ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

出水薫氏の講演を聞く その2

 出水氏の講演を聞いて、日本国憲法について新たに知ったことがあった。講演の一部を記す

 「日本国憲法の平和主義は、憲法前文と9条とで成り立っている。前文において、日本国憲法における平和とは、恐怖と欠乏(貧困)から免れた状態である定義している。恐怖と欠乏(貧困)こそ戦争の原因であると日本国憲法は考えている。

 日本国憲法は、非武装の世界を実現するためには、強い主体性と積極的な行動が必要と考え、前文で次のように述べている。『我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』、さらに『国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う』と宣言している。日本国憲法の平和主義は、非武装世界の実現のために、名誉ある地位を占めるよう実践すると述べ、非武装でいられるために全力をあげて恐怖と欠乏のない世界作りに取り組むことを誓うと決意までも示している。

 私たちは日本国憲法平和主義をしっかりとかみしめたい。私達日本国民は、このような憲法の平和主義を理解して、実践してきたのだろうか。残念ながら目の前の国内の状況にのみ目を奪われてきたという反省が必要でないのかと思う。
 イスラエルのガザへの攻撃を考えてみたい。イスラエルは2007年からガザを封鎖した。そして、2008年末から09年1月にかけて封鎖したガザへの最初の攻撃を行なった。それを受けて国連は2009年に調査団を派遣した。調査団の報告は双方に戦争犯罪が確認できたが、量的にはイスラエル側が圧倒的に多いという指摘を行った。この報告書は国連総会で可決承認された。アメリカとイスラエルは当然反対した。この時、私たちの日本政府は、当時は民主党中心の連立政権であったが、この国連総会での決議の際に棄権をした。このような、私達の政府の外交は、憲法の平和主義の理念に決して叶うものではない。遡れば、1947年の国連でのパレスチナ分割決定からイスラエルによる民族浄化が開始され、48年のイスラエル建国宣言を経て、第一次中東戦争が勃発し、パレスチナでの破壊殺戮が行われ、多くのパレスチナ人が難民となった。さらに、1967年の第三次中東戦争を契機に、イスラエルパレスチナ全域を占領して、今日まで事実上の植民地支配を行っている。国連創設後、最も長く続く国際法違反の軍事力行使である。しかし、2014年には安倍政権はイスラエルとの包括的パートナーシップ宣言を出した。このとき、果たして私達は憲法の平和主義に照らして考え行動したであろうか。

 憲法が恐怖と欠乏のない世界を平和と定義しているにもかかわらず、世界最大の天井のない監獄と呼ばれる封鎖されたガザで、恐怖と欠乏の中、多くのパレスチナの人が虐殺されてきたことを放置してしまった。憲法前文の末尾に宣言しているように国家の名誉にかけ、全力を上げることなく、結果としてイスラエル帝国主義の蛮行を放置してきた。憲法平和主義を大切だと考えながらも、私たちは残念ながら、憲法前文が誓う世界への貢献を視野に入れた実践を十分には行ってこなかったことを大いに反省すべきと思います。

ではどうしてそうなってしまうのか、おそらく、その最大の理由は私たちが余裕のない生活を強いられているからではないかと思う。貧すれば鈍するという言葉のように、困窮すると考えが浅はかになる。
 日本の世帯所得の一番多い層は200万から300万円の層である。ちなみにOECD相対的貧困の定義からすると、日本の世帯主の5人に一人、2割が貧困ということになる。
 恐怖と欠乏(貧困)のない状態を平和と考える憲法平和主義の立場からすると、現状においては、そもそも国内が平和ではないと言わざるを得ない。

さらに私達は経済的のみならず、時間的貧困にも直面している。団塊の世代が大量退職したため人手不足といわれ、仕事はある。しかし、多くの仕事は低賃金で残業をしないと食べていけない仕組みになっている。働いても時間的に余力が持てない働き方を強いられている。経済的、時間的貧困は、また交戦的な対外強硬論者や国粋主義者を招き入れる温床になっている可能性もある。憲法の平和主義をめぐる課題は軍事や外交や国際関係に限定する必要はない。恐怖と欠乏(貧困)のない世界の実現は国内政治の中に課題がある。そして、その問題は国境を超えて全世界へつながっている。憲法はそのように理解している」

 私は憲法の平和主義を支持する。しかし、恐怖と欠乏のない世界の実現という平和主義の目標は、手を拱いているだけでは実現できないと憲法ははっきりと明言している。恐怖と欠乏のない世界の実現のため行動し実践することを求めている。さらに、平和主義の課題は軍事や外交や国際関係に限定する必要はない。私たちの生活そのものが貧困であっては平和は維持できないという思想である。

私は憲法平和主義の理解が浅かったと反省する。恐怖と欠乏のない世界を実現するためにもっと真剣に国内国外ともに目を向けるべきであったと思う。日本国政府憲法平和主義に従って仕事をしているかを監視し、憲法平和主義に反した政策をとっているのであれば、断固抗議し倒閣運動さえ起こすべきであったと思う。日本国民として憲法平和主義を望みながら、実際はそれに反する政策も見逃し、自由に好き放題にさせていたことを大いに反省する。憲法平和主義の実践はまず、日本国政府憲法平和主義に従って行動しているかどうか、しっかり監視することから始めなければと思った。