弟が亡くなって三回忌が来る。もうずいぶん経ってしまったなあと思ったり、亡くなったことが昨日のことのように思えたり、よくわからない。ただ、思い出すと、まだ生きていて欲しかったとそればかり思う。
弟は日蓮宗の僧侶で、地方の小さなお寺の住職をしていた。弟が僧侶をしているから、私は自分の死んだ後の葬儀からお墓に入るまでのことは弟がきちんとしてくれると信じていたので安心していた。「僧侶の弟がいると安心だ、いつ死んでもしっかり弔いをしてもらえると思うと心強いよ。」と弟に会うたびに話をしていた。順送りで行くと、私が先に逝って、残された弟は僧侶として、私の弔いをする。弟が僧侶で近くにいてくれて良かったと、この順番で物事は進むと馬鹿みたいに信じていた。また、兄の立場からすると、自分が死んだ後は弟にお経を読んでもらい黄泉の国への旅立ちをしたかった。それができなくなってしまい、本当に残念に思う。
弟は八月のある日、いつも朝起きて朝のお勤めをするのに、朝起きてこないから、不審に思った奥さんが部屋を除くと、そのままベッドの上で死んでいた。いわば、不審死みたいな状況であったために、警察も来て検死なども行われた結果、脳溢血による突然死と判名した。その前夜まで、帰省していた娘たちと談笑して、おやすみと言って部屋に入ったまま、翌朝は起きてこなかった。連絡を受けた私は、突然すぎて涙も出なかった。
弟が亡くなって以後、初七日忌から四十九日の忌明け、百箇日忌、一周忌を経て、ことしは三年忌になる。ここまで、弟の冥福を祈り、折々の追善法要を行ってきた。
弟は日蓮宗の僧侶であり、当然、私も同じく日蓮宗の信者である。しかし、弟が僧侶であるにもかかわらず、私は全く不熱心な信者であった。弟が亡くなる前までは、日蓮宗のお経を読むこともなかったし、お寺から法会の案内をもらっても、参加することはなかった。そのような兄であっても、弟は何も言わなかった。
弟が亡くなってから、私は、夜、目覚めた時など弟を思い出しては、心の中で弟に話しかけていることがあった。しかし、弟は何も答えてくれない。しかし、もう一度、弟と話をしたいと何度も思った。弟ともう一度話をしたい。弟ともう一度心を通わせたい。突然旅立った弟のことを思うと諦めきれなかった。
私は弟の足跡を訪ね、弟と心を通わせたいと思った。弟は日蓮宗の僧侶であった。弟が修行した寺院や関係の日蓮宗の寺院を訪ね、弟がしたように、そこで一心に日蓮宗のお経を読めば弟の心に通じるのではないかと思い、日蓮宗の寺院を訪ねお経を読むことにした。
2018年5月25日、まず初めに、山梨県の身延山にある日蓮宗の祖山である「身延山久遠寺」を訪れた。弟は若い頃、ここで僧侶になるための厳しい修行を受けた。弟にとって出発点の場所である。この日も、身延山の山々のあいだから南無妙法蓮華経のお題目の声明が絶えず聞こえていた。身延山から富士山が見えた。弟がここで見た富士山を私も仰ぎ見た。山頂にある「身延山思親閣」をお参りする。お経を拝読する。
2018年5月27日、次に訪れたのは東京池上にある大本山「池上本門寺」である。この寺院は日蓮聖人がお亡くなりになった場所である。また、この池上本門寺では、毎年亡くなった日蓮宗の僧侶の合同法要が行われる寺院である。弟もここで合同法要をしていただいた。日蓮聖人のお墓の前でお経を拝読する。
2018年5月28日 千葉県鴨川市小湊にある「小湊山誕生寺」を訪ねた。このお寺は日蓮聖人がお生まれになった御生家跡地に建てられたお寺である。お経を拝読する。
2018年5月28日 千葉県鴨川市清澄にある「千光山 清澄寺」を訪ねた。このお寺は、日蓮聖人が12歳の時にこのお寺に入り出家得度された場所である。さらに勉学修行に励み32歳の時、この地の旭が森で立教開宗の第一声をあげられた。旭が森でお経を拝読する。
2019年5月24日神奈川県藤沢市片瀬にある「寂光山龍口寺」を訪ねた。このお寺は鎌倉時代後期にあたる1272年9月12日、日蓮聖人がこの場所で処刑されそうになったとき、突然稲妻が飛んできて処刑役人の目がくらみ、恐れおののき、処刑が中止になった龍ノ口法難があった地である。
お経を拝読する。
弟は一心に日蓮宗のお題目を唱え、一心に法華経を唱えていた。しかし、僧侶であった時の弟の読経している声を、もはや聞くことはできない。私は弟の信仰の跡を辿り、一心に読経し、これからも弟と心を通わせたいと思う。