ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体」を読む

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この本は青木理氏と安田浩一氏の対談を収録したものである。

青木氏と安田氏の対談の一部を記す。
ヘイトスピーチなどと呼ばれる醜悪な差別言辞を街頭で撒き散らす連中が出現したのは十数年前のことである。この現象は一部の愚劣な輩による突飛な暴走とも言い難い面がある。背後に様々な時代状況や社会状況が横たわっているとはいえ、歴史の基本的な知性や権力行使への謙抑性に欠けた政権が隣国や服従しないものへの憎悪と敵意を先導し、その尻馬に乗った一部のメディアやメディア人が盛んに煽動したことが、醜悪で愚劣な差別を街頭に解き放つヘイトスピーチ集団を育てる役割を明らかに果たしてきた。

事実、巷の書店などには自国礼賛本と共に隣国やマイノリティをあからさまに侮蔑する雑誌記事や書籍が溢れた。そうした記事や書籍の量産者やコアな読者が熱心に時の政権を支持し、図に乗った政権は隣国への敵意や憎悪をしばしば政権の浮揚策に利用し、服従しないものやメディアには容赦ない口撃や圧力を加えた。その過程では、時に信じ難いような差別扇動が政権や周辺者の口から吐き出されてきた。創始改名は朝鮮人が望んだ、慰安婦は売春婦だ、ナチスの手口に学べ、性的マイノリティには生産性がない、その権利を認めるなら痴漢の権利も認めろ、女性はいくらでも嘘をつく、沖縄の新聞は潰せ、・・・・耳を覆いたくなるような放言をする者たちを従えた政権の主は、まつろわぬ者達から非難の声を浴びると支持者に向けてこう叫んだ「こんな人たちに負けるいかないんだ」と。

自己責任なる言葉が各所で唱えられるようになったのもこの20年ほどの現象である。新自由主義的な経済政策の下、貧困や格差は広がり、多くの人々の生活が苦しくなったというのに、困窮者等に向けて冷酷な言葉が飛び交い、そして本来政治が担うべき「公助」よりも「自助」や「共助」を優先するという為政者が安倍政権の後継政権の主に収まった。』

 

ヘイトスピーチ集団の主張は自民党政権の主張に近いことは事実である。安倍政権は、日本において特権を振り回しているアメリカに対して、抗議することなく、ひたすら尻尾を振りひれ伏すだけであった。世界中から眉をひそめられたトランプ政権にも媚を売りまくり、目玉が飛び出るほど高額な兵器を爆買いさせられ、沖縄県辺野古の基地建設や地位協定は見直しに言及することすらしない。そのような安倍対米外交に対してヘイトスピーチをするレイシスト集団からの抗議は聞かない。

また、安倍政権時代の官邸主導のロシア外交もひどいものであった。北方領土交渉が前進するかのようなムードを振り撒き、安倍政権はいくどもプーチンと会談したが、最終的には一蹴されて一巻の終わりになった。これほどみっともない外交的失敗は国際的にも近年珍しいと言われているが、政権支持のヘイトスピーチ集団である右派連中は大して問題視にすることもない。

アメリカやロシアにたいしては何も言わないが、これが韓国が相手だと途端に居丈高になり、けしからんと声を荒げてふんぞりかえる。排外主義にしてもレベルが低い。政治や外交としてのレベルの低さに加え、強きに弱く、弱きに強がるという、その心性の醜さには嫌悪感さえ覚える。』

ヘイトスピーチをするレイシスト集団に対するお二人の現状認識を聞いてまさにその通りと思う。

『2013年1月、沖縄選出の国会議員をはじめ、沖縄から陳情団がきて銀座でデモ行進をして、沖縄へのオスプレイ配備反対を呼びかけた。先頭に立っていたのが当時那覇市長だった翁長雄志さんであった。そのデモに対して、在特会や関係団体のレイシストが集まって、「国に帰れ」とか、「中国の工作員」「ゴキブリ」「うじ虫」「売国奴」などの言葉を投げつけた。
後日、翁長さんがこの日のことを語っている。「腹が立ったのは事実だ。でも沿道で帰れとかゴキブリとかウジ虫とか言ってる連中に腹が立ったわけではなくて、私が本当に腹が立ったのは、あの日あの場所で何事もなかったように通り過ぎていく東京の人びとを見たときだ」と言っている。「同じ日本人という枠組みでありながら、死ね、ゴキブリと言われた。でも東京の人々は無関心でした。あの夕方の時間帯、買い物に行ったり、お茶を飲みに行ったりお酒を飲みに行ったり、多くの人がいましたけど、みんな知らんぷりだった。誰も沖縄県民の訴えに関心を示さない。そのことに猛烈に腹が立った」ということを語っている。
この日の風景から、翁長さんは日本の政治が変質してしまっていることを感じた。変わったのは本土の自民党であり、本土の保守政治であり、それを取り巻く本土の政治風景が大きく変質してしまったということ感じたと語っている。この経験を経て翁長さんは腹を固めたと語っている。』

『川崎駅前では、差別を肯定したいレイシスト達がヘイト目的の街頭宣伝を繰り返す。それに対して、差別に反対する人々が激しく抗議をするという状況がここでは度々起こる。その川崎駅で現場を素通りする人々はどのようにこの状況を見ているかということを取材した。素通りする人に話を聞いてみると、「分からない」あるいは「関心がない」という答えが多い。そうした周りの人々は「単にうるさい人びと同士が争っている」と認識した上で、その場を、そしてその問題を素通りするという現実がある。これは、むしろむき出しのレイシズム以上に怖いなと思うことがある。なぜなら、目の前にある差別を放置、許容することにつながるからです。ヘイトスピーチに対する無関心は、差別への加担と同じです。』

この本を読んで感じることは、日本を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体は間違いなくヘイトスピーチに代表されるレイシスト(人種差別)である。そして、この濁流を大きくしたのは国民一人一人の当事者意識の欠如にあると思う。レイシストたちが発するヘイトスピーチは、日本国の他人に向けてされているのではなく、自分に浴びせられているという気持ちを持って判断行動していきたいと思った。