ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

ビッグな宝くじ当選おめでとう

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私が務める職場に、憧れの人に猛アタックをして結婚に結びつけた女性Aさんがいる。

 

Aさんは若い頃、就職のため故郷である五島を離れ県外に出て行った。県外で楽しく仕事をしていたが、遠距離恋愛中の彼を故郷の五島に残したまま3年半が経過して、このままだと遠距離恋愛中の彼を他の女性に取られると思い、仕事を辞めて五島に帰省した。そして想い焦がれる人に猛アタックして念願の結婚をしたそうだ。

 

Aさんは現在の夫である男性に「結婚して下さい」と自分から申し込み、強引に押し切って、結婚に至ったわけだが、Aさんはその選択は正しかったと30年を過ぎた今、「若い時の決断について、よくやったと自分で自分を褒めてあげたい」と言っていた。

 

憧れの君と結ばれて、男の子3人の子供にも恵まれた。長男が生まれた後、双子を授かった。多胎児の子育ての過酷な実態を体験した。育児ノイローゼや睡眠不足による精神的乱調から発する問題行動の一歩手前まで行ったが、夫の献身的なサポートを受け、なんとか危機を乗り越えることができた。3人の子供達がすくすくと真っ直ぐに育ったのは周囲の協力と夫の献身的サポートのお陰と今でも深く感謝している。その子供達も成長して、それぞれ社会人として活躍しているし、結婚して満足すべき家庭を築くことができた。

 

しかし、申し分ない夫であるが、夫について不満に思うことがただ一つあるということであった。

彼女の不満は、結婚して30年以上経った今も、夫が昔から一貫して主張していることである。

夫の主張は次の通りである。「私は君と結婚した。私が君と結婚したのは君が強く結婚を求めるから結婚した。そうでなかったら、私の方から結婚を求めることはなかった。あくまでも、君が強く結婚を求めるから結婚しただけである」と強調する。

 

Aさんは自分の結婚について、「私は自分の結婚を振り返って良い結婚だと自信を持って思う。でも、夫はそのように思っていないのが気に入らない。私達の結婚について、夫が何と言おうが、私は幸せに結婚して、子供にも恵まれ、幸せに結婚生活を送っているから何も問題はない」しかし、夫の「君との結婚は自分の本来の意思ではない(流れに流されるまま結婚した?)」という言い分が癪に障る。

 

私も負けずに、「あなたはそう言うが、たくさんの女性の中から私を選んだのはあなたですよ。あなたが私を選んだことは、それは私を他の女性より深く愛していた証拠ではないの?」と言うと「そういうことではない。あくまでも、君が強く結婚を主張するから結婚した」と言って夫は自説を曲げない。

夫の主張をどう思いますか?と聞かれ、私はその意外性に驚いた。

 

30年以上前、美しく聡明な女性職員Aさんは職場でみんなから可愛がられていた。職場の花であるAさんが結婚することになった時、職場のみんながAさんの結婚を喜び祝した。そのとき、「Aさんと結婚するお婿さんは最高の幸せ者だ。Aさんのお婿さんは年末ジャンボ宝くじ10億円に大当たりをしたような幸せ者だ」と職場の人が言っていたことを覚えている。私の職場では、人生で二度とない大当たりの幸運を射止めたお婿さんと言われていたのに、お婿さんの冷めた意外な思いを知って驚いた。

 

Aさんのお婿さんに言いたい。

Aさんと結婚したお婿さんはビッグな宝くじに当選した以上の幸せ者ですよ。

お聞きしますが、本当にビッグな宝くじに当選したような実感はありませんか?

