f長崎新聞に「中国像、暮らしを見つめよう」という馬場公彦氏の評論が掲載された。馬場公彦氏は中国学者で、現在北京大学で教員として勤められている方である。
馬場氏はその中で、「2〜3年前の日本メディアにおける中国の話題は、中国におけるニセモノの横行、pm2.5による大気汚染、中国人旅行客のマナーの悪さだった。その後どうなったかの検証は十分されないまま、現在に至り、その結果北京の空は汚れている、中国人は衛生観念が低く公衆道徳に欠けるという思い込みだけが多くの日本人の脳裏に沈殿している。
中国は法治国家ではなく人治国家だから人民はイデオロギーに縛られて私権は厳しく制限されている。監視社会だからプライバシー保護には無頓着という思い込みが日本では継承されているようだ。新型コロナウイルスの封じ込めについてもそうである。「中国では人々は監視されて行動の自由がないからコロナ封じ込めに成功した。」で済ませている。防疫システムの中で実際に人々はどう行動したのか、消毒から感染地区の封鎖と支援、健康異常がないことを証明する携帯アプリの義務化、マスク着用、ワクチンの義務化、果てはゴミの分別回収に至る衛生管理の改善について委細に見ようとはしない。
中国は新しい民法典が施行され驚くほどの速さで変わりつつある。民法典には民事空間において侵されることのない人格権と民生を求める人々の願いが集約されている。日本からみた中国は専制主義一辺倒の厚い雲が覆っている。厚い雲を通して見る中国像は貧弱でモノトーンである。そこに生きる人々の生活感覚とひどくずれてしまっている。今、求められるのは視界を塞ぐ厚い雲の下で営まれる人々の暮らし、その細部までを見つめるまなざしだ。」と書かれていた。
馬場氏の評論を読んで、確かにそうだと納得するものを感じた。私の周りにも思い込みで中国人は衛生観念が低いとかマナーが悪いとかいう人たちがいる。
その昔、いまのJAがノーキョーと呼ばれていた時代に、ノーキョーが主催した海外旅行が多数行われ、多くの日本人が海外旅行を楽しんでいた。その時、ノーキョー(日本人)はマナーが悪いとか不衛生とか言われ、日本人は世界中のひんしゅくをかった時代がある。それと同じことである。日本人もやってきたことと思えばそんなに目くじらを立てることでもないと思うが日本人と中国人はここが違うとばかりに非難する人がいる。色眼鏡で見る人たちには中国の本当の姿は見えないようだし、自国の姿もよくわかっていないようだ。
先日、ベネッセ教育研究所が1996年に世界6カ国の大都市に住む小学五年生4500人に「あなたは幸せですか」と聞いた調査結果を見た。「とても幸せ」と答えた小学五年生の割合は中国75.1%、ニュージーランド42.6%、米国39.9%、日本26.3%、日本は6カ国で最下位という結果であった。この調査はまだ日本が先進国として活躍していた今から、25年前の調査結果である。
現在の世界における各国の存在感を示す指標に、世界の実質国内総生産総額(GDP)がある。1990年には世界の実質国内総生産総額(GDP)に占める日本の割合は13.9%であった。このまま「構造改革が進まずに現状を放置」した場合には、2020年には9.6%に縮小してしまうと予想されていたのが現状は「5.9%」まで低下してしまっている。つまり、1997年の段階では、2020年には9.6%になって「日本が消える」から大変だと言われていたGDPが、現実は予想よりさらに悪化して2019年には「5.9%」になってしまっている。更に人口減と競争力喪失により2050年には2%になるという予測も出ている。世界における日本の存在感は急激に衰退している。昔は豊かな国日本と言われていたが、今は決して豊かではない。
そのような状況下において、現在の子供たちに「あなたは幸せですか」という幸せ調査を実施したらどのような結果が出るのか怖い思いがする。25年前の26.3%よりさらに悪い結果が出ないだろうかと心配になる。生きにくい社会を後世に残すつもりは全くないが、ますます生きにくい社会に日本はなっているのではと心配になる。心配しても何もできない自分だから気持ちが落ち込む。若い時代にもっと早く目が覚めていたら、私は政治家を目指したかったと今になって思う。今更悔やんでもしようがない。今できることは良い政治家を選出することだ。今度の選挙では意中の人を必ず当選させようと思う。