ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

伊王島散歩

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五月晴れの1日、室内に籠るのは勿体ないと思い散歩することにした。でも時節柄、三密を

避けなければならない。三密にならないで、近くて景色のいいところを考えていたら伊王島灯台公園が思い浮かんだ。そこで、今日は伊王島散歩に行くことにした。

 

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青ピンからスタートして青ピンに戻る①「伊王島灯台公園コース」と赤ピンからスタートして赤ぴんに戻る②「俊寛ものがたりコース」を散歩する。総距離は3.02km、上昇高度110m、天気晴れ、温度18度、湿度51%

 

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伊王島灯台公園に行く。ここからの眺めはいつ見ても良いが、特に五月晴れの今日は楽しみである。公園の遊歩道を心地良い風を受けながら歩くのも気持ちがいい。この灯台高倉健さんの最期の主演作品となった「あなたへ」という映画のロケ地になった場所でもある。白い灯台が見えるこの場所で高倉健さんが物語の鍵となる絵手紙を手渡す場面が撮影された。高倉さんのフアンにとっては伊王島灯台は聖地でもある

 

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伊王島灯台は慶応2年(1866年)イギリス・アメリカ・フランス・オランダの4カ国と結んだ、江戸条約により約定した全国8灯台の一つである。 英国人技師ブラントンの設計指導により明治4年7月反射器21個を設置して第一等灯台として正式に点灯した。灯台は6角形で我が国最初の鉄づくりであった。光り方:30秒間に4回白いせん光を発する。光の強さ:15万カンデラ  光の届く距離:20.5海里(約38km)   高さ:地上から11m  水面から64m

 

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この場所は長崎港の出入り口に当たることから、洋式灯台が設置される以前の鎖国時代においては旗立所として南蛮船入港の目印とされていた場所でもある。文政6年(1823年)に初来日したシーボルトの手記には「船は伊王鼻をまわって出島に向かった。振り返ると伊王鼻の高台にオランダ国旗が翻っていた。」という記述がある。この場所は日本の海の夜明けの時代から今日まで航海の案内と安全を守ってきた場所である。

 

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公園の遊歩道を下っていく。緑のトンネルみたいになっている小道を潮騒を遠くに聴きながら下りていく。しばらく行くと白いペンキで塗られた洋風の大きな建物の場所に出る。この建物は灯台に付属する官舎である。日本で最古の無筋コンクリート造である。現在は資料館として使われている。

 

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資料館を通り過ぎて戻っていくと、オシャレなカフェが目に入った。「岬カフェ」と書いてある。グッドタイミング。青い海を見ながら美味しいコーヒーを飲みたいと思って近づくが、残念。閉店中であった。仕方がない。今度、妻と一緒に来た時の楽しみに取っておくことにして、伊王島灯台公園をあとにする。

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俊寛ものがたりコース」を散歩する。伊王島港の近くの駐車場に車を停めて、そこから再び散歩を始める。伊王島はリゾートアイランドである。伊王島港のすぐ近くにはやすらぎ伊王島始めリゾート宿泊施設が立ち並んでいるが今はコロナで開店休業の状態である。人の通りが少ない。早く賑わいが戻って欲しいと思う。

 

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散歩を始めたらすぐに海岸に赤い鳥居と海の中に恵比寿さんを見つけた。この時間は干潮で鳥居は水に浸っていないが、満潮になると右の写真のように安芸の宮島みたいに海の中の鳥居になる。

 

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海岸から山手の方に進む。俊寛僧都にまつわる版画や像が宝蔵されている円通寺の横を通り、白髭神社の鳥居をくぐり抜けて階段を上っていくと俊寛僧都を祀った公園に出る。

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長崎市指定有形文化財俊寛僧都墓碑」

治承元年(1177年)、俊寛僧都は平家打倒の密議が発覚し、藤原成経、平康頼とともに島に流された。その流された島が、ここ伊王島であるという言い伝えが古くから残っている。のちに、藤原成経、平康頼は赦されて京都に帰ったが、俊寛一人は島に残されこの地で亡くなり、召使いの有王丸が丘の上に葬ったとされている。

宝暦6年(1756)天龍法師は、長崎の儒学者である勝木枕山らとともに俊寛の墓碑を建てたが、天保14年(1843)の台風で倒壊した。現在の墓碑は、弘化2年(1845)勝木常永らによって再建されたものである。

 

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北原白秋の歌碑

昭和十年、北原白秋俊寛僧都の遺跡が伊王島にあると聞き、六月に島を訪れた。俊寛の哀史に心うたれた白秋は昭和十七年多摩詩に伊王島と題して長歌一首と反歌を詠んでいる。昭和二十五年県下の文人や地元の人々の篤志によって、この歌碑が建てられた。

「いにしえの流され人もかくありて  すえいきどおり海をにらみき」

 

今日の散歩は平安時代から近代までの長い歴史を訪ねる散歩となった。源平時代の俊寛僧都の事件と鎖国時代から開国までの間に、この小さな島の中を駆け抜けた歴史を辿る散歩であった。これからもコロナに注意して歴史散歩を続けたい。