ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

8・18五島観光へ行く

仕事に追われ、毎日を慌ただしく過ごしている。69歳という年齢でも手伝って欲しいと言ってもらえることに感謝しなければいけないと思うし、働けることに、忙しいことに感謝しなければいけないとつくづく思う。そう言いながらも、小人だから一週間に一度の休みが嬉しい。週末から、今度の日曜日は何をしようかとあれこれ考えるのが楽しい。そして迎えた待望の日曜日、今日はまだ行ったことのない「明星院」と「堂崎教会」へ行くことにした。

 

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明星院橋と明星院

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明星院山門

五島市には文化庁が認定した日本遺産が3ヶ所あるが、明星院本堂はその一つである。明星院は大同元年(806)、弘法大師空海が唐からの帰路この寺に立ち寄り、翌朝、明け方の空に輝く明けの明星を瑞兆とし、明星院と名付けたという。以来この明星院は五島における真言宗の総本山であり、藩主五島家代々の祈願寺であった。現在の本堂は、安永7年(1778)に火災で焼失した本堂を再建したもので檜の芯柱20本を使用した五島最古の木造建築物である。

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秘仏 金銅薬師如来(国指定文化財)

この仏像は飛鳥後期の作と考えられ、薬師如来と伝えられる。その童子を思わせる仏顔には優しく慈悲あふれる清美な笑みをたたえている。現在は秘仏となっており、直接目にすることはできないが、遣唐使時代の最期の寄港地であったこの福江島に、同時代の仏像があることは歴史的意義が大きい。全国的に見ても同時代の仏像は極めて少なく、歴史的価値の高い文化財である。

寺務所の方にお聞きしたら、この秘仏薬師如来は50年に一度ご開帳が行われるということであった。「前回より今年は37年目に当たるので、次回はあと13年後です」と言われるので、私が「それまで生きているかな?」と申し上げたら、「頑張って長生きして下さい」と励まされた。

 

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本堂格子天井花鳥絵

本堂の格子天井には121枚の花鳥画が極彩色豊かに描かれている。これらの花鳥の絵は異国の花鳥と思われる絵も多く、狩野永徳の高弟で五島藩絵師である大坪玄能の筆で描かれている。

 

明星院に別れを告げ、今日のもう一つの目的地である堂崎教会へ行く。五島には世界文化遺産である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」があるが、

堂崎教会はその関連遺産ではない。

堂崎教会は禁教が撤廃された後、五島キリシタン復活の拠点になった教会である。まさに五島における小ヴァチカン的重責を果たしてきた教会である。キリスト信徒にとって堂崎教会は、長く厳しい弾圧を耐え抜いた五島キリシタン受難と勝利のシンボルであり記念碑でもある。

 

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堂崎教会

約300年という長きにわたったキリシタン弾圧時代、過酷な迫害に耐え、公に信仰を表せなかった信徒たちは、表向きは仏教徒を装いながら、内密裏には、キリスト信仰を守り続けてきた。

明治6年(1873)江戸時代以来続いてきたキリスト教禁教が撤廃されると、いち早くフランス人宣教師が来島し堂崎の浜辺で五島初のクリスマスミサが捧げられた。先祖代々、神父の来島を待ちこがれた信徒たちにとって最上の喜びの瞬間であった。

その後、この堂崎の地に五島で最初の教会堂が建設され、堂崎教会を拠点に五島での本格的な布教が始まっていった。

現在の天主堂は明治41年に建てられた五島最古の洋風建築物であり、遠くイタリアからも建築資材の一部が運び込まれたと言われている。赤レンガ、ゴシック様式はヨーロッパの典型的な教会スタイルである。

 

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マルマン神父とペルー神父と子供たち

明治政府により、信仰の自由が認められるや五島にも宣教師が来島した。最初に来島し宣教を開始したマルマン神父と後任のペルー神父である。マルマン神父とペルー神父は宣教師として活動するとともに、不幸な生い立ちを背負った子供たちを救済するため孤児貧児の養育事業にも力を注いだ。

 

