連れ合いと話をしているとき、連れ合いが突然怒り出した。連れ合いが怒る理由、それは私にとって意外なものであった。
連れ合いが言うにはこうである。
「あなたの相づちの打ち方は良くない。ひどすぎる。話をしている人にとって非常に不愉快。そのくらいのことはちゃんとしなさい。あなたの相づちは、話し手に話を急かせる様な相づちだ。あなたと話をすると、とても疲れる。他の人にそんな相づちを打つと、嫌われるし誰も相手しないよ。不愉快ばかり残る。」といって怒っている。
連れ合いが私に話しをする。私はその話を聞きながら相づちを打つ。相づちは、相手の話にうなづいて巧みに調子をあわせることだが、私の相づちの打ち方は「ウン、ウン、ウン、」と言うらしい。話を聞きながら適度に、相手の話をしっかり聞いていますよと言う感じの相づちで「ウン」と一度言うのならいいのだが、「ウン、ウン、ウン」と3度も言うらしい。その「ウン、ウン、ウン」という相づちは話を早く、早くと急かさせるような感じになるらしい。また、話をこれ以上聞きたくないので早く話を終われと言っているような感じにも聞こえるらしい。
私は急かしているつもりはなかった。まして、その話は聞きたくないから話を終われと言ってるつもりもなかった。自然に振舞っていることが周りを不愉快にさせていることを知って「愛語」と全く逆の「憎語」を吐いている自分に驚いた。
連れ合いの怒りの理由について、意外と思うと同時に、心当たりもある。昔、特に若い頃、私は時々友達から「そんなに話を急かすなと」と言われたことがあった。私は自分では気づいていなかったが、相づちを「ウン、ウン、ウン」と2度、3度続けて打つ癖があったようだ。その時は友達から、笑いながら「ゆっくり聞け」と言われたり、「急かすな!」とか言われたりしていたことを覚えている。
今、自分の子供時代のことを思い起こすと、私は性格的に乱暴で粗雑で落ち着きのない子どもであった。友達とうまくコミュニケーションがとれない面が見られる子どもであった。だから、なお乱暴で粗雑になるという感じだったかもしれない。私は発達障害の子どもであった。相づちの打ち方もコミュニケーション能力の欠如の表れであったと思う。
私は、小学校時代、先生から「男の子だから少しくらい腕白なのは仕方ないけど、もう少し落ち着きなさい。」「もう少していねいにしなさい」などよく注意されていた。
子供時代から続く問題行動は小中学校時代を通して先生方や家族の指導や友達関係からの学びでだいぶ改善されてきたようだが、この歳になっても落ち着きのなさ、粗雑さがこのような形で現れたようだ。まだ、まだ、未熟な部分が残っているようだ。
先日、本を読んでいたら、「良寛和尚の言葉」を見つけた。その中に話す時に戒めるべきことが「戒語」として述べられていた。
一 、ことばの多き
一、はや言葉
一、かしましく物いう
一、人のものいひきらぬうちに物いう
一、いささかなることをいひたてる
一、ことごとしく物いう
一、人のことをよく聞き分けずこたへする
一、すぢなき長話いふ
一、いふてせんなきこといふ
一、人の悪口いふ
一、じまんばなしいふ
一、ひとのいやがることいふ
一、人にへつらうこといふ
など39項目にわたり話す時の注意をやさしい言葉で述べられていた。その39項目の中に、「すべて言葉をしみじみいふべし」という言葉があった。私は、これから話をする時は、言う時も答える時も「すべて言葉をしみじみいふべし」を忘れずに実行しようと思う。「しみじみ」とは心の中から深く感じることである。相づちもしみじみの心を忘れずに実行したら「ウン、ウン、ウン」など軽薄な言い様は出てこないし、人を不愉快にすることもないだろう。
良寛和尚は言葉を通して人物を見ていたようだ。
良寛和尚は「言葉は心を映す。言葉がきれいなら、心もきれい」と言う。
齢七十、心を正さねばと思う。