ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「敗北を抱きしめて」を読む

f:id:battenjiiji:20200617145243j:plain
f:id:battenjiiji:20200617145308j:plain


この「敗北を抱きしめて」という著書はアメリカの歴史学者で日本近代史を研究課題としているジョン・ダワー氏が2001年に日本語版として出版したものである。

 

f:id:battenjiiji:20200617145659j:plain

日本帝国の拡大と崩壊

長い鎖国時代にあった日本は、1853年アメリカの黒船艦隊の来航によって開国することになった。そして開国後、明治時代を迎えた日本は西欧列強の真似をして、帝国主義国家としてアジアへ進出していった。1895年、大日本帝国は中国と戦い勝利し、日本は最初の植民地である台湾を手に入れた。それから10年後、1904年ロシアと戦い勝利し、満州に足場を築き、第2の植民地として朝鮮を奪い取る道を開いた。1914年、第一次世界大戦では日本は連合国の一員として参戦しドイツが中国に持っていた権益を手に入れた。そしてドイツを処罰するベルサイユ講和会議では日本は五大国の一つとして席を与えられた。

 

その後も1931年日本は満州を奪取し、1937年中国への全面侵略を開始し、1941年には真珠湾を攻撃した。このとき、日本の「大東亜共栄圏」は北はアリューシャン列島から、南は東南アジアの西洋列強の植民地までつかみとっていた。しかし、1945年(昭和20年)大東亜共栄圏が敗戦を迎えた時その遺産は死と破壊のみであった。中国だけで1500万人が死んだ。そして約300万人の日本人と大日本帝国のすべてが失われた。1868年(明治元年)以来、拡張を続けてきた領土の全てを失い、さらに1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)まで連合国軍に軍事占領された。1952年4月サンフランシスコ講和条約が発効され軍事占領が解除され、日本国は正式に国家としての全権を回復し、明治元年当時の領土を保持して再出発することになった

 

 

 

 

作者はこの本の中で、1945年(昭和20年)第二次世界大戦に敗れた後の日本を描き出している。そこには多くの人物が登場する。政財界の支配層や富裕層だけでなく貧困層も中間層も、都会の住人だけでなく農村の人々も、伝統を守ろうとする人も壊そうとする人も、名の知られた知識人も庶民も、大人も子供も、あらゆる階層の人々が登場する。本の中で、彼らが体験した敗北の苦難と苦しみを、再出発しながら経験したことを、そして彼らがあげた「声」を拾い上げている。作者は敗北という悲惨な歴史の瞬間の声に耳を傾けこの本まとめている。

 

その中で著者は語っている。

「多くの人の声に耳を傾けまとめることができたことは、「平和」と「民主主義」であった。悲しみと苦しみのただ中にありながら、なんと多くの日本人が「平和」と「民主主義」の理想を真剣に考えていたことか、より良い世界を作りたいという心底からの願い、「民主主義」は実現できるのだという本気の理想主義、そして単に以前よりも自由な社会を作ろうとしただけでなく、暴力の愚かさをよく理解し、軍事に頼らない平和の実現を目指したことを知って驚くと同時に心が温まる勇気のわく発見であった。」

 

「とはいえ、それは戦勝国アメリカが占領の初期に改革を強要したから発生したものかもしれない。しかし、世界の数ある敗北のうちでも最も苦しい敗北を経験した日本人が、アメリカ人の強要する主張を好機と捉え、「よい社会」とは何なのかという、この途方もない大問題を敗戦の直後から自問し、この国のすみずみで、男が女が、そして子供までが、この問題を真剣に考え求め続け見出したものであった。」

 

そして、作者は最後に述べている

「新しい世紀において、自分たちの国は何を目標とし、何を理想として抱きしめるべきか。今日の日本の人がそう自問するとすれば、それはあの恐ろしい戦争のあとの、あのめったにないほど流動的で、理想に燃えた平和の瞬間である、あの時代こそもっとも重みのある歴史の瞬間として振り返るべきものではないだろうか」

 

この本を読み終えて、1945年日本は無条件降伏で敗戦を迎え、飢えに喘ぐ生活、軍事占領下で誇りを奪われ、不自由な生活の中、多くの国民があらゆる場所で新生日本の道筋や形を語ったことを知って感動さえ覚える。あの当時、先達が描いた「平和」と「民主主義」という日本の形を決して忘れず、これからも歩んでいきたいと思う。