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堂崎教会前の海

堂崎教会の前はすぐ海である。明治時代、五島の各地からミサに出席するため堂崎教会に参集した。当時は道路事情も悪く、舟で多くの信者がこの入江からミサに出席したという。

 

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さるすべり(百日紅)

今日の一枚はサルスベリの花である。夏になると目を引く美しさがあり好きな花である。幹はお猿さんもも滑るくらいツルツルしていることから、名前がつけられたと聞いたことがあるが、実際はお猿さんは滑らない。

いつの世も祷りは切や百日紅 中村汀女

 

至福のひとときーー孫と散歩

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七五三お揃いの写真


関東に住んでいる長女が子供二人を連れてお盆帰省をしている。私にとって可愛い孫である。二人のうち、女の子は五才で今幼稚園に行っている。下は男の子で三才である。彼も今年から幼稚園に行っている。孫たちが長崎に到着以来、家内がお世話をしているが、私は仕事で迎えに行けなかったし、まだ会っていなかった。今年の6月、私が長女の家に遊びに行き、孫たちと一緒に遊んだ。その時以来2ヶ月ぶりの再会だった。私が玄関を開けてそーっと孫たちが食事している部屋に入っていき、「こんにちは」と声をかけると、二人は「爺じ!爺じ!」と言って、再会をとても喜んでくれた。

 

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ブランコを楽しむ孫君


今朝は男の子が早起きして、私に遊ぼうという。「おはよう。爺じと一緒に公園に行きたい人?」と質問すると、ニコッとして「はーい」
と返事する。それで、今朝は公園まで早朝散歩することにした。公園に行く途中、彼が何か一所懸命話をしている、よく聞いてみるとその公園にあるブランコに乗って遊ぶと言っていた。(その公園は何回か行っている)

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ライオン君乗り物にご満悦


ブランコが終わったら、次にライオンの乗り物が目の入った。そのライオン君目指して一直線に走っていく。そしてライオン君の周りを回りながら乗れるかどうか観察している。「一人で乗れる?」と聞くと「うん」と大きくうなづいて足を高く上げて自分で乗った。あとはブンブン前後に大きく揺すって遊ぶ

 

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海賊船の滑り台の上で

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滑り台行くよ!


海賊船みたいな形をした滑り台を発見。どこから上るのか、海賊船の周りを回って上り口を探す。いろんな上り口があったけど、この縄はしごが1番簡単な上り口みたいだ。「ここから上に行ける?」と尋ねるが黙っている。もう一周回って上り口を探している。自分の上り口はここしかないと決心したのか、
縄はしごに足をかけて上り始める。手足を交互に出してしっかり縄はしごに足をかけて慎重に上っていく。そして無事に登頂成功。滑り台を楽しむ。

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鉄棒を楽しむ

滑り台の次は、鉄棒発見。鉄棒は得意で、大好き。駆け寄って鉄棒にぶら下がる。ブラン、ブラン、ブラン、何回かすると止まる。これ以上すると手が痛くなるらしい。休みながらブランブランを繰り返す。

 

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砂遊び

砂遊びをしたいと言うので砂場に行く。爺じも一緒に砂遊びしようと思いアンパンマンバイキンマンを作ることにした。爺じが「バイキンマンをつくりたい人?」と聞くと「イヤー」と返事が返って来る。今度は「アンパンマンを作りたい人?」と尋ねると、また「イヤー」という返事が返ってくる。爺じは無視してバイキンマンアンパンマンを作るが、孫君はそれには興味をしめさず、黙々と自分で何かを作っていた。

 

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公園前で

一時間近く公園で遊んだ。この公園で遊んだのは半年前だったろうか?あの時は、まだブランコもこんなに上手にできなかった、もちろん鉄棒もうまくなかった。半年の間に確実に成長していることを実感する。誰にも邪魔されず孫君と二人だけで過ごした朝のひとときは、爺じにとってまさに至福のひとときでした。

「ありがとう。また、遊ぼうね。」

島巡りの旅の途中で

 

 

先週の日曜日は久しぶりの休日で、島巡りに出かけた。その行き帰りのドライブ中に、興味を惹かれた場所があった。そして、いくつかは思い出の場所になった。

 

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長崎県で一番長い直線道路(福江島二本楠地区)

