ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

菅首相の目指す社会像

メルマガを読んでいたら人気ブロガーの「きっこさん」の記事を見つけた。

記事は、福岡で女性が起こした強盗事件を取り上げていた。強盗事件を起こした女性は今年2月までうどん店で働いていたが、コロナのため客足が途絶えたことで、「やめてくれ」と言われ職を失った。その後求職活動をしたが、コロナ禍の中、仕事が見つからず家賃も払えなくなりアパートを出た。その後は公園で野宿をして、昼間は「食べ物を下さい」と書いた紙を持って路上に立ち続けるなどした。食べ物を分けてもらったり、たまにお金をくれる人がいたりした。いつも公園で寝てる彼女を心配して「市役所の福祉の窓口に行ったほうがいい」とアドバイスしてくれた人もいたそうだ。しかし、彼女は病気で働けないならともかく、元気なのに福祉に頼るのは「恥ずかしいこと」であり「いけないこと」だと思い込んでいたらしく相談しなかった。そして路上生活をしながら求職活動を続けてきたが、今年8月、仕事も見つからず食う

に困ったあげく、カッターナイフを持って真珠店に押し入り、「お金を出してください、切りますよ」と脅した。しかし、店員が警察に通報しようとしたため、女性は逃げ出し、その足で交番に駆け込み自分がしたことを警察官に話し、その場で逮捕されたものである。

10月21日に福岡地裁で行われた裁判で彼女に「懲役1年2月、執行猶予3年」が言い渡された。

 

きっこさんはこの件について

菅義偉首相は、9月16日の就任会見で、新政権の理念を「自助、共助、公助」と述べました。ようするに、困ったことがあったら、まずは自分で努力しろ。それで解決しなければ周りを頼れ。それでもダメなら最後に国に言って来い…という、行政府の長がその責任を放棄したかのような無責任な理念です。しかし、この呆れ果てた理念を、ひと足先に実践した人が今回の事件の女性です。

今回のような事件を知ると、今夜寝る場所がなく今食べるものもない人たち、今、この瞬間も本当に困っていて旅行や外食どころではない人たちのことも、しっかりと対策をしてもらいたい」ときっこさんは主張されていた。

 

 

 

私もきっこさんに同感である。報道によると「新型コロナによる失業者」は今年12月末までに100万人を突破するという試算を伝えている。これからますます生活困窮者が増えることが考えられるが、それに対して政治はどのように対策するのか気にかかる。

 

菅首相は就任会見で「私が目指す社会像。それは自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる」と述べられた。いうまでもなく自助は大事だが、個人の主体性こそが「自助」の本質であり、「自助」は他人から強要されることではない。

菅首相が「自助・共助・公助」ということを言われるたびに、「まずは自分で頑張れ」と言われていると感じる。このことは安倍政権で言われ続けてきた「自己責任」と同じことだと感じる。安倍政権時代に蔓延していた「自己責任が取れない人はダメな人」という空気は生活保護世帯や困窮者、ホームレスに対するバッシングにつながったことを考えると菅首相の目指す社会像という「自助・共助・公助」も自己責任を押し付ける社会と同一に思える。

 

そこが気になっていたら、NPO法人「抱樸」理事長の奥田知志氏が、菅首相の「自助・共助・公助」について語っていた。『「自助」というダムが決壊する、次に「共助」のダムで受け止める。それが決壊したら、最後に「公助」が機能するという助の序列化には問題がある。「公助」が最後では遅い。その時点で、「自助(私)」は壊れているからだ。本当に「自助」を尊重するのなら「自助」「共助」「公助」が並行的に機能しなければならない。』と述べていた。私は奥田氏の考えを理解できるが、菅首相にはわかるだろうか?

 

菅氏は安倍政権を支えてきた人物であり、その後継者であることを考えると、まともな判断を期待するのは難しいのかもしれない。

安倍元首相にしても菅首相にしても、自分のすることに反対する人を徹底的に嫌う方である。正直に意見を言う前川喜平氏に対しては嫌うあまり、前川喜平氏の名誉を傷つけ、社会的に抹殺することまでした人物である。また、官房長官記者会見で意に染まない質問をする望月衣塑子さんを徹底的に妨害したのもこの人物であった。そして学術会議任命拒否問題では、説明すべきと言う正論に対して、「説明できることと説明できないことがある」などと言ってはぐらかし説明しない人物もこの方であることを忘れてはいけない。

 

国民の声を真摯に受け止めることができない為政者が首相である限り、国は暴走する。この方には、国の舵取りをもはや任せられないと思う。