ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「ロッキー」を観た

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シルヴェスター・スタローンの映画「ロッキー」を観た。「ロッキー」は昔、テレビで放映されている時に少し観たことがある。それで観たつもりになっていたが、映画評論家の町山智浩氏がこの作品を高く評価する説明を聞いて、これはしっかりもう一度観ようという気になり、腰を落ち着けて鑑賞した。観終わって、感動したし、町山氏が言う通り、低予算で作られた映画にも関わらず、アメリカで高い評価を受けたことがよくわかった。

この作品のあらすじは次のとおりである。
アメリカの建国200年を目前に控えていた1975年、フィラデルフィアに暮らす三流ボクサーロッキー・バルボアは本業のボクシングによる賞金だけでは生活していくことができず、高利貸しの取立人をしながら日銭を稼ぐヤクザな生活を送っていた。そんなある日、建国200年祭のイベントの一環として開催される世界ヘビー級タイトルマッチで、世界チャンピオンであるアポロ・クリードの対戦相手が負傷した。その代役は無名選手にチャンスを与える、アメリカン・ドリームを体現させる企画として発表され、その代役にロッキーが指名され試合開催が決定した。決定後は、まわりの支援を受けて、今まで経験したこともないような過酷な特訓に励むロッキー、次第に高まる実力を実感していった。しかし、試合前日の夜、「絶対に勝てない」とそれまで見せなかった弱音を吐く。反面、「もし15ラウンドの最後までリングの上に立っていられたら、自分がただのゴロツキではないことが証明できる」と呟き、試合への意気込みを新たにして試合に臨んでいく。」

この作品は、1975年に作られて、1976年に配信されている。1975年は、アメリカ建国200周年の記念すべき年であるが、この時期のアメリカは、後進国の追い上げによる重工業の低迷で国民経済は不況に喘いでいた。さらに、ウオーターゲート事件が起こり、大統領が不正を指示して放免されるなど政治の混乱は続き、さらに1976年にはベトナム戦争で敗北するなどまさに大国アメリカの威信は底につかんばかりの状態であっった。国民の間には、ため息と怨嗟の声が溢れていた時代である。

シルヴェスター・スタローンは、1946年イタリア系アメリカ人の父とロシア系ユダヤ人の母との間にニューヨークで誕生した。出産時の手術のミスで顔面の左側の神経が傷つき、舌足らずな発音と顔面神経麻痺という症状が残った。このことは少年期のスタローンを内向的にさせ、空想や漫画、とくに映画へ興味を向けさせた。9歳のときに両親が離婚したことをきっかけに、しだいに素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。
高校卒業したころから演劇に興味を持ち始め、マイアミ大学の演劇学部に3年間在籍したが、脚本家を志すため中退した。23歳でニューヨークに戻り本格的に俳優を志した。しかし、顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ち続けた。結婚して子供も産まれたが、俳優としては売れず、1975年までポルノ映画への出演やボディーガードなどの用心棒をこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いていた。29歳の時、映画監督ジョン・G・アヴィルドセンの面談を受けたとき、脚本を書いていると言ったところ三日後に持ってくるように言われた。その時、いくつかの脚本は書いていたが、全て生活のために売り飛ばしていて、手持ちはなかったが、たまたま観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって監督に売り込んだ。この作品が『ロッキー』である。プロダクションはその脚本を気に入り7万5千ドルという当時の脚本料としては破格の値をつけたものの、製作の条件として「主演にポール・ニューマンロバート・レッドフォードアル・パチーノといった有名スターを起用する」ことを挙げて譲らなかったが、それに対して、スタローンは脚本料には目もくれず、自分が主演を演じることに徹底的にこだわった。結果として、スターロンが主役を務めることになった。

この作品は時代背景をしっかり踏まえて、どん底にある国民に勇気と自信を取り戻すための映画として作られ、大成功した作品である。そればかりか、スターロン自身にもそれは言える。俳優を目指したもののなかなか目が出ず、生活のためポルノ映画に出演したり、用心棒などのヤクザな生活をしていたことは、生活のためやむを得ずと言いながら、自分の人生をさらに荒廃させていた。この作品は、自分はごろつきでないことを証明してみせるというまさにその戦いであった。その自分との戦いに勝ったことは感動であった。

この作品について、ロッキーはチャップリンであるとスターロンは語っているそうだ。盲目の花売り娘の手術代を稼ぐためにボクサーとして金を稼ぐチャップリンの姿が映画「街の灯」の中に見られるそうだが、それをヒントにしたと語っている。

映画を見るとき、その時代背景や監督や俳優の考えなど様々な知識を得て鑑賞するとさらに面白みが増す。町山氏の解説はいつも的確で映画がさらに楽しくなる。