朝から貝津港目指してドライブしていたとき、長い直線道路に出た。いつまで行っても直線が続き、ここが島内と思われないほど長い直線道路である。福江島には長崎県で一番長い直線道路があると言われていたのを思い出した。青い空の下、まっすぐ続く道路をドライブしていると、二十代の頃、南カリフォルニアの大地を「カリフォルニアの青い空」を聴きながらどこまでも続く直線道路をドライブしていたことを思い出した。「カリフォルニアの青い空」をハミングしながら快適に車を走らせる。

 

 

 

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日本の渚百選・高浜海水浴場

高浜海水浴場は、環境省選定の「日本の快水浴場百選」・「日本の渚百選」にも選ばれている日本屈指の海水浴場である。天然の白銀色の砂浜、波打ち際より水色、青色、沖合では深い藍色のコントラストを見せる海、周りを取り囲む深い緑の原生林、さらに時間や、雲の流れによって移り変わる景色はいつまで見ても飽きない。海水浴を楽しむ人の声を遠くに聴きながら景色を楽しむ。

 

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スケアン(石干見漁法遺跡いしひびぎょほういせき)

スケアン、又はスケ網(九州一円ではスキ)は、その起源が数万年前といわれる原始的漁法の一つで、遠浅の海岸に石積みを築き、潮の干満を利用して魚を獲る方法で石干見(いしひび)漁業ともいわれている。この地にある塩水海岸のスケアンは構築の時代は不明であるが、約80mにわたって石垣を築き、入江を中断している大規模なものである。潮が引いて石垣の内側に取り残された魚類を採取する方法で、ミズイカ、スズキ、チヌ、イワシ、キビナなどが獲れる。

 

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五島市岐宿町 魚津ヶ崎(ぎょうがさき)

ここ魚津ヶ崎周辺は、細長く西に突き出した岬により守られ、深い入江を持った静穏度の高い天然の良港である。古代には遣唐使船が最後の風待ちをするために停泊し、飲料水や食料の積み込み、あるいは難波津からの長い航海で傷ついた船体の補修を行ったといわれている 入江である。

 

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尼御前の墓(三井楽町波砂間)

ドライブしていると三井楽町(みいらくちょう)という案内を見る。この三井楽町は万葉の時代から美弥良久(みみらく)と呼ばれた土地である。 

みみらくの島はときの中央政府が置かれた京阪から見て地の果ての場所で、みみらくの島に行けば亡き人に会えるという伝説が蜻蛉日記に記されている場所でもある。

 

三井楽町に入って間も無く「尼御前の墓」という案内板に気づく。その案内に従って、進んでいくと石碑をみつけた。その石碑には

「みみらくの  わが日のもとの  島ならば   けふも御影に  あはましものを」と刻んでんである

歌意ーーーみみらくが、わが日本の島であるならば、今日もあなたさまに会いにいきますのに。

この歌は平安時代後期の歌人源俊頼(1055〜1129)が自歌集「散木奇(さんぼくき)歌集」の中で、「尼上」と呼ぶ美しい女性の死を痛んで詠んだものである。この歌の前書きに「尼上、失せ給うひて後、みみらくの島のことを思いて詠める」とあり、この歌は尼上という女性がみみらくで亡くなった後、源俊頼がみみらくの島のことを思い、尼上になりかわって詠んだ歌であることがわかる。

その「尼上の墓」がこの地に「尼御前の墓」として祀られている

 

「尼御前の墓」案内板を見ると

「尼御前は、太宰府長官の姪として生まれ、長じて唐貿易で巨利を得た富豪の妻となったが、唐貿易で唐に出向いた夫はいつまでも帰らない。長い間帰らぬ夫を待ち焦がれたが、遂に親族の止めるのもきかず、「若しも夫が亡くなっていても、みみらく島に行けば、その面影にでも会える」と願って召使いと二人でこの地に仮住まいして夫の帰りを待っていた。ある日、待ち焦がれた夫の船と思われる船が近づいてきたが、悪天候のため長崎鼻の隠れ岩に当たって沈んだ。尼御前は大いに嘆き悲しみ間もなく波砂間の海岸に身を投げた尼御前を村人が見つけて、この地に手厚く葬り今に至っている。」とある

