ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「保守」について考える

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私は自分のことを保守的な人間と思っている。進歩的とか改革的とかの進取の気性に欠けるから改革的の反対語である保守的な人間と思う。悪い意味ばかりでなく良い意味でも保守派を名乗ってきた。

 

ところが、森友問題に関する公文書改竄、加計学園獣医学部新設における不正、イラク派遣における日報の隠蔽、裁量労働制のデーター捏造、憲法の恣意的解釈、共謀罪、秘密保護法、TTP、カジノ誘致、派遣法の改悪などなどデタラメな政策をやってきた安倍晋三という政治家は自らを保守と思い、多くの国民も彼を保守派の政治家と見ているという記事を読んで、それ以来保守派と名乗ることは恥ずかしいことだと思うようになった。

 

そして何かすっきりしない気持ちを持ち続けていた時、「エセ保守が日本を滅ぼす」というタイトルの本を見つけた。著者を見ると適菜収氏である。この本は適菜収さんと山崎行太郎さんの対談本である。早速読んでみたら納得することばかりで胸の痞えが下りた。

 

その本の中で、『安倍晋三が保守だというのは大間違いです。彼がやってきたことは保守とは何の関係もありません。むしろ日本の伝統や文化や国柄を破壊するようなことばかりやってきました。象徴的なのが2013年にアメリカで「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」と述べたスピーチです。国境や国籍にこだわらないというのは、グローバリストの発想です。決して保守の発想ではない。また、安倍政権を支持してきた人たちについても同じく保守でも右翼でもない。安倍政権を支持してきたのは、利権がある連中(財界)か、反左翼の思考停止した連中(保守系論壇に多い)か、新自由主義を保守と勘違いしているバカか、関連の宗教団体、それに安倍政権の改革思想に踊らされた大衆である』と断じていた。

 

適菜氏は保守について以下のように述べている。「保守とは何かということを、簡単に定義すると、人間理性に懐疑的であることです。もともと保守主義フランス革命に端を発します。フランス革命革命を主導したロベスピエールは、理性によって社会を合理的に設計することを目指しました。しかし、フランス革命がもたらしたものは、地獄そのものでした。自由の名の下に自由が抑圧され、社会正義や人権の名のもとに大量虐殺が行われた。伝統が無視され、人々は素朴に暮らすことができなくなった。そうした潮流に対抗し、日々の生活を守ろうとしたのが保守主義です。そのため、保守主義は近代啓蒙思想をそのまま現実社会に当てはめることを警戒します。抽象的なものを批判し、現実に立脚しようとします。もっとも保守は近代啓蒙主義を全否定するわけではありません。節度ある自由や節度ある平等、節度ある改革は認めます。イデオロギーや理念に流されず、現実とのバランスをとらなければならないーーーーこれが保守の考え方です。」

 

この本の中で、江藤淳氏が保守について述べたことも記されてあった。「保守主義は「主義」がついているけれども、イデオロギーではない。保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義イデオロギーはありません。イデオロギーがない、これが実は保守主義の要諦なのです。(中略)

1897年(明治30年)にイギリスのアームストロング造船所で、英国労働争議史上に特筆されるような大争議がありました。このとき欧州大陸からドイツの社会主義インターナショナル系を中心とするオルグが続々とイギリスにやってきて、労働者をイデオロギーによって組織しようとした。ところがイギリスの労働者たちは、このイデオロギー信奉者たちを追い返してしまった。俺たちは労働時間を短縮し、賃金を上げてもらいたいだけで、わけのわからない主義は必要ないと。」

 

保守主義自由主義が混同されてきたことについて、

「なぜ保守主義自由主義が混同されるようになったかと言うと、一つには冷戦の影響があります。冷戦時代には現実にソ連の脅威があったから、反共という点で保守は自由主義者たちと共闘できる部分がありました。ところが、冷戦が終わった後も一部の保守派が、自由主義こそ保守の本質だ、と言い出した。反共に熱中すると、自由主義の危険が見えなくってしまう。自由は手放しで賞賛できるものではありません。自由が暴走すると新自由主義アナーキズムに行き着き、逆に自由の息の根を止めてしまいます。保守は自由主義でも共産主義でもありません。」と適菜氏は述べていた。

 

私は、自信を持ってこれからも保守派を歩んでいこうと思う。保守には「まっとうな保守」と「エセ保守」の二つがある。もちろん行く道は「まっとうな保守」しかない。