 

仮にまだビッグな宝くじに当選したような実感がないのであれば、それは今からのお楽しみです。この宝くじの宝は、お金と違って減るということはありません。いつまでも永遠に輝やく宝です。宝は磨けば磨くほど輝きます。優しく時間をかけて磨いてください。必ず目に見えるかたちで宝はさらに輝きます。その時、間違いなくビッグな宝くじに大当たりしたことが分かるでしょう。

改めて心からお祝いします。「ビッグな宝くじ当選おめでとう」

古希、仕事に再挑戦

  介護離職と言う理由で前の職場を辞して、自宅で母の介護をしながら1ヶ月が過ぎた。そして、私は誕生日を迎え古希となった

 

現在、母の症状は認知症初期の段階である。普段は特別手がかかるわけではない。基本的に、まだ一人で何でもできている。

そのような状況の中、介護のために仕事を辞めて毎日自宅で過ごしていたら、地元の知り合いの会社から忙しいので手伝って欲しいという声がかかった。手伝う仕事は私が長年やってきた慣れた仕事である。私は今、介護離職したとはいえ、ヘルパーさんに週二回来てもらっているし、本人は毎週一度はデイサービスに半日出かけ、毎週一回は生花教室に通っているし、私が一日中介護しているわけでもないので、仕事を引き受けることにした。

 

先日、新しい職場の朝礼に参加して社長さんから職員の皆さんに紹介をしてもらった。社長さんは私を職員の皆さんに紹介するとき、「〇〇さんはこの仕事のエキスパートでありベテランです。この機会に〇〇さんの仕事を見て学んでいただきたい」というような話をされた。

 

社長さんの紹介は、私を高く評価していただき有難い紹介であった。確かに長年この仕事に従事したということで言うとベテランには違いないが、私はベテランという意識は決して持ってはいけないと思っている。

 

ベテランではあるが、仕事に対しては、常に創意工夫をして、常に前進することを考え続けなければならないと思う。ベテランという殻に閉じこもると旧態依然のしきたりに固執した化石みたいな人間に陥る危険があると考えている。常に感性を磨き、仕事に対して常に新鮮さを求め続ける姿勢を貫きたいと思う。

 

 

「ベテランになれ!しかし、ベテランという意識をもつな!」このような思いを持つようになったきっかけは、65歳を過ぎて再雇用で働く機会を得て、新しい職場で仕事をした時の反省からである。

 

私は40年近く同じ仕事してきた。長年勤めた会社を辞めた後は、もはや二度とこの仕事につくことはないと思っていたが、五島の会社から仕事の誘いがあった。私は健康に自信があり、まだまだ仕事を続けたいと思っていたので、長年やってきた仕事なら、まだ自分でもできるという自信から五島の会社にお世話になることになった。

 

長年やってきた仕事だから、今までの経験で仕事ができる。今まで通りやれば良いと考えていた。新しく学ぶものは何もないはず。今までの経験で充分である。というような考えで仕事についたところ、私の考えは完全に間違いであることが入社してすぐにわかった。新しい職場では学ぶものは何もないというのは間違いで学ぶことがたくさんあった。私より若い人ばかりだが、その若い職員から教えられることがたくさんあった。

 

私は年齢的に人生の先輩であるから、新しい職場の皆さんは私のことを先輩として遇してくれたが、私の内心は逆で、私としては、教えられること、学ぶことが多くあり、仕事を通して成長する喜びを感じることができた。仕事を通じて毎日新しい発見があり、職場において新鮮な日々を過ごすことができた。

 

私の仕事はサービス業である。顧客は男女を問わず、また高校生から高齢者まで顧客の幅は広い。

そのようなお客様に対しての接客態度方法などについて、話術、コミュニケーション能力、人間性に及ぶものについても学ぶものがあったし参考になることが多くあった。仕事を通して、死ぬまで勉強ということを実感として感じた。

 

私が長年培った方法とは違うものを見せられて大変勉強になったし刺激になった。ベテランなどと言って呑気に構えていたら化石になってしまうと恐怖を感じた。

 

また五島の会社では、乗馬クラブを所有していたので私の仕事とは直接関係しないが、乗馬を学ぶことができたのは幸運であった。この会社にお世話にならなかったら乗馬をする機会はなかったと思うと仕事をして良かったと思う。

 

今度、就職した新しい職場は中国人スタッフがたくさんおられた。社員食堂で相席した人の会話を聞くでは無く聞いていたら日本語ではなく中国語であった。この会社では中国語の勉強が盛んなようだ。私もこの機会ににもう一度中国語の勉強をはじめようと思う。この会社には乗馬クラブはないが、そのかわり中国語を学ぶ機会が増えることが嬉しい。