聞くところによると、旧暦十日を命日として現在でも地域の婦人達が香花を供えお参りしているということであった。

 

尼御前の墓にお参りして、千年前の人も、我々現代人も恋する人を思う心は何一つ変わらないと改めて思う。そして、待ち焦がれる人を思い、遠くこの地まで足を運んだ尼御前の純愛に思いを寄せ、さらに絶望した尼御前の無念さに共感した村人はその死を悲しみ、その後、千年の時を超えて共感の思いを後世に伝えている人間のやさしさに感動する。このやさしさが五島のやさしさだと思う。心に残る場所となった。

 

 

 

 

 

 

嵯峨島(さがのしま)へ行く

 

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三井楽町貝津港から見た「嵯峨島(さがのしま)」

毎日仕事に追われて、忙しくしていたが、やっと待ちに待った休日がきた。今日は心身ともにリフレッシュしたいなぁ、と思い島巡りをすることにした。朝から福江島近辺の渡海船の時刻表を見てたら、嵯峨島への渡海船が一番都合がいいみたいなので、今日は嵯峨の島へ行くことした。

 

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嵯峨島行き渡海船「さがのしま丸」


五島市嵯峨島福江島三井楽町貝津港の西方約5kmの海上に位置し、周囲約13km、険しい男岳・なだらかな女岳からなるひょうたん型の火山島である。西海国立公園や日本の秘境100選に指定されている島である。今日は嵯峨島の自然や文化に触れる旅をしたい。嵯峨島へ行く「さがのしま丸」が出る貝津港へ向かう。さがのしま丸は定員48名で今日の朝一便のお客さんは全部で14名。そのうち、12名は釣り人で、釣り以外の目的は私を含め2名でした。

 

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嵯峨島のアコウ

嵯峨島の桟橋に接岸したら、すぐに自転車をレンタルして、まず嵯峨島のアコウを見に行く。アコウはクワ科の亜熱帯性植物で幹から気根を出して独特の樹形になることが多い。嵯峨島のアコウは、火山の噴出物が堆積して縞模様になった凝灰岩の崖に、アコウの気根が複雑な文様で張り付き火山島・嵯峨島ならではの珍奇な景観を見せている。

 

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嵯峨島教会

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男岳山頂標柱

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男岳から見た女岳

アコウを見た後は、嵯峨島教会へ行き、その横を通って男岳へ向かう。レンタサイクル店で男岳への道を尋ねたところ、男岳への道は藪になっているから行かない方が良いとアドバイスを受けた。山歩きの経験から少々の藪漕ぎも慣れているので様子を見ながら行くことにした。無理とわかればその時点で引き返す、ということで登っていったがなんとか頂上まで行くことができた。

 

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嵯峨島千畳岩(火山海蝕崖)

男岳から下山して港と反対の海岸方面へ降りていくと千畳岩に出る。ここは通称千畳敷といわれる畳を敷いたような海岸風景が広がっている場所である。この千畳敷では毎年お盆に「オーモンデー」と呼ばれるお盆供養の念仏踊りが行なわれている。祖先の霊を迎える踊りで、孤島で他の影響を受けることなく古来伝統の原型がそのまま保存されているものと言われている。

 

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五島市嵯峨島小中学校

学校があったので立ち寄って写真を撮る。五島市嵯峨島小中学校である。今日は日曜日で生徒も先生も、もちろんいない。ーーーーあとで島民の方に聞いたところ、現在中学生1名、小学生3名合計4名が在学中ということであった。

 

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嵯峨島港と住宅地


嵯峨島は港に住宅が集中しているが、住宅地を歩くと無人の家がやはり多い。島民の方に今何人住んでおられますか?と尋ねたら約80人ということであった。多いときは800人くらい住んでいたけどねということであった。帰る時間になってレンタル店に自転車を返しに行く。レンタル店の店番のおばあさんに島に住んで1番楽しいことは何ですかと尋ねたら、「のんびりできることですよ」と言っていた。確かに、のんびりとストレスを感じない生活は楽しいに違いない。

