ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

姉の通院に付き添う

 

私は現在70歳である。私は三男一女の四人兄弟の三番目になる。一番上は姉で今年79歳で、今も健在である。二番目の兄は44歳の時に亡くなった。一番下の弟は3年前に64歳で亡くなった。

3年前に一番下の弟を送った時に私は姉と話をした。「いよいよ兄弟二人になったね。お互い出来るだけ健康に注意して長生きしようね。どちらか先に逝ったら、もう兄弟のことを話す相手がいなくなるよ。亡くなった兄弟のことをいつまでも話したいからいつまでも元気でいようね。」と話し合った。

 

先日、姉から電話をもらった。

「担当のお医者さんから、病状の説明をするので家族と一緒に来るようにという話があった。病院に一緒に行って欲しい」という話であった。

姉は10年前に夫を亡くし、今は一人で住んでいる。姉には40代になる子供が二人いるが、二人とも都会に出ている。新型コロナ感染拡大もあり、自由に行き来できない状況ですぐに帰って来れない。

「いいよ。私はサンデー毎日だし特別用事はないからいつでも行くよ」と答えた。

 

今日は姉に付き添って通院する日である。

姉は20年前に大腸癌を発症した。そのときは手術をして癌を取り除いた。手術後は5年間くらい定期的に精密検査をしながら経過観察をしてきた。5年を過ぎて再発が見られず、完治したというお墨付きをもらった。

 

それから15年以上、元気に過ごしてきた。癌は再発しなかった。姉の癌は本当に完治して良かったと安心しきっていたところ、昨年の6月に大腸に癌が新しく見つかった。前回、手術をして20年も経つのに同じような癌が再発するのは非常にまれであると担当医の先生も驚いていた。幸い発見が早く、病巣も小さく外科手術で癌を削除することが可能ということで手術を行った。手術は成功であった。

 

退院後は手術後の経過もよく、以前の日常生活を取り戻して、近所の人や友達に囲まれて元気に毎日を過ごしていたが、今年の1月に異常を感じて診察を受けたら癌が肺に転移していることが判明した。肺癌である。姉の肺癌は小さな病巣が広く分布しているため外科手術はできなかった。病状から投薬治療が一番良いだろうということで投薬治療を受けることになった。外科手術は怖いから投薬治療の方がまだ増しと言っていた姉であるが、癌の投薬治療は倦怠感、吐き気、食欲不振などの後遺症に苦しんだ。あまりの辛さに先生に相談した。先生は、身体が辛い時は投薬を休みましょう。しばらく休憩して、気分が回復して体力が回復してから、また始めましょうと言って投薬治療を中断してくれた。様子を見ながら治療を続けていたが、今回、先生から呼び出しがかかった。

 

先生の話は病状が悪化しているという話であった。

「肺癌の投薬治療をしてきましたが、癌がさらに骨に転移しています。」と言ってMRIの写真を見ながら説明を受けた。「今後の治療としては放射線治療です。現在の投薬治療とともに、放射線治療を始めたいと思います。とりあえず、10日間10回の放射線治療を行います。」という話であった。

現在の状況について「20年ぶりの再発と現在の年齢から判断して進行が遅いゆっくり癌と当初思っていましたが、今は当初の判断を訂正せざるを得ないと思っています。思った以上に進行が速い悪質な癌と思っています。今、何も手当てしなければ余命6ヶ月未満です。手当てすれば残り時間はだいたい2年くらいです」という話であった。

 

姉には、二人の子供がいる。男の子と女の子である。それぞれ結婚して、各自、幸せに生活をしている。子供については孫を含め何も心配するものはない。

 

帰りに姉と語りあった。「私は、原爆にあった。長く生きることはできないと思っていたのに幸いなことに79歳まで生きてきた。そういう意味では十分生きたと思っている。子供については、気がかりなこと心残りなことなど何もない。何も心配しないでいいから安心と思っている。あとは、出来たら、痛みや苦しみをあまり感じないでこのまま終わりたい」と姉は話していた。

 

姉が逝ったら、兄弟のことを話す相手がいなくなると思うと本当に寂しい。でもいつかはこういう日が来るのは仕方がないと思う。あと私にできることは祈ることしかない。姉が痛みのない苦しみのない最後を迎えることができますようにと。