古希を迎え、なお仕事ができることを感謝する。古希を迎え、学ぶ機会を得たことは楽しみである。

前川喜平氏のインタビュー記事を読んで

元文部科学事務次官前川喜平氏が安倍政権の教育行政の問題点について語っていた。その中で道徳の教科化という問題で安倍政権の「教育再生」は危険と語っていた。

 

『安倍政権は第1次のときからずっと「教育再生」という言葉を使っています。安倍政権は何を「再生」させるのかというと、戦前の「教育勅語」です。

戦前の修身科では、教育勅語の精神に立って「天皇のため、御国ために役に立つ人間」になれと教えていました。安倍政権の「道徳の教科科」とは、修身科の復活です。文部省の中でもそう考え、「道徳の教科科」はずっとタブー視されてきました。

 

森政権のときに、「道徳の教科化」が政策文書に盛り込まれましたが、森政権は短命で実現しませんでした。それを実行に移したのが第2次安倍政権です。

 

道徳の教科書は問題だらけです。例えば、「星野君の二塁打」という教材があります。この物語は、野球の試合でバントのサインを出した監督が、それを聞かずに二塁打を打った星野君を叱る、というものです。監督は星野君に「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」と説教します。これは自分を犠牲にして、全体のために役に立てという考え方です。

 

結局、教育勅語の「克ク忠ニ克ク孝ニ」という、全体のために忠義を尽くせという教えです。「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という、天皇陛下のお役に立つことが臣民の最高の美徳であるという考え方につながります。安倍政権の道徳の学習指導要領はかなりの憲法違反だと私は思っています。

 

道徳教育が成り立つとすれば、それは現行の日本国憲法が打ち出している価値である個人の尊厳、基本的人権の尊重、国民主権、自由と平等、平和主義と戦争放棄という考え方を教えるべきです』と前川氏は語っていた。

 

前川氏のインタビュー記事を読んでいて、私は前川氏の言う通りだと思った。

安倍首相は「外国では多くの国が時代に合わせて憲法を変えている。日本だけが何十年も憲法を固定化しているが、時代とともに変えるべきだ」と主張している。安倍首相のそのような主張を支持する人もいるが、安倍首相は現在の日本国憲法を破棄して戦前の大日本帝国憲法に戻そうとしていることが明白である。時代に合わなくなった部分を時代に合わせて修正すると言うのでなく、現在の日本国憲法を無しにして、旧憲法である大日本帝国憲法に戻そうとしている。

 

日本国憲法上、首相をしていけない人が日本国の首相をしている状況にある。だから、現行の日本国憲法が打ち出している価値である個人の尊厳、基本的人権の尊重、国民主権、自由と平等、平和主義と戦争放棄という考え方を疎かにするのだと思う。安倍首相のそのような考えは絶対阻止しなければと思う。日本国憲法にふさわしくない人物は日本国の政治の場から早急に退場してもらわなければいけないと強く思う。

11/28香焼散歩

 

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香焼散歩 距離6.06km 上昇高度132m 時間1時間59分 天気曇り 温度13度 湿度78%

最近は体に良いこと何もしていない。寒くなってきたこともあり、室内に引き篭もることが多くなった。昨夜から雨が降り、今日も雨で外出できないのではとあきらめていたら、朝から日が射してきた。久しぶりに身体を動かしたいと思い散歩に出かけることにした。

 

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香焼第二児童公園

出発前の準備運動をするために香焼第二児童公園に行く。身体をほぐすために久しぶりにラジオ体操をする。前後左右に身体を伸ばす。身体が硬くなっているのを実感しながら、少し痛いのを我慢して筋肉を伸ばす。久しぶりの運動は気持ちが良い。身体がほぐれたところで、この第二児童公園を出発点にして散歩を開始する。因みに地元ではこの公園のことを公園内にある遊具のABCから「ABC公園」と呼んでいる。

 