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嵯峨島を後にする


目的は特別ない。知らない土地へ行き、ただ、そこの土地の空気を感じる。風情、情緒を感じる。人情に触れる。そういう旅だから、時間も気にしない。気まぐれで思いつくままの旅である。一日限りの自由な旅が終わった。明日からまた仕事。少しだけ頑張ろうという気持ちが湧いてきた。旅の効用をあえて言うと、頑張ろうという回復力かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

名前について考える

 

 

先日、職場の仲間と休憩中、それぞれの名前について雑談する機会があった。「親からもらった大事な名前だから大事にしないといけないが、自分はあまり好きな名前ではない」とか「私の名前はあまりに平凡すぎる。凝った名前にして欲しかった」など勝手な事ばかりお互い言い合いながら、職場の仲間の名前を話題にしていた。

 

その中で女性職員の「多喜子」さんの名前が話題になった。「多喜子さんの名前は親の喜び満載の名前だね」「喜びの多い子になって欲しいという親の望みが全てこもっている良い名前ですね」「今日の名前大賞は多喜子さんで決定です!」などと騒いでいたら、ニコニコ笑いながら聞いていた本人から、意外な事実を知らされた。「親からいただいた有り難い名前ですが、名前を変えられそうになったことが、一度ありました」ということであった。

 

彼女の話によると、彼女は結婚して男の子3人に恵まれた。今は、3人の子供さんもそれぞれ自立され、社会人として活躍されているが、改名事件は子供さんがまだまだ小さい頃の話であった。

 

彼女が言うには

『私は長男を出産した後、二年後に妊娠しました。そろそろ次の子供が欲しいと思っていた頃に予定通りの妊娠で喜んだのですが、診察を受けて男の子で双子ですと言われ、驚きそして悩みました。子育ては1人でも大変だったのに双子を育てることができるだろうか?長男もまだ幼いのに大丈夫だろうか?悩みに悩んだ末、せっかく授かった子宝だから大事に育てようと決心して出産を決めました。それから双子の幼子と長男の3人を育てる苦しい育児の戦いが始まりました。毎日毎日が戦争みたいでなりふり構わず、育児子育てに追われました。主人始め周りの協力があってできることであったけど、それでも私にとっては苦しい育児に追われる日々が何年も続きました。

 

そして、長男が小学校に入学して1年が過ぎ、明日は修了式という日の前日に、長男の担任の先生から電話がありました。「明日、体育館で行う修了式で各学年の代表者に修了証書を校長先生が渡されます。1年生の代表に息子さんが選ばれました。明日の授与式で修了証書を受け取る作法や礼儀を息子さんに教えておいてください。1年生の代表という晴れ舞台なのでよろしくお願いします。」という連絡でした。

 

主人が帰宅後、息子と親子3人で明日の授与式の練習をしました。主人が校長先生になり、名前を呼ばれた息子が前に進んで一礼する。校長先生役の主人が修了証書を読み上げ、息子に差し出す。息子は作法通り受け取り一歩後退して一礼する。

 

その練習を何回か行い、息子にみんなの前で間違えないようにできるか聞いたところ、「できるよ」という返事があったので安心していると、息子が突然、「今度は僕に校長先生役をさせて」と言いだしました。

 

まだ、不安なところがあるのかな?と思い、「じゃ、交代してやってみよう」と言って、息子が校長先生の位置に立ち、授与式を始めることにしました。息子が校長先生の位置から、「〇〇多喜子さん前へ」と私を呼ぶので、校長先生役の息子の前に立ち一礼する。息子が修了証書を、考えて読み上げました。

 

「修了証書  〇〇多喜子さん   あなたはこの1年間、おこりんぼ学園専門学校において、毎日毎日、本当によく怒り、優秀な成績で卒業されました。このことはなかなかできることではありません。よって、これからはあなたの名前を〇〇多怒子さんと呼ぶことにします。今後も頑張ってください。」

 

 

私は息子から、突然この修了証書をもらい、息子が私にこのような不満を持っているのを知って驚きました。私は親の立場に立ち、育児、教育、躾という面から当たり前のことをしていたつもりなのに、子供達にこんな不満を与えていたのかということに初めて気づかされました。

