な広さと長さのあるハドソン川への不時着水の決断をした。そしてエンジン停止から208秒後、見事着水を成功させ、乗員乗客155名全員の命を救った航空機事故を描いた映画である。

1度は出発地のラガーディア空港か、進行方向にあるテターボロ空港への着陸を目指したが、高度と速度が足りず、サレンバーグ機長はハドソン川への不時着水を決意した。高度が低くなるとレーダーから消えてしまうため、航空管制官は周囲の航空機に1549便の目視でのチェックを要請し、これに応えて2機の観光ヘリコプターのパイロットたちが1549便の姿を確認し、管制官に報告した。彼らの協力で管制官は1549便の状況を知ることができ、最後まで交信を続け、奇跡の着水成功へとつなげた。

ニューヨークの事故当時の気温はマイナス6度、水温は2度であった。寒さは厳しいが川が凍結していなかったことが幸いした。またハドソン川は川幅が1kmと広く、橋と橋の間隔が長いのも幸いした。もちろん機長の操縦技術の高さがあってのことであるが、これによって空港の滑走路に着陸するのと同じように着水することができた。さらに着水地点に船がいなかったことも幸運であった。

サレンバーグ機長の1549便は着水に成功したが、その後は沈みかけている飛行機から迅速に脱出する必要があった。客室乗務員の適切な避難誘導によって全ての乗客が客室から逃れ翼の上や、着水時には救助ボートにもなる脱出シュートの上に身を寄せ合って救助を待った。このときの気温は−6℃、体感温度は−20℃とまさに極寒で、早く救助しなければ凍死してしまう状況の中、たまたま付近を航行中だった通勤フェリーが、着水から4分20秒後に現場に到着し救助を開始した。さらに、水上タクシーや観光船、水上バス、そしてニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊が迅速な救助活動を展開して乗客乗員の救助にあたった。1549便は着水から約1時間後に水没したが、それまでに全員が無事に救助された。

ニューヨークという大都会の上空で起こった未曾有な航空機事故であり、一歩間違って市街地に墜落したら、乗客乗員の死亡にとどまらず、想像を絶する大惨事に繋がる恐れもあったし、また着水に失敗した場合、機体が真っ二つに破断する可能性もあったことから、この事故は「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サレンバーガー機長の冷静かつ適切な判断と操縦技術が高く賞賛され、一躍英雄として讃えられるようになった。しかし、当のサレンバーガー機長は、英雄視する周囲に対し「これは奇跡などではなく、常に緊急事態に備えて訓練していた結果だ。私は英雄などではない、当然のことをしたまでだ」と発言を繰り返した。

そういう中、事故原因を究明していた事故調査委員会は、機長のハンドソン川着水は判断ミスの恐れがあると発表した。つまり、事故調査委員会は、エンジン停止後208秒で空港着陸が可能か否かを、コンピュータシミュレーションによる検証を行った。その結果、いろんな条件を変えて17回シュミレーションを行ったところ、17回全て無事に空港に着陸できたと発表した。その発表を受けて、一転して、サレンバーグ機長はアクロバット飛行をして乗客を危険に晒した疑惑の人と見られるようになった。サレンバーグ機長は事故調査委員会のシミュレーションに疑問を持ち、公開の場でシミュレーションの調査報告を求めた。そこで、シミュレーションを見ながら自分が行った操縦と差異がないかを確認していった。しかし、シミュレーション操縦は自分が行った操縦と全く違うものであるという違和感を感じた。それは、シュミレーション操縦が両エンジン停止直後に、空港に戻る操縦をしていることである。シュミレーションはバードストライクと両エンジン停止という異常事態に対して、即座に解答を出して行動しているが、サレンバーグ機長は異常事態に直面して手順に従ってエンジン再起動措置を行い、続いてメーデーを発信し、管制官と交信し緊急着陸を要請し、初めて空港着陸行動に移った。それまでに要した35秒がシュミレーションにはない。その対応時間35秒がシュミレーションには抜け落ちている。サレンバーガー機長は35秒後のシュミレーション再検証をしてほしいと要求した。35秒の対応時間を考えたシュミレーションでは、すべて空港に着陸できず市街地墜落となった。事故調査委員会の疑惑も晴れて、最終的に事故調査委員会の委員の方が、「サレンバーグ機長、この事故で一人も犠牲者が出なかったのは、機長の英雄的な行為があったからである」と称賛した。サレンバーグ機長は「私は英雄ではない。やるべきことをやっただけである。この事故で一人も犠牲者が出なかったのは、副操縦士、客室乗務員、管制官、消防士、沿岸警備隊、フェリー、水上タクシー、この事故に関わった全ての人が最善をはたしてくれたから、一人も犠牲者を出さずに済んだんです。私は英雄ではない。やるべきことを全力でやっただけです」と答えていた。

この映画を見て、英雄の評価の上げ下げを描いた単なる娯楽映画かなと思ったが、クリント・イーストウッド監督はこの作品で、かつて、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが、その作品『ガリレイの生涯』の中で、ガリレオ・ガリレイに語らせた言葉「英雄のいない国が、不幸なのではない。英雄を必要とする国が、不幸なのだ」ということを言いたいのだと思った。良い映画を見せてもらった。