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出発点から200m進んだらウオーキングコース2番ポストに着いた。ポストの周りは石蕗の黄色い花が咲き乱れていた。満開時期を少し過ぎて、花びらが落ち始めているのも見られる。今日の散歩は至る所で石蕗の歓迎をうけた。

 

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散歩道は車道に並行して作られた歩道である。昨夜の雨でまだ道路は濡れている。この時間の車の交通量はほとんどない。朝の静かな時間を小鳥の鳴き声に耳を澄ましながら散歩する。これから先、右手の視界が開けて右手に海を眺めながらの散歩となる

 

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海が見えてきた。遠く沖合いに大きなタンカーが停泊しているのが見える。曇の多い朝であったが、今は青空も見れるようになった。海の深みのある青と空の明るい青とのコントラストを楽しむ。
 

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散歩道はここから車道と別れて公園内の遊歩道に入っていく。公園は香焼総合公園という大きな公園である。その海老瀬側入り口から入る。

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公園内の遊歩道はもちろん車は来ない。だから安心して散歩ができる。この公園を早朝散歩に使う人は多いが、都会と違って混雑することはない。私が散歩するときは4〜5人の人と会う。それ以外にみかけるのは小鳥さんと猫さんくらいである。

右手は海になるが木々が茂り海は見えないところが続く。その中を進んでいると右手に下りていく道があるので右手に曲がって海側に下りていく。

 

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人ひとりが通れる細い山道を下りていく。落ち葉を踏みしめながら下りていくと潮騒の音とともに海の匂いが感じられる。

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突然、視界が開けて大海原が飛び込んでくる。ここは釣りのポイントである。日曜日には、釣り師がここに陣取って大物を狙う場所である。確かに大物が釣れそうな予感がする。いつか私も挑戦してみよう。

 

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釣りポイントから戻り、再び進んでいくと右手に伊王島大橋伊王島が身近にみえてきた。また、伊王島教会の荘厳な白い建物もはっきり見ることができる。

 

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石蕗が群生している広場を過ぎてゆっくりペースで上っていく。ゆるやかな上り坂をゆっくりゆっくり上る。少し汗ばんだような感じがする。ここで、着ていたウインドブレーカーを脱ぐ。海の方から吹く風が心地よい。

 

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上り坂を上りきるとカナリーヤシが植えられている芝生広場に出る。標高103m今日の最高峰である。この芝生広場には東屋と低学年向け遊具が設置されていて日曜日は子供連れの家族で賑やかである。

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芝生広場のすぐ横は駐車場である。今日は朝早いので駐車場には1台しか駐車していない。駐車場の上の建物は管理棟で、その上の方には展望台が見える。展望台からは五島灘や長崎港を見渡すことができ、絶景のビューポイントである。

 

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今日の最高峰である香焼総合公園を過ぎたら、あとは下り坂で出発点に戻っていく。総合公園を出たら、大きな石碑が建っているのが見える。「日中不再戦」の石碑である。案内板には「われわれは中国侵略の歴史の反省に立ち、日中両国人民が再び戦わないことを固く誓い、戦争を知らない新しい世代にこの願いを正しく語り継ぐためにこの石碑を建立する」とある。

 

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総合公園を出ると、車道に並行している歩道を歩いていく。夏は雑草が生い茂り歩道が見えなかったり、繁茂した雑草で歩道を歩けないようなこともあったが、さすがにこの季節になるとそのようなことはなく歩きやすい。

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道に沿って歩いていたら「遠見番所跡」という案内看板が立っている。これは鎖国時代の名残を示す遺跡である。長崎は日本で唯一の外国に開かれた港であったが、許可しない異国船が入港しないか常に見張りをする必要があった。長崎港の周りには多くの遠見番所が設けられて警戒にあたっていた。香焼の遠見番所もその一つでここには狼煙台の跡がある。異変があれば狼煙を上げていたらしい。

 

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遠見番所を過ぎてゆるやかな坂を下っていくと。大きな榎の木が出迎えてくれる。長崎市指定天然記念物になっている「豊前坊社のエノキ」である。樹高20m、根回り4m樹齢は約200年と言われている。昔から神木のように大切にされ、集落の変遷を見守ってきた木である。