 

合わせて、息子が、私に対して持っている不満をこういう機会を使って主張するという頭の回転の早さに驚きました。小学一年生ながら天晴れという感じを持ちました。

 

この我が家の修了証書授与式以来、私は子供達を怒ることをやめました。出来るだけ優しく接することを心がけることにしました。息子からもらった私の修了証書は、今でも私の心の中に飾られています。そして、いつも優しい人になりなさいと、私に呼びかけています』と彼女は語っていた。

 

以上の話をご本人からお聞きして、彼女が職場で、誰にでもやさしい人なのが納得できた。小さい息子さんから教えられたことが、そのまま名前通りの喜び多い人生につながったのだと思う。逆に息子さんから指摘を受けないまま、怒りの多い人生を歩んでいたら、喜びの多い人生には届かなかったのではないかと思う。

 

名前にはいろんなエピソードが隠されていて面白い。

椛島へ行く

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五島列島近辺地図

私が住んでいる福江島の近辺には人が住む島がいろいろあるが、蝶々の形をした椛島(かばしま)という島に行くことにした。形が蝶々に似ているだけでなく、実際に蝶々が多い島と言われている。昔、イワシ漁が盛んなときは4、5千人の島民が住んでいたというが現在は島民も随分少なくなったという。どのような島か楽しみである。

 

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椛島島内地図

椛島では、本窯(もとがま)漁港に上陸して、そこから矢印方向に県道に沿って進み、伊福貴(いふき)漁港まで島のあれこれを見物歩きしながら、ゆっくり一人旅を楽しむ計画である。

 

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福江椛島間連絡船 ソレイユ

福江港から高速旅客船ソレイユに乗船する。ソレイユは定員60名の高速船である。きれいな船で冷房がよく効いた船室に入ると先客が4人いた。そして予定通り定刻に出港する。この便の乗客は私をを含め5人であった。

 

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本窯漁港

福江港を出港したソレイユは、伊福貴漁港を経由して本窯漁港に行く。定刻に伊福貴漁港の桟橋に接岸したら、私以外のお客さんはみんなここで下船した。ここから乗船する人はいなかった。そのまま私を乗せたソレイユは次の寄港地本窯漁港に行く。本窯漁港で下船した私は、本窯漁港周りを歩く。この漁港は20軒ばかりの家が建っている漁港である。しかし、人が住んでいる家もあるが、無人の家もあるようだ。人は見かけない。しばらく近くを歩いたが人の気配がしないので、本窯漁港から先ほどの伊福貴漁港へ通じる県道を歩いて行くことにした。県道の上り坂を上っていく。

 

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ツブラ島

人も車も通らない舗装された県道を海岸線に沿って上り下りしながら歩いていくと右手に大きな島が見える。これが「ツブラ島」である。ツブラ島のツブラとはこの椛島では「カタツムリ」のことを言うらしい。椛島から見るとカタツムリの形に見えることからその名前がついたようだ。

 

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五島市椛島小中学校

県道を上り下りしながら歩いていると、3階建ての校舎が見えてきた。運動場があり体育館があるので学校だと確信し、降りていくと五島市椛島小中学校であった。学校の周りを見ても声もしないし人も見かけない。しかし、学校の看板がかけてあるから、廃校ということではないだろう。今は夏休みだから人がいないのだ、と思って校舎を後にした。ーーーー後で聞いたところによると、現在島内に小・中学生が一人もいないので、現在は休校中ということであった。このまま小・中学生がいないまま続くと廃校になるらしい。将来展望は決して明るくないということであった。

 

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なぎなた

観光スポット「なぎなた石」という案内があり、その案内に従って山の方に入っていく。山道をくねくねと上っていくと、祠の上に高さ4mほどもあるなぎなたのような形をした奇岩が現われた。これが長刀(なぎなた)石である。なでたら子宝に恵まれるという言い伝えがある。

 

