ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

2022年を振り返る

2022年もいよいよ暮れようとしている。2022年を振り返ると、個人的には何も問題ない、まさに“日々平凡、日々平穏”の一年であった。しかし、心の中は不安と憂鬱な感情がますます大きくなった一年であった。不安と憂鬱の原因は他でもない日本の政治である。

 昨日、ネットで元外務官僚の孫崎享氏が「敵基地攻撃、反撃能力は日本を破壊の道に進める。簡単な例は真珠湾攻撃を考えればよい。敵の軍艦、戦闘機を破壊し米側戦死者は2,334人。その結果どうなったか。最終的に日本は軍人212万人、民間人は50万人から100万人の死者。この愚を繰り返したいのか」という論文を読んだ。

 私が不安と憂鬱に思うことはまさに孫崎亨氏が述べていることである。戦争への危機である。先の大戦で、日本は真珠湾攻撃という先制攻撃で華々しい戦果を上げて戦争の火ぶたを切ったが、その結果300万人という日本人の死と国土の焦土化という結果を招いてしまった。そして、多大な犠牲を踏まえて、歩み出した祖国復興の中で、二度と同じ過ちは繰り返さないという決意で、日本国憲法に平和主義を掲げて再出発をした。その平和憲法が、なし崩しに破壊されている現状を考えると不安と憂鬱でしかない。

日本国憲法は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の三原則によって構成されているが、その日本国憲法は他国からの押し付けられた憲法だから改憲すべきという主張をする人がいることは知っている。亡くなった安倍晋三元首相も改憲論者であった。安倍元首相の時に作られた自民党改憲案では、旧大日本帝国憲法への回帰志向が色濃いものであり、彼は「国民主権」も「平和主義」も「基本的人権の尊重」もいずれも日本国及び日本国民にとって望ましくないと思っていたようだ。日本国憲法を理解しない人物が日本国の首相に就任すること自体が本来はあってはいけないことなのに、自民党の長期支配によって国が歪められてしまった結果として、とんでもない首相が生まれてしまったことになる。

日本国民をとんでもない方向に引き摺り込もうとしている人物が凶弾で倒れて、日本はこれから少しはまともになるかなと思う間もなく、事態はますます危険な方向に進んでいった1年であったと思う。今の自民党では、誰がリーダーになっても進むべき道は同じで、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三原則の破壊に向かって突き進むだけであるということがわかって、不安と憂鬱がますます増大した一年であった。

今の自民党改憲案は、なぜ「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三原則を徹底して否定するのか国民の立場からすると不思議に思う。旧大日本帝国憲法には存在しなかったこんな良いものを、どうして自民党案は徹底して否定するのかその理由をいろいろと考えた。私は、それは立場の違いから否定するのだと考えた。自民党世襲議員などは自分のことを一般国民とは思っていないのではないかと思う。彼らは自分のことを一般国民ではなく統治者と思っているようだ。自分を統治者であると自覚する自民党世襲議員にとって、日本国憲法が「統治者は国民」としていることについて、とても容認できない憲法と考えているようだ。また、統治権を自由に振り回そうと思っても日本国憲法には「基本的人権の尊重」があって、なかなか思うように統治権を自由に振り回すことができない。彼らにとって「基本的人権の尊重」ほど邪魔なものはないと思っているようだ。旧大日本帝国憲法のほうがよっぽど使いやすいようだ。また、現在の自民党政権の基本方針はアメリカ追随である。それも日本はアメリカの属国とか属州とか言われるほどで、独立国の体をなしていないともいわれている。そのアメリカは常に戦争を続けている国である。そのアメリカから戦争協力を求められたようで現在、積極的に戦争準備に取り組んでいる。軍事費の増額を内閣で決定したことについてアメリカ側から支持する、よくやったと言われたようだ。アメリカの言いなりになることが、アメリカの支持を受けて政権が1番安定するというメリットがある。だからどんな無理難題で日本国にとって不利益であっても、アメリカの言いなりになるのがベストという判断を自民党世襲議員はする。彼らにとっての判断基準は、常に国民の利益ではなく自分の利益である。そういう自民党政権にとって、日本国の平和主義は邪魔でしょうがない。だから、旧大日本帝国憲法のような憲法改憲しようとしているのだと思う。

今の自民党の議員の多くは金儲けのための政治に邁進している。国民のため国家のためではなく個人の利益のための政治である。彼らには政治に対する確固とした信条や信念が見られない。口にする言葉はその場しのぎの耳触り良い、しかし中身のない言葉ばかりである。岸田文雄首相がそうである。岸田首相の政治は自己保身の政治である。原発再稼働も防衛費増額も敵基地攻撃能力も政権地盤のない岸田首相にとって政権支持につながればなんでもやる。自民党から岸田首相の代わりを出しても同じである。自民党政権を打倒するしかこの不安と憂鬱は払拭されない。

私が子々孫々に残したいものは平和主義日本である。戦争は絶対しない。一人になっても声を出し続けようと思う。