ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

介護離職

 まもなく母は90歳になる。母は一人で実家に住んでいる。今まで、衰えを知らず元気過ぎて困ると周りから冗談を言われていた母に、90歳を目前にしていろいろと問題行動が見受けられるようになった。

 

「早朝から電話が鳴り起こされた。急いで電話に出ても切れている。しかも、着信記録が出ない。気味が悪い」ということをたびたび言うようになった。「それは気のせい。電話は鳴っていない」と教えるが、「気のせいなんかではない。はっきりと電話の音が聞こえる。」と言って納得しない。

 

お金をおろしたいから銀行に行きたいというので銀行に連れて行く。いつものように銀行の駐車場に車を停めて、一人でATMに行かせる。しばらくすると戻るはずなのに、なかなか戻ってこない。 どうしたのだろうと思って銀行の中に入って行くと母がATM のそばで立ちすくんでいる。「どうしたの?」と聞くと「暗証番号が思い出せない」と言う。いつもやっていることが突然できなくなってきている。

 

家族全員で焼肉屋さんに行く。料理を注文して、それぞれのコップにビールを注いで乾杯をする。そして、焼肉を食べ始める。しばらくして、母が「今日は乾杯しなかったね。」と言い始める。みんなびっくりする。今さっきしたよ。と言っても「そうかな?」という反応をする。

 

年を取ると物忘れが多くなる。母も体力的に元気と言っても物忘れなどは気にならない程度で起こっていたのは確かである。しかし、最近の物忘れはハッとさせられることが多い。確実に短期記憶に障害が起こっている。

 

このような母を目前にして、私にもいよいよ介護の季節が来たようだと思う。私は一年の半分を仕事で留守にする。今まで、家を留守にできたのは母が心身ともに健康で何も心配がなかったからである。しかし、著しい記憶の低下が見られるようになった母を一人住まいさせるわけにはいかないと思うようになった。

 

介護離職という言葉がある。親の介護のため仕事を辞めることである。

その介護離職がいよいよ私にもやってきたようだ。私の仕事先は五島列島福江島である。私は一年の半分を福江島で過ごす。私は福江島で仕事をするようになってこの島の魅力の虜になった。「冬ぬくき島に老ゆ身のありがたく」という高浜虚子の愛弟子である大野きゆうの句があるように、夏も冬も一年中過ごしやすい土地である。私は福江島で老いること夢見ていた。その五島で、もはや生活できなくなることの淋しさと諦めがつかないくやしさが心に起こって、母の状況はまだ大丈夫と自分に言い聞かせようとしたり、「私のために仕事をやめるなんてしないで!」という母の主張を自分に都合良く取り入れようとしたりその葛藤の中で悩み抜いた。そして、最終決断として介護離職することを決断した。

 

介護離職によって福江島に行く機会がなくなる、福江島に限らず、社会参加の機会がなくなることを考えると、諦めたといっても何か寂しい気持ちが募る。 介護の経験はないが、自分の親だから否応無しに介護の道に進むしかない。これからの介護がどのような道になるのか想像つかないが、新しい道を歩むという思いで一歩踏み出していこうと思う。