ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

もだえ神の精神

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法政大学総長の田中優子先生の著書「苦海・浄土・日本」読んだ。この本の副題に「石牟礼道子 もだえ神の精神」と書かれてあるように、この本は著者が石牟礼道子さんとの対談を通して感じた石牟礼道子の精神と思想に迫るものである。「もだえ神の精神」とは苦しんでいることに対して、何もできないけれど、せめて一緒にもだえて、哀しんで、力になりたいという強い気持ちのことである。

 

石牟礼道子(1927〜2018)は天草に生まれ水俣市で育った。代用教員を得て主婦をしながら文学活動を行なった。そして郷里の水俣チッソの水銀汚染による水俣病が発生しその被害者の惨状を描いた「苦海浄土ーわが水俣病」を上梓し絶賛された。その後も多くの作品を発表し、世界文学全集の一巻にもなった。ノーベル文学賞にも値するとも言われてきたが、惜しくも2018年に亡くなった。

石牟礼道子が書いた「苦海浄土ーわが水俣病」の添え書きには「公害という名の恐るべき犯罪、“人間が人間に加えた汚辱”水俣病。昭和28年一号患者発生来十余年、水俣に育った著者が患者と添寝せんばかりに水俣言葉で、その叫びを、悲しみ怒りを自らの痛みとして書き綴った“わがうちなる水俣病”。凄惨な異相の中に極限状況を超えて光芒を放つ人間の美しさがきらめく」とあった。

 

私は「苦海浄土ーわが水俣病」をずっと昔若い時分に読んだ。読み終わった後の衝撃と感動を今も覚えている。しかし、若き読者であった私は、そのときは、何が作者をこれほど揺り動かしたのか、何が作者を悲惨な凄惨な現場に添寝をせんばかりに寄り添いさせるのか、何が作者に書き続けさせるのか、それを疑問に思うこともなく、作者の精神と思想に想いを凝らす事はなかった。今回、田中優子先生の著書「苦海・浄土・日本」を読み石牟礼道子の精神と思想に触れ理解し、私もその精神と思想に生きたいと思った。

 

以下「苦海・浄土・日本」より抜粋

『妊婦がメチル水銀を摂取して胎児に障害があらわれてしまう、その子らを「胎児性水俣病」と呼んだ。生まれ落ちたときから水銀毒をその身に抱え、脳の発育が不十分だったり、神経細胞に異常をきたしたり、言語障害や運動失調など様々な症状を抱える。言葉もしゃべれぬ「生き骸の娘を抱き晒し」母子で病魔に侵されながらも、裁判所や東京での抗議にその身を連ねる人々も多くなっていた。それを見て、水俣の心ない市民は「昔ならば見せ物小屋に売り出して、銭もうけしてよかような子供を持っとる衆が、東京までもさるきまわって、テントの小屋掛けして売り出しよる。もうかるげな」と聞こえよがしに言う。土地の人間は水俣病を「罰かぶり病」と呼んで、かかった本人に咎があるかのような忌まわしげな言い方をする。さらに追い討ちをかけたのは、チッソの社員の妻たちで、子供たちの行くリハビリ病院にまで偵察に来て、「なんだか気味が悪いわね。あのような気味の悪い子を産んで、見せびらかしたりしてね。どんな神経かしら。大きな声で言えないけれど、早く死んでくれた方が本人のためにはいいんじゃないかしらね。」と眉を顰めて囁き合う。』

 

水俣病と名付けられる前の「奇病」に侵された患者たちとの遭遇は石牟礼道子の魂を耐え難く震わせた。道子が水俣市立病院で最初に目撃したのは、水俣病の患者が「いまわのきわに、病院の真新しい壁に、深くうがってかきむしった無数の爪の跡であった」という。特別病棟の薄暗い二階廊下には、水銀の毒性によって発声や発語を奪われた、何とも形容しがたい「おめき声」が響きわたり、ただならぬ気配に満ちていた。意を決して、瞳に絶望を映し異形の姿で死にゆく患者たちを見舞ったとき、道子ははっきりと自分がこの世に残る意味を見いだした。』

 

水俣病に侵された漁師、釜鶴松がベッドからころげ落ち、床の上に仰向けになっている姿を見てしまう。「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。

「生ぐさいほら穴のような」病棟で、水俣病患者の「決して往生できない魂魄」に触れたこの日に、石牟礼道子の魂の奥底で、「もだえ神」が発動した。

道子がよく口にする「悶えてなりとも加勢(かせ)せんば」という言い方がある。これは、何もできないけれど、そこに駆けつけて一緒に闘い、一緒に苦悩する、せめて共にもだえることでなんとか力になろう、という切実な思いである。もだえ神の出現である』

 

『「水俣病を告発する会」が発足したとき、高校の先生をしている方が、「義によって、助太刀いたす」とおっしゃった。恰好いいですよね。今は、義ということが分からなくなっている。

道子はもだえの精神を「義」であり「徳義」だという。年齢も職業も立場も違う人々が差別され、苦しんでいる人たちを見捨てておけず、加勢する。闘争の声を上げつつ、互いに寄り添いあたため合う、死んだ先までも忘れ難い絆ーーーそんな共同体を道子はチッソへの抗議行動の中水俣の人々とともに実際に体現した』

 

『集落の中でも「あの人は徳の高い人だ」っていう人がいました。計算しないで人に尽くす人がいましたね。何か事件が起こると、何はともあれ見舞いにいく。ある家に怪我人が出たり病人が出たりすると、我が事のようにかけつける。でも何もしてあげることができない、ためになることをしようにも、そのやり方が分からん。心配して立っているんだけれども、何もできないんです。それでも「悶えてなりとも加勢する」と。悲嘆にくれるようなことがある家があると、真っ先にかけつけるんです。でも、チッソはかけつけてきてくれなかった。お金の問題よりもそれが一番の問題だと思うんです。チッソの人たちは、「悶えてなりとも加勢する」というのが何もありませんでした。』

 

チッソとは近代の象徴である。巨大な近代産業であり、巨大な権力である。その巨大企業チッソが垂れ流した水銀毒の恐ろしい被害に、道子のもだえの精神は沸点に達する。万物が呼吸する生態系を壊し、そこで生活を営む人々の健康やいのちを奪っても利益を優先させる巨大企業やそのシステムを後押しする国に対して道子たちははっきりと否を突きつけたのだった。』

 

太古から江戸時代を経て戦前まで続いていた日本の自然の豊かさは、戦後日本の経済発展の中で崩れていく。経済は発展するのに豊かさが失われていくとは、いったいどういうことなのだろうか?それは近代の夢想した豊かさが、自然を食い潰すことによってしか実現できないものだったという意味なのだろうか。

 

水俣の失敗は何も生かされず福島事故は起きてしまった。そしてそこに住む人が犠牲になり、犠牲者がいじめという排除を受けている。水俣と同じである。失敗に学ばず人間は同じことを繰り返す。

そういう世の中であっても、人間として「悶えてなりとも加勢せんば」という精神と思想を忘れずに生きていきたいと思う。