ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「82年うまれ、キム・ジョン」を読む

 面白いから読んでと言われて、内容はよくわからないままに読みはじめた。そして、読み進むうちに引き込まれて、一気に最後まで読み進んでしまった。男尊女卑という儒教の教えが徹底して染み込んだ社会の現実を嫌というほど見せつけられた小説であった。場所は韓国である。同じ儒教国であっても日本はそのような男尊女卑の意識は早くから卒業していると言いたいところだが、本質的には韓国でも、日本でも今なお女性蔑視はしっかり存在していると思った。韓国も日本もジェンダーフリー解決のために取り組む課題は多いと感じた。

 2015年秋、この小説は誕生した。舞台は韓国。主人公は82年生まれのキム・ジョン氏である。年齢33歳、3年前に結婚して昨年女の子を出産した。キム・ジョンさんには姉が一人、そして弟が一人いる。

 キム・ジョン氏はお母さんの話を次のように書いている。
キム・ジョン氏のお母さんはお父さんと結婚して、義父母から「息子がいなくちゃだめだよ。息子は二人いなくちゃだめだよ」と言われた。最初の子が女の子だったとき、母は赤ん坊を抱き、「お義母さん、申し訳ありません」とうつむいて涙をこぼした。姑は「大丈夫。二人目は息子を産めばいい」と言って優しく嫁を慰めた。二人目のキム・ジョンが生まれたとき、母は赤ん坊を胸に抱き、「ごめんね、赤ちゃん」と言ってうつむいて涙をこぼした。姑は「大丈夫。三人目は息子を産めばいい」と言ってこんども優しく嫁を慰めた。三番目の赤ちゃんがやってきた。母は大きな虎が門を壊して飛び込んできた夢を見て今度は息子だと思った。しかし、産婦人科の先生の検査結果は「とってもかわいいですね。お姉ちゃんたちに似て・・・」家に帰った母は泣いて泣いて、食べたものを全部戻してしまった。娘たちが寝入った深夜、母は夫に尋ねた「もしも、もしも、いまお腹にいる子がまた娘だったら、あなたどうする?」「どうするもないだろう。息子でも娘でも大事に産んで育てるもんだろう」と言ってくれるのを待ったが、夫は何も答えない。「ねえ?どうするのよ?」尋ねると夫は言った「そんなこと言っていると本当にそうなるぞ。縁起でもないこと言わないで、さっさと寝ろ」「縁起でもないこと」と言われた母は下唇をかみ、一晩中声を殺して泣いた。そして母は一人で病院に行きキム・ジョンの妹を「消し」た。それは母が選んだことではなかった、しかし全ては母の責任であり、身も心も傷ついた母を側で慰めてくれる家族はいなかった。手術を担当したおばあちゃん先生が号泣する母の手をぎゅっと握って「ごめなさい」と言った。母が気を確かに持っていられたのは、この先生のおかげである。何年か過ぎるとまた子供ができ、男の子だったその子は無事に生まれてくることができた。それがキム・ジョンより5歳年下の弟である。

 炊き上がったばかりの温かいご飯が父、男の子である弟、祖母の順に配膳されるのは当たり前で、形がちゃんとしてる豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉と私はかけらや形が崩れたものを食べるのが当然だった。箸、靴下、下着の上下、学校のかばんや上ばき入れも、男の子である弟のものはみんなちゃんと組になっていたり、デザインが揃っていたが、姉と私のはバラバラなのもふつうのことだった。傘が二本あれば弟が一本使い、姉妹は一本で相合傘をする。掛け布団がニ枚あれば弟が一枚掛け、姉妹は二人で一枚にもぐる。お菓子が二つあれば弟が一個食べて姉妹が残りの一個を分け合う。男の子が尊い。韓国ではそういう日常が普通であった。

 キム・ジョンが結婚後に迎えた義父の誕生日に、夫の実家に親戚たちが集まって昼食を共にした。昼食を作り、食べ、片付ける間、親戚たちはずっと、良い知らせはないのか、なぜないのか、どんな努力をしているのかなど私を質問攻めにした。まだその計画はないと答えてもそんなことはお構いなしで、子供ができない原因を探り始めた。私が年を取りすぎているからじゃないか、痩せすぎているからじゃないか、手が冷たいから血液の循環が悪いのではないか、あごに吹き出物ができているから子宮の状態が良くないのではないかなどとあら探しをして、最後に叔母が言った 「子供ができる薬を用意してやりなさいよ。お嫁さんだって寂しいでしょうに」私はちっとも寂しくない。こういう会話が我慢できないだけだ。私は十分に健康で、薬なんか必要ないし、家族計画は初対面の親戚じゃなくて、夫と2人で立てますと言いたかった。でも、言えなかった。ソウルに戻る車の中でずっと夫と喧嘩した。

 日本でも、東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が女性蔑視の発言をして世界中から批判された。あのとき日本では周囲が擁護するという信じ難い展開も見られた。

 ありとあらゆる差別が日常を覆っている。キム・ジュンさんのお母さんの時代、キム・ジュンさんの子供時代、新婚時代、どの時代にも次から次に女性へ向けて無頓着な厳しい言葉がなげかけられる。その根底にあるのは男尊女卑である。男尊女卑という古い意識はすでになくなっていると思っていたのに、韓国でも日本でも実はしつこく根強く今なお存在しているようだ。この小説の中には様々な形の差別が描かれている。描かれている様々な差別を私自身が行うことはないが、それを黙認していることはないだろうか。黙認は容認と同じである。男というだけでそんなに偉いのか!と怒りの声を上げる私も、黙認して差別に同調していることはないかもう一度自己点検しなければとこの本を読んで思った。