ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「死人が出てまで行われることではない」

「死人が出てまで行われることではない」 錦織圭選手の “五輪疑問視” 発言が世界各国で大波紋というニュースを見た。(2021年05月11日 )

ローマで行われたイタリア国際の男子シングルス1回戦で快勝後にオンラインで取材に応じた錦織圭選手は東京五輪への率直な思いを吐露して次のように述べた。

「五輪は今回の大会(イタリア国際テニス大会)のような100人規模の大会ではない。選手村には1万人がいて試合をしている。特に今、日本で起きていることは簡単ではない。うまくいっていない」「アスリートのことだけを考えればやったほうがいい。しかし、コロナはとても簡単に広がってしまう。死者がこれだけ出ていることを考えれば(五輪は)死人が出てまで行われることではない」「1人でも感染者が出るなら気は進まない。コロナの患者が出ない時にやるべきと思う」と強調した。

新型コロナ禍が深刻化する中での東京五輪の開催に疑問を呈したとニュースは報じていた。

 

私は錦織選手の発言を聞き、彼の意見に完全に同意する。「五輪は死人が出てまで行われることではない」この単純明解な解答は日本でも世界でも多くの人々から支持されるだろうと思う。

 

現に世界では、4月には有力紙ニューヨーク・タイムスが現状での東京五輪開催について「最悪のタイミング」とし、日本と世界にとって「一大感染イベント」になる可能性があると指摘し五輪のあり方を再考すべき時期と訴えていた。

5月4日にはサンフランシスコ・クロニクルが、新型コロナウイルスの影響が長期化する中、インドや欧州の一部、南米では深刻な状況が続いているとし東京五輪について「開催されるべきではない」とする記事を掲載した。

また、5月5日には米有力紙のワシントンポストが、世界的大流行の中で国際的なメガイベントを主催することは不合理な決定であると日本政府に対し中止を決断し、費用の「損切り」をすべきだと主張するコラムを掲載した。さらにワシントンポストは中止の場合の違約金について、

「中止の場合、違約金の可能性もささやかれるが日本が契約を破ったとして、IOCは何をする?訴える?どこの裁判所で?そんな訴訟をすれば、パンデミックの最中にストレスと苦しみのある国で大会を強制するIOCの評判はどうなるか?」と指摘し、「キャンセルは苦痛かも知れないが、浄化になる」と主張していた。

 

日本においても、今夏の東京五輪開催をめぐり、中止を求める声がさらに強まっている。元日弁連会長の宇都宮健児氏が立ち上げたインターネット上の中止要望の署名は、開設から2日で22万筆(7日午後6時現在)を超え、まだ増加中である。

 

そういう中、菅義偉首相は10日、参院予算委員会の集中審議で、立憲民主党蓮舫代表代行から東京五輪パラリンピックについて問われたが、同じ文言を読み上げるばかりで、まともに答えなかった。

蓮舫氏は新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、「東京オリパラ大会、本当にやるんですか」と質問した。首相は手元の紙に視線を落とし、「東京大会については、IOCは開催をすでに決定し、各国に確認していますが、開催にあたっては、選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく、これが開催にあたっての政府の基本的な考え方だ」と紙を読み上げた。

 さらに、蓮舫氏は「主催国の内閣総理大臣が延期や中止をいえる権限はないのか」と聞くと、「東京大会については、IOCは開催をすでに決定し、各国に確認していますが、開催にあたっては、選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく、これが開催にあたっての政府の基本的な考え方だ」同じ言葉を答えた。

 続いて、蓮舫氏は、安倍晋三前首相が東京大会の1年延期をIOCのバッハ会長に提案し、決まったことを例にあげ、菅首相もバッハ会長に延期や中止の相談をできないかと質問した。

 しかし、首相は「開催にあたっては、選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていくのが、これが開催にあたっての政府の基本的な考え方だ」と繰り返した。

 蓮舫氏が「国民の命を守る最高責任者として、大会をやらないという判断は下さないのか」とただすと、「先程来申し上げている通り」と答弁し、はぐらかした。

 

私は菅首相の答弁を聞いて呆れてしまった。首相はどのような質問に対しても同じ紙を読むだけである。回答になっていない。国会はそれぞれの立場や意見の違う国民の代表者が意見を出し合い、議論を重ねて日本の進路を決める場所である。その国会で議論が成り立たない。首相には真剣に議論する意識はなく、肝心なことははぐらかして、時間をやり過ごすことが仕事と思っているとしか思えない。菅首相の前の安倍晋三時代もはぐらかしは常に行われていたが、これでは前政権と全く同じである。この呆れ果てた答弁を終えて、「菅首相はさすがである。本心は何も明かさないで、追求を上手くはぐらかした」と与党内では高評価になるのだろう。このような与党である限り日本は間違いなく国力が低下していくだろう。

若い錦織圭選手が自分の全体重をかけて、自分の言葉に責任を持って語った言葉は全世界を駆け抜けた。それに比べて官僚の書いた紙を馬鹿のひとつ覚えみたいに いかなる質問にも読み続ける日本国の首相の知性のレベルと言葉の軽さに世界は呆れるであろう。そしてそのような者を首相にしている日本国民のレベルもその程度と世界から評価されることになる。あまりにみじめすぎて悲しくなる。