ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「影をなくした男」を読む

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「影をなくした男」シャミッソー作


梅雨に入り、毎日毎日雨が降り続いている。晴耕雨読という言葉があるが、私は畑を持っていないので、晴れている日に畑仕事はできない。しかし、雨の日はこの熟語通り、図書館から本を借りて、本を読み耽ることにした。本を読みたいと思いながらも普段は雑用に追われてなかなか集中して本を読めないこともあるが、そういう意味では梅雨もいいなと思う。

 

今日は、フランスの作家シャミッソーが書いた小説「影をなくした男」を読んだ。シャミッソーはフランスの名門貴族に生まれ、世が世であれば爵位を継いで優雅にフランス貴族の生涯を送っていたはずの人である。だが1790年に起こったフランス革命により、貴族の特権を剥奪され、一家はベルギー、。オランダを転々としてプロシアの首都ベルリンに落ち着いた。1806年、シャミッソーはプロシア軍の士官になりナポレオン戦争に駆り出され、ハーメルンの戦いで捕虜になった。自分の祖国を敵として戦うことに嫌気がさしたのだろう。解放されるとベルリンに戻らずフランスに行った。ドイツ人の中にあってはフランス人とみられ、フランス人からはドイツ人とみなされ、どちらにおいてもまともに扱ってもらえない失望づくめの青年はパリとベルリンを往復する遍歴時代を過ごした。この作品は1813年にベルリンで書かれている。

 

この物語のあらすじは、一人の若者が「影を売ってください」と、ある男から声をかけられる。若者は影を売ることを最初は躊躇するが、男が持っていた無尽蔵にお金が出てくる「幸運の金袋」と交換してしまう。若者は「影」を売ってしまったが、そのかわり「幸運の金袋」を使って大富豪になる。しかし、影がないということで思いを寄せる人と結婚できず、また誰からも相手にされなくなる。その後、若者は男に「幸運の金袋」を返すから「影」を返してもらいたいと懇願する。男は一つの約束に同意すれば「影」も「幸運の金袋」もあなたにあげると言って、一つの約束を提示する。それは「若者が死んだ後の魂を男に渡す」という約束であった。話はその後も続くが「影」が一つの大きなテーマである。

 

この「影」は何を意味しているのかについては、著者であるシャミッソーの青年時代の体験から考えて「民族」を表していると言われている。「影」を民族と考えると納得できることは多い。

 

この小説には無尽蔵にお金を作ることができる「幸運の金袋」とか、被るとたちどころに透明人間になれる「隠れ蓑」とか、一歩歩くと7里を行く「魔法の靴」の話など奇想天外なことがいろいろと出てきて楽しくなる。「祖国をなくした男」という大きなテーマが含まれているのだが、話は子供向けの冒険談みたいな話の展開で何よりもまず楽しめる本であった。

 

本を読み終えてテレビを見ていたら、河井夫妻逮捕のニュースが流れていた。法相経験者が逮捕されることも、国会議員の夫婦が逮捕されることも史上初というようなことを言っていた。逮捕容疑は2600万円の買収疑惑である。

 

2600万円を配ってもそれ以上の実入りがあるということは政治家はよほど儲かる商売らしい。政治家には二つのタイプがあると聞いたことがある。一つは政治信条の実現を目指して政治家になった人、一つは政治信条などは持ち合わせず、ただお金儲け目的で政治家になった人の二つのタイプである。国民にとってお金儲け目的の政治家は百害あって一利なしである。河井夫妻はもちろんお金儲け主義の政治家ということになろう。河井夫妻は選挙で当選すべきではなかったけど当選した。なぜか大多数の選挙民が河井夫妻がお金儲け目的の政治家ということを見抜けなかったからである。

 

今日読んだ「影をなくした男」のことを思い出しながら、何とかして政治家の二つのタイプを見抜く方法はないものだろうかと考えた。例えば、政治信条をしっかり持っている政治家はちゃんと影があるが、政治信条などは二の次で金儲け目的の政治家には影が無いというようにはっきりとわかるようになれば、投票する人は間違わないのにと思う。

 

このように判別する機械はできないだろうか?もしできたら、現在の日本の政治家の半数は影がないのではと思ってしまう。特に、利権政治を糾弾されている首相はじめ現政権の大臣は全く影はないのではと思うがいかがだろう。

この小説を読むと発想がドラエモン式になってしまう。解説を読んでいたら、ドラエモンの作者はこの小説の奇想天外の展開にヒントを得たと書いてあった。