 

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豊前坊社を過ぎてさらに下っていくと、右手に海が見えてくる。海を挟んで対岸には

隣町である深堀が見える。そして、その先には長崎で最高峰の八郎岳が見える。八郎岳は長崎市にある標高589.8mの山で九州百名山の一つである。長崎は八郎岳から伸びた山並みが長崎市をぐるっと城壁みたいに囲んでいる。この山並みこそ鎖国時代に長崎を隔離する上で有効な地形であったようだ。

 

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右手に海と山並みを見ながら進んでいくと左手にお寺が見えてくる。香焼山「円福寺」である。この円福寺弘法大師空海が開いたと伝説が残る寺である。そして香焼という町名も空海の伝説から付けられた名前である。

“香焼”という地名は弘法大師空海の焼香伝説に由来していると言われている。香焼伝説では804年(延暦23年)、弘法大師空海遣唐使として入唐する折、暴風雨にあって香焼島(当時は島)に避難した。弘法大師空海は御香を焚いて仏に感謝し祈りを捧げたという。その時の御香の芳しい薫りが一面に染み渡り、以後この地を香焼と名付けたと伝わっている。その御香を焚いた場所がこの円福寺内の祠であるという伝説が残されている。

 

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弘法大師空海さんの伝説などを思い起こしながら進んできたら目の前に香焼教会が見えてきた。香焼教会が見えたら、ゴールは近い。時計を見たらスタートしてすでに2時間になろうとしている。あまりにもゆっくりし過ぎたかもしれない。少し慌てて早足でゴールに向かう。そして無事循環コースを終了。

 

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久しぶりの香焼散歩であった。石蕗の黄色い花に至る所で出会った。今日の散歩の収穫は今年の石蕗の花にたくさん会えたことだろう。一期一会である。先日のJR九州観光列車の旅で出会った余命2〜3年という同年代の男性は、「最後は好きな趣味だけしてあちらへ行こうと思っている」と言って写真撮影の旅をしていた。「風景写真は二度と同じ写真は撮れない。一期一会です。」と言っていた。その真剣な生き方に心打たれた。学びたい。











 

 

JR九州観光列車の旅 その4

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昨夜は指宿温泉「吟松」に宿泊した。このホテルは食事のお世話は担当制になっているようだ。昨夜の夕食の時にお世話してくれた女性が朝食もお世話をしてくれた。お世話をしてくれた人は中国出身の若い女性であった。この若い中国人女性は日本語が堪能で驚いた。私は中国語を4〜5年学んでいるがほとんど進歩していない。この女性の日本語を聞いていると、私ももう一度頑張ろうという気持ちになる。明るい中国女性のお世話を受けながら朝食を美味しくいただく。

 

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今日の天気はあいにくの雨になった。今日の予定は知覧観光と長崎へもどるJR九州鉄道の旅である。ホテルの近くから知覧行きの鹿児島交通のバスに乗車する。乗車して車内アナウンスを聞いていると「知覧行き乗ったり降りたりバスをご利用いただき有難うございます」と言っている。この乗ったり降りたりバスの1日乗車券とか2日 乗車券を購入すると気ままにいろんな観光地巡りが格安でできるようだ。バスで南薩摩地方の観光地巡りするときは便利な制度である。小雨が降る中、バスは山超え谷超えして知覧へと急ぐ。

 

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知覧特攻平和会館(ホームページより)

知覧ではまず、知覧特攻平和会館に行く。最寄りのバス停である特攻観音入口で下車して傘をさして会館へ行く。会館には多くの方が見学に見えていた。受付でチケットを購入し、案内用のタブレットの貸し出しを受ける。そのタブレットの音声案内を受けながら順路に沿って見学していく。この知覧基地を飛び立った特攻隊員は1036名にのぼる。その中には日本人ばかりでなく11名の韓国人特攻隊員も含まれるそうだ。お一人お一人の遺書や絶筆などの説明を聞きながら見学していく。見学していきながらお一人お一人の声を聞いているような気分になった。喜んで死地に赴くと言う遺書も多くあった。未来ある多くの若者が愛する人を残して、親に先立つことを謝し、命を捨てて敵艦に体当たりしなければならなかった当時の現実を思うと、涙を禁じ得ない。二度とこのようなことが起こらないように英霊を前に固く誓う

