今日の長崎新聞に伊王島灯台の記事があった。伊王島灯台は今年2021年で設置から150周年を迎えるという記事であった。
伊王島灯台は、1866年に江戸幕府が英、米、仏、蘭の4カ国と結んだ江戸条約で国内に建てることを約束した8灯台の一つである。1871年に本点灯し、同年を灯台設置の起算点としていると書かれていた。
伊王島灯台が歴史上に登場したのが150年前という記事を読んで、何か違和感を感じた。今から150年前の1871年は明治4年である。伊王島灯台の150年という歴史はあまりにも浅すぎる。もっと古くからあったはずなのにという気持ちである。伊王島灯台の案内板に何か書いてあったように思う。今日は天気も良いので散歩を兼ねて案内板を見に行くことにした。
伊王島灯台に到着。伊王島灯台は島の北端の高台に建てられた灯台である。灯台周辺は公園が整備され市民にとって憩いの場になっている。公園の案内板で伊王島灯台の歴史を再確認する。
案内板には以下の通り書かれていた
『旧旗立所ー南蛮船入港の道標ー
「船は伊王鼻をまわって出島に向かった。振り返ると伊王鼻の高台にオランダ国旗が翻っていた。・・・・・・・。」これは文政六年(1823年)初来日したシーボルトが、長崎入港の模様を綴った手記の一部である。
また文政九年(1826年)に作られた「鍋島海防地図」にもこの地が旗立所として記録されている。
長崎の開港(元亀二年・1571年)当時、ポルトガル船員はこの伊王島を「ガバロス島」と呼んで長崎入港の目印としていたという記録が残っている。
その後、慶応四年(1867年)に灯明台、明治四年(1871年)に洋式灯台が建てられることになった。
この高台は、日本の海の夜明けの時代から、航海の案内と安全を守ってきた場所である。』と記されていた
この説明文を読んで納得した。
私はこの地が当初、旗立所であった歴史と幕末から始まった西洋式灯台の歴史とをミックスしていたようだ。確かにこの地に九州で初めての西洋式灯台が設置されてその歴史が150年になるのはわかった。さらに、この高台のこの地の歴史は西洋式灯台ができるより前の450年前から長崎港に出入りする船の案内と安全を果たす道標であったということも再確認できた。450年前、遠くヨーロッパから星を頼りに長崎を目指して遠洋航海を続けてきたポルトガルの船員はガバロス島(伊王島)を見たときの嬉しさは格別のものだったろうと想像する。この地に立つと遠い時代の声が聞こえそうな気がする。
灯台公園の遊歩道を散歩する。青い空、青い海、穏やかな天気、太陽の暖かさ、コロナの心配のない新鮮な空気、すべてに満足である。ぜいたくなひと時である。遠くに白いフェリーを見る、五島フェリーだ。五島が懐かしい。また、五島へ行きたいと思う。
遊歩道の途中には休憩用のベンチなどが整備されていて、なかなか親切設計である。しばらく行くと、洋風の建物が立つ場所に来た。ここは灯台建設と同時に建てられた職員用の官舎である。現在は灯台資料館として使われているが、残念ながら、本日は休館であった。
赤ピンの駐車場へ戻る途中に、岬カフェが目に入った。アップダウンの遊歩道を散歩してたら喉が渇いた。岬カフェで何か飲みたいと思い立ち寄った。スタバみたいにスタッフさんがいるのかなと思ったら誰もいない。張り紙を見たら、一杯100円のセルフカフェである。飲めるのは日本茶とりんごジュース。りんごジュースは冷蔵庫から自分で取り出して自分の紙コップに注いで飲む。お茶は長崎の有名な彼杵茶と世知原茶が用意されている。そして日本茶は自分で美味しく淹れることを売りにしているようだ。
日本茶が欲しい人は茶葉を1人分取り、小さなフライパンで茶葉を焙煎する。程良く煎ったらそれを濾過紙に入れてお湯を注いでお茶を入れる。もちろんお湯も自分で沸かす。なかなか手が込んだお点前を自分でやらなければならない。丁寧にやればやるほどその分美味しくいただくことができる。自宅ではやらないがやってみたら香りがまったくちがう。お茶の香りの良さを再認識できた。自宅でも今度やってみようと思う。自分で苦労して入れたお茶を持って海が見える場所へ行き、デッキチェアーみたいな大きな椅子に体を預けてお茶をいただく。美味しさが違う。
今日は伊王島灯台の歴史を再確認できた。そして今日は岬カフェで日本茶の美味しい淹れ方を知った。日本茶の香りの楽しみ方を知った。少し得した気分になった。