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伊福貴漁港

人を一人も見ないまま伊福貴漁港まで来た。伊福貴漁港は百軒ほどの家が建つ漁港である。椛島では1番大きい町である。でも、町中を歩いてみるとやはり人がいない。建物の中には、今は誰も住んでいない無人の建物も多い。福江行きの船の待合所にも誰もいない。仕方ないのでその待合所で船を待っていると、島民の60代の男性が原付でやってきた。その方に「こんにちは」と挨拶して、椛島の今昔を聞く。「この近くは今も昔も良い漁場が多い。昔は、4、5千人の島民が住み、生活していたが、今は百人もいない。小中学校は、今は休校だけど、近いうちに廃校になるだろう。そうなると、若い人はもう来ない。淋しいね。」と語って去っていった。

船を待っていると、船から荷物を受け取るために60代の女性が桟橋に来られた。その女性の方に「こんにちは」と声をかけて話を聞く。「子供たちは島には何もないからと言って都会に出たまま寄り付かない。確かに若い人たちにとっては、遊ぶところもないししょうがないね。でもね、私にとっては島は住めば都、どこにも行きたくない」

女性の話を聞いているうちに船が入港した。女性は忙しくなり話は打ち切られた。女性が言った「住めば都」の意味が私もよくわかった。椛島はそういう島である。

 

 

 

 

 

暴れん坊将軍目指して

暴れん坊将軍は、もちろん、時の将軍徳川吉宗を、松平健さんが演じる人気時代劇である。そのオープニングでは富士山を背景に三保の松原を馬で駆け抜ける松平健さんのカッコいい乗馬姿がいつも放映される。私は昔から、いつの日か暴れん坊将軍みたいに馬で駆け抜けたいという願望を持っていた。しかし、その夢はなかなか実現せず今日まで来てしまった。

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乗馬クラブ全景


そのような中、先日、五島の友達と話をしていたら、乗馬の話になり、友達が「そんなに馬に乗りたいなら、乗馬を教えるよ」と簡単に言う。「五島の乗馬クラブで教えるから日曜日に乗馬クラブに来たらいいよ」と言う。というわけで、日曜日、乗馬実習に出かけた。

 

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おとなしい馬、サンダー

ここには三頭の馬がいるが、馬にも個性があっておとなしい馬、気性が荒い馬など様々なのは人間と同じということだった。私が乗馬初心者なので、それにふさわしい

サンダーという馬が私におつきあいしてくれることになった。サンダーはおとなしい従順な馬で決して暴れたりすることはない初心者用の馬ということであった。

 

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轡と鞍のセット

厩舎からサンダーを連れ出して、くつわをはめ、鞍をセットする、今日は初めてだから、友達が全てやってくれるけど、早く一人でできるようになってと言われる。説明を真剣に聞く。

 

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進む、止まるの練習風景

馬の準備ができたら乗馬の前に乗馬姿勢、発進、停止の方法など基本的なことを学ぶ。そして、まず友達に馬を引いてもらいながら乗馬体験をする。30分ほど引き馬してもらいながら乗馬の要領を掴む。そして、そのあとは一人での乗馬を開始する。

発進して常歩(なみあし)でゆっくり進むそして止まる。進む止まるの練習を繰り返す。進む止まるができてきたら、次は右へ、左へ自由に誘導する練習をする。外周を大きく回ったり、小さく回ったり、そして8の字コースに誘導する。

 

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軽早歩(けいはやあし)

サンダーを自由に操れるようになったら、次は軽早歩(けいはやあし)に挑戦。軽早歩をするときは腰を浮かすような立つ座るの動きが必要になってくる。この練習はスクワットと同じなので太ももが痛くなる。疲れが出てきたところで今日の練習は終了。

 

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シャワータイム

乗馬練習が終わったら、サンダーのお手入れタイム。ブラシでホコリを落とし、身体全体に異常がないかを確認して、ヒズメの裏掘りをして土を落とす。そして仕上げはシャワー浴びて疲れを癒す。お疲れ様でした。

 

念願だった乗馬ができた。師匠からはセンスがあると褒められた。嬉しい。また機会を見て練習したいと思う。サンダーくんよろしくお願いします。

暴れん坊将軍はまだまだ遠いが、「望めば夢は叶う!」を感じた1日でした