全ての遺書、絶筆に故人の人柄を感じる。

その中で、富山県出身の枝 幹二大尉(22歳)の絶筆が忘れられない

 

あんまり緑が美しい   

今日これから  

 死に行く事すら   

忘れてしまいそうだ。   

真青な空    

ぽかんと浮ぶ白い雲    

六月の知覧は     

もうセミの声がして    

夏を思わせる。   

       作戦命令を待っている間に

 

 

小鳥の声がたのしそう

「俺もこんどは

小鳥になるよ」

日のあたる草の上に

ねころんで

杉本がこんなことを言っている

      笑わせるな

本日13時35分

いよいよ知覧を離陸する

なつかしの

祖国よ

    さらば

使いなれた

万年筆を“かたみ”に

           送ります。

(注  四百字詰原稿用紙三枚半にペン書き)

 

 

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特攻平和会館を後にしたら、次は知覧武家屋敷を見学する予定だったが、雨脚が強いので武家屋敷散歩を断念して、鹿児島中央駅に行くことにした。バス停でしばらく待つと「乗ったり降りたりバス」が来た。2回目の乗車をする。3回以上乗ったり降りたりするなら、2日乗車券を買った方がお得になるらしい。

 

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JR九州新幹線さくら406号

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さくら406号車内

新幹線さくらに乗車して、新鳥栖駅まで行く。1時間23分の新幹線の旅である。まだまだ新しい新幹線は気持ちが良い。新幹線は高速だが静かで揺れないことに乗るたびに驚く。矢のように進み定刻に新鳥栖駅に到着する。

 

 

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JR九州かもめ31号

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かもめ31号のデッキの室内装飾

新鳥栖駅でかもめ31号に乗り換える。行きのかもめはツバメが代行していたが、帰りのかもめは正真正銘の白いかもめである。とは言っても白いかもめにツバメのトレインマークが書かれているのが気に入らない。かもめにはかもめのトレインマークが欲しい。夕暮れの景色を見ているうちに日が暮れて行き、ネオンサインが輝きを増す頃長崎駅に到着する。

 

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長崎駅のクリスマスツリー

18時52分長崎駅到着。クリスマスツリーがお出迎えしてくれる。これで2泊3日のJR九州観光列車の旅を終えた。素晴らしいホテルで最高級のおもてなしを受け、美味しいものをたらふく食べて竜宮城の浦島太郎気分の3日間だった。

その中で、「知覧、慰霊の旅」は、二度と同じことを繰り返してはならないという「不再戦の誓い」を心に固く決める旅となった。

 

 

JR九州観光列車の旅 その3

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砂むし会館「砂楽」

たまて箱で指宿に到着。指宿に早めに到着したのは指宿砂むし温泉に入るためである。

指宿の砂むし温泉は、湧き出る温泉によって温められた砂に体を埋める世界的にも珍しい天然の砂むしである。波音を聞きながら砂の中に横たわると、大自然の抱かれるような夢心地の感覚が味わえるらしい。

ホテルに到着後、砂むし会館にすぐに向かう計画であったが、高血圧や心臓の病気の方はご遠慮下さいとあるので残念ながら楽しみにしていた「砂むし温泉」は中止となってしまった。

日没まで2時間ほどあるので、タクシーで指宿観光に出かけることに変更となった。

 

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西郷さん石像

まず、最初に行ったのは、西郷どんゆかりの地である「鰻温泉」である。ここの温泉は、入ったら肌が鰻みたいにヌルヌルするということで昔から鰻温泉と呼ばれている美肌効果が高い温泉らしい。西郷どんは美肌効果を求めてこの温泉地に来たのでなく、西郷どんは「うさぎ狩」に来て、この地によく逗留したらしい。

