ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「MINAMATA 」を見た  

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この作品は、最も偉大なフォトジャーナリストの一人と言われたユージン・スミスが日本の公害病水俣病”を取材した写真集「MINAMATA」を映画化したものである。

「MINAMATA」のあらすじは以下のとおりである
1971年、アメリカを代表するフォトジャーナリストのユージン・スミスは、一人の日本人女性から、熊本県水俣市にある工場が流す有害物質によって、苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれた。水銀に犯されて歩くことも話すこともできない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだった。その彼に会社側から取引の話が持ち込まれた。撮った写真を高額で買い取る。水俣の写真を世界に発信しない。そして日本の問題は日本人に任せ帰国してほしい。その取引を断固拒否して写真を撮り続ける。命の危険が迫る攻撃もあった。それでも、大企業を相手に闘い続ける、弱い立場にある被害者たちの活動を支援するために写真を撮り続け、世界へ向けてミナマタを発信していった。

ユージン・スミスの写真集「MINAMATA 」の共著者アイリーン・美緒子・スミスさんは「この映画はフィクションですが、土台になっているのは実際の出来事です。当時の患者さんたちが凄い苦しみの中で立ち上がって奇跡を起こし、絶対勝てるはずのない裁判に勝利したのです」と語っている。

水俣病は化学メーカー「チッソ」が海に垂れ流した水銀によって起きた公害病である。公式確認は1956年で、汚染をされた魚などを食べた住民らが脳や神経を侵された。患者やその家族は告発を続けたが「チッソ」は長年にわたってその責任を認めなかったため、被害が拡大した。こうした状況を写真家ユージン・スミスが写真「MINAMATA」で伝え、世界に大きく知られることになった

映画では、ジョニー・デップが演じるユージンが水俣病と出会い、現地で患者らと関係性を築きながら、企業による犯罪的行為を写真の力で告発するまでを描いている。

水俣病をめぐっては、今もチッソや国を相手取った裁判が続いている。症状がありながら患者と認められない人たちも多く、被害者の全容は明らかになっていない。
現在、チッソは 「JNC 」(ジャパン ニュー チッソの頭文字)という子会社を作り、今も水俣市で工場の操業を続けている。当時と変わらず、関わりを持つ市民は少なくない。現在の水俣市長はJNC の労働組合から全面支援を受けて2018年に当選した人物である。

水俣市長は、映画「MINAMATA 」について「差別や偏見の解消につながる作品なのか判断できない」「映画が史実に則したものかわからず、製作者の意図も不明」などという理由から、水俣市で予定された映画の先行上映会への後援を断った。
なお、熊本県は上映会を後援する方針を示した。県の担当者は「歴史や教訓を学んでもらうきっかけになる。世界的に発信されることに意義がある」としている。

後援を拒否した水俣市に対し、アンドリュー・レヴィタス監督は「現在も必要な支援を得ていない患者の方々や、認定されていない方がいる。助けを求める人々には、注目される機会が必要です。地方行政は本来ならそうした声を代弁し、大きくして届ける立場のはずですが、その機会を逃し、企業の利益を優先してるように見えてしまうことは、非常に悲しい状況です。水俣市側の「負のイメージが広がらないように」という注文は製作段階で把握していました。これは、何が優先されているのか、誰の命が軽んじられているのかということが分かる言葉です。患者さんや被害者の存在をなきものにして、経済的な利益を優先したいのではないでしょうか。それは当時のチッソと全く同じ言い分です。
水俣のことを忘れかけている、あるいは知らない若い世代が多いとも聞きました。この作品が、そうした世代が過去の史実を学び、自分ごととして捉え、声をあげる人たちの手助けをするきっかけになれば、と思っています。」と語っている。

「ミナマタ」を見て、あらためて経済成長を優先するあまり公害を撒き散らし、命を軽視してきた我々人間の愚かさを再認識できた。私は、水俣のことは石牟礼道子さんの小説「苦海浄土」から多くのものを知った。この映画「ミナマタ」は映像という形で、明確に人類の過ちを表現していると感じた。監督が言うようにミナマタを知らない若い人にぜひ見てもらいたい作品だと思った。

水俣は今も昔も化学メーカー「チッソ」の企業城下町である。多くの人がその企業に属し、多くの人がその企業の生産に関与し、多くの人がその企業から恩恵を被るなか、その水俣で神経が侵され脳が壊れる奇病が発生した。チッソが垂れ流す排水が原因ではないかと思っても、裁判では証拠を示さないかぎり勝てない。被害者が工場排水を科学的に分析して証拠を示すなど簡単なことではない。そればかりか、企業は御用学者を使い、他の説を流布するなどした。被害者は、地元からも村八分の扱いを受け、役所からも支援を受けられず、孤立無縁それでも闘い続けるしかなかった。その闘いに多くの良識ある人々が支援を申し出た。アメリカのフォトジャーナリスト、ユージン・スミスもその一人である。
そのような良識ある人々の支援がもしなかったならば、ミナマタには違った結果がもたらされていただろうと思う。人間の温かさを思うと同時に、人間の醜さ、冷酷さも再確認した映画であった。