ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

『「助けて」と言える国へ』を読む

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奥田知志さんと茂木健一郎さんの共著である『「助けて」と言える国へ』を読んだ。

奥田さんはキリスト教会の牧師さんでNPO法人「北九州ホームレス支援機構」の理事を務めている方である。また、茂木さんは脳科学者である。この本はお二人の対談で構成されている。

 

この本の中で、ホームレスを支援する奥田さんは以下のような質問を受けることがあると語っている。

「なぜホームレスを支援するのか?なぜ、続けるのか?」

その質問に対して、奥田さんは質問者に問い返す。「なぜ、そんなことを問わねばならないのか?困窮者を支援するのに理由が必要か?」

 

「この質問の根っこには、困窮は自業自得だ、自己責任だ、助ける必要などないという現代社会の掟が見え隠れする。あえて、答えるならば、支援するのはそれが人間だからだ、それが社会だからだと言いたい」と奥田さんは答えている。

 

『なぜなら、「人は一人では生きていけない」からだ。野宿者であろうが富裕層であろうが同じである。私も、野宿者も同じ現実を生きている。どちらも誰かを必要としている。確かに当初私も、「かわいそうな野宿者」を助けようとしていた。だが、今は違う。なぜなら、私自身が「一人で生きていけない」人間だとつくづく思うからだ。だから、「自分のため」と言われればそうかもしれない。』

 

 

「自己責任は、主に困窮者本人に対して投げかけられる言葉である。困窮状態に陥った原因も、そこから脱することも困窮者本人の責任だと言い切る。また自己責任だから社会や周囲は助けなくていいという。自己責任は社会の無責任化を招いている。」

 

「自己責任論は、自分たちの安心安全を確保するための出会わない理由、助けない理由である。私たちははリスクヘッジ、つまり、危機を回避するために自己責任ということばを巧妙に用い、他者との関わり自体を回避した。」

 

「でも、それで本当に安心安全を手に入れたのだろうか。いや、この安全の確保が私たちを孤独にしている。それは人間にとって最も危険なことではないのか。人と人が本当に出会い絆を結ぶ時、喜びは倍加する。しかし、出会うことは傷つくことでもある。それは避けて通れない。傷つくことは出会った証と思えばよい。長年支援の現場で確認し続けたことは、絆は傷を含むということだ。傷つくことなしに誰かと出会い、絆を結ぶことはできない。誰かが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていいのだと確認する。同様に自分が傷つくことによって誰かがいやされるなら、自らの存在意義を見出せる。絆は、自己有用感や自己尊重意識で構成される。これが絆の相互性という中身だ。」

 

『皆が傷つくことを恐れている。他人と関わる余裕はないとの言い訳が正論に聞こえるほどに、貧困と格差は今後も広がっていくだろう。そんな中、それでもこの事実は変わらない「人は一人で生きてはいけない。」』

 

『絆を紡ぎ直すために、一つの言葉が必要だ。それは「助けて」だ。この言葉が新しい社会を形成する。あなたは最近誰かに「助けて」と言ったことがあるか。もし、「助けて」と言っていないのであれば、それはあなたが社会形成に関与していないことになる。なぜなら、この言葉こそが社会形成におけるキーワードであるからだ。「助けて」と言える、これこそが社会であるための根拠だ。しかし、現代は大学生どころか、小学生の段階から「助けてと言えない社会」いや、「助けてと言わせない社会」だ。』

 

『子供も若者も大人も自己責任論で縛られ、その結果子供たちが「助けて」と言えなくなっているとしたら、それでいいのだろうか。子供たちがある日突然、誰にも「助けて」と言うこともなく自らの命を断つ。そんな社会は間違っている。そのような社会がこれ以上続いてはならない。』と奥田氏は述べている。

 

自己責任論が言われて久しい。自己責任論が言われるきっかけになったのは2004年に起きたイラク人質事件であったように思う。

当時、米国務長官コリン・パウエル氏は「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする若者がいることを、日本は誇りに思うべきだ」と述べていたにもかかわらず、日本においては〝お上〟の意に反した言動を取るものは「非国民」であり、国家はこのような連中から日本国民としての諸権利を奪っても構わないとする内容の自己責任論が起こった。当時の日本に自己責任論が吹き荒れた状態は、世界から見れば異常だと指摘する声があったことを覚えている。

 

その自己責任論が形を変えて、さらに弱者へ向けて発せられているのが今の日本の姿なのだと思う。

 

働き方改革などと響きのいい言葉で改革が進められ、規制緩和が進み自由になったという割には、若者の就労選択肢は狭まっている。フリーターになって35歳を過ぎるとフリーターとも呼ばれない。フリーター対策の対象から外され、35歳を過ぎるとフリーターではなく失業者かアルバイターになる。現在非正規雇用率は労働人口の35%、15歳〜24歳の労働人口では50%に迫る。正規雇用は狭き門である。

 

ホームレス問題は、非正規雇用の問題、不登校問題、子供の自殺など全部につながっている。

子供の自殺のニュースをよく聞く。それは子供社会の問題ではなく、現代社会の問題に繋がっていることに驚く。自己責任を振りかざし、他人との関わりを持たないように生きようという風潮が自殺者を増やす要因につながっている。考え方を変えなければと思った