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西郷どんの愛犬の像

鰻温泉の集落には西郷どんが「うさぎ狩」に連れてきた13匹の可愛らしい愛犬の石像が設置されている。集落ではいたるところに白い湯けむりが上がり、家々の庭先には豊富な地熱を利用した「スメ(巣目)」と呼ばれる独特の蒸気カマドがあり、煮炊き、蒸しものに利用されている。

 

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JR西大山駅から見た開聞岳の夕日

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次に訪れたJR西大山駅は、北緯31度11分の日本最南端の駅である。ここを通る列車は一日わずかであるが、写真撮影しているとそのわずかな列車がホームに入ってきた。ラッキーなタイミングである。

 

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西大山駅の黄色いポスト

駅前には、指宿名物の菜の花にちなんだ「幸せを運ぶ黄色いポスト」が設置されていた。「ラブレター出すなら絶対ここから出したほうが良い。」とタクシーの運転手さんは強調して言っていた。

 

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長崎鼻から見た開聞岳と夕日

次に長崎鼻へ行く。長崎鼻薩摩半島最南端の地である。ウミガメの産卵地になっていることから、浦島太郎が竜宮城に旅立ったという「竜宮伝説」の場所である。

ここから開聞岳の美しい姿を見ることができる。太平洋戦争時代、知覧を飛び立った特攻隊はこの長崎鼻上空を飛行して沖縄方面に出撃していったという。その時、隊員は最後の見納めとして、振り返って開聞岳を見ながら特攻に赴いたのではないかと思う。そのような思いで開聞岳を見るとき、平和な時代に開聞岳を見ることができる幸せに感謝するばかりである。

 

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竜宮神社

長崎鼻にある竜宮神社は、昔から浦島太郎伝説のモデルとなった豊玉姫(乙姫様)を御祭神としている神社である。楼門は浦島太郎の伝説の竜宮城をモチーフにして建てられている。海の神に習い、航海関係者や漁業者の信仰を集めている。また縁結びのご利益があることでも知られている。ここでは縁結びや恋愛成就の祈願として、購入した貝殻に名前と願い事を書いて奉納するしきたりがあるようだ。神社の入り口にはたくさんの貝殻が積まれていた。

 

2時間コースの駆け足の指宿観光であったが、タクシーの運転手さんの豊富な知識と楽しく愉快な観光案内で有意義なものとなった。念願していた砂むし温泉を体験でききなくて残念に思ったけど、それ以上に指宿を堪能できたのは本当にラッキーでした。運転手さんありがとうございました。



 

JR九州観光列車の旅 その2

 

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遊歩道から見た球磨川

人吉では駅長おすすめの厳選お宿「清流山水花あゆの里」に宿泊。11月17日(日)気持ち良い目覚めで起床して早朝散歩をする。ホテルは球磨川の岸辺に立地しているので、ホテルを出て球磨川沿いに作られた遊歩道を朝日を浴びながら散歩をする。今日も秋晴れの良い天気になりそうだ。

 

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青井阿蘇神社の鳥居

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青井阿蘇神社の赤鳥居と楼門

しばらく歩いていくと、大きな鳥居が目に入る。近づいて行くと、ここが国宝に指定されている青井阿蘇神社である。

青井阿蘇神社は大同元年(806年)に創建された人吉球磨の総鎮守である。人吉球磨の安寧を祈り1200年の歴史が息づく場所である。壮大な茅葺楼門を見るとまさに国宝であることを納得する。

 

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「五木の子守歌」石碑

散歩を続けていくと、一つの石碑に出会う。何の石碑だろうと思い近づいてみると、五木の子守歌の歌詞が書かれている。「おどま ぼんぎりぼんぎり  ぼんからさきゃおらんど  ぼんがはよくりゃ  はよもどる」そしてその下には説明文が刻まれていた。

「五木の子守歌と呼ばれ、全国民に愛唱されている歌謡曲は、もと球磨盆地の村々で年期奉公の子守娘がうたい広めた伝承の民謡である。いつの頃、いづれの乙女が歌い出たかもとより知るよしもないが、いまここに歌碑を刻み、これら無名の詩人、音楽家達に永く心の花束をささげます」と記してあった。

 

五木の子守歌は心に染みついている曲である。私も小さい時この子守歌で子守をされたり、あやされたりしたかもしれない。この民謡はこの地で作られ、伝承されてきたことを知ってこの地が身近になった。旅は心の琴線に触れる発見があるから面白い。

 

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今日の私のJR九州観光列車の旅は人吉駅から始まる。人吉駅は相良氏居城である人吉城をイメージして作られている駅舎である。ここから10時8分発の「いさぶろう・しんぺい1号」で吉松に向かう。

 

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いさぶろう・しんぺい1号

特急「いさぶろう・しんぺい」は熊本と鹿児島の吉松を結ぶ列車である。吉松行きが「いさぶろう」、熊本・人吉行きが「しんぺい」と明治時代の鉄道の偉人にちなんだネーミングになっている。沿線には急勾配を上るためのループ線や前進後退を繰り返しながらジグザグに上るスイッチバックがあるなど変化に富んだ路線である。また日本三大車窓の景色も楽しめる人気の高い路線である。

 

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大畑駅(おこばえき)駅舎

大畑駅は日本で唯一ループ線上に存在するスイッチバックの駅である。待合室の壁に名刺を貼ると立身出世するという言い伝えがあり、待合室の中といわず外といわず壁一杯名刺がはられていた。

 

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D51型蒸気機関車

沿線にある矢岳駅SL展示館では「デコイチ」として親しまれたD51型蒸気機関車を展示してある。そこに立ち寄って記念撮影をする。「デコイチ」に近ずくとその大きさに圧倒される。

 

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日本三大車窓の「矢岳越えの絶景」

この旅のハイライトは日本三大車窓に数えられる矢岳〜真幸(まさき)間で見られる「矢岳越えの絶景」である。えびの盆地越しに霧島連山の雄姿をのぞむことができる。眺望を楽しめるポイントでは車内アナウンスがあり、ビューポイントで列車が一旦停車してくれる。思う存分写真を撮り終えると列車はまた動き出す。

 

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はやとの風

吉松駅で「いさぶろう」を降りて、ここで鹿児島行きの「はやとの風」に乗り換える。「はやとの風」は「薩摩隼人」の鎧をイメージして漆黒の車体になったようだ。吉松から霧島を抜け、桜島を望みながら鹿児島中央駅に至る特急列車である。

吉松駅を発車した「はやとの風」は築110年の木造駅舎の「嘉例川駅」(かれいがわえき)に停車する。嘉例川駅は古き良き時代の温もりを今に伝える山里の無人駅である。

この駅には「にゃん太郎」というオス猫が住んでいるということであったが、今日は病気療養中ということで不在であった。

 

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はやとの風」から見た桜島

秋の色に変わり始めた霧島の山々の様子を楽しんでいたら、いつのまにか錦江湾が見えてきた。そして錦江湾の一角に噴煙を上げる桜島雄大な姿が現れた。刻々変わる桜島の勇姿を眺めていたら「はやとの風」は鹿児島中央駅に到着した。

 

 

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鹿児島中央駅構内

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指宿のたまて箱

鹿児島中央駅に到着したら、今日の最終目的地の指宿に向かうため「たまて箱」に乗る。竜宮伝説が伝わる指宿に因んで「たまて箱」という列車の名前になったようだ。名前だけでなく、浦島太郎の黒髪が煙とともに白髪に変わったということから、海側は白、山側は黒というユニークな車体の列車に仕立てられている。また乗降口では白い煙が出されていて、たまて箱らしい演出がなされていた。

 

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「たまて箱」車内

指宿のたまて箱は略称「いぶたま」と呼ぶようだ。この「いぶたま」の車内の特徴は

海側に設けられたカウンターシートである。カウンターシートに座り錦江湾を眺めると、まるでクルーザーのデッキにいるような感じである。カウンターシートに身を任せ、海を眺めながら美味しいコーヒーをいただく。美味しいコーヒーがさらに美味しく感じる。

コーヒーを飲みながら「いぶたま」は予定通り指宿に到着。今日の観光列車の旅を無事におえる。