ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「原発事故は終わっていない」を読む

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小出裕章氏の著書「原発事故は終わっていない」を読んだ。小出氏は著書の中で

東京電力福島第一原子力発電所の事故によって約1100平方キロメートルの土地から10万人以上の人が追われました。家を失い、生活を根こそぎ破壊され、住み慣れた土地に住めなくなってしまいました。10年経った今、一度は避難した人たちにも帰還指示が出て、今の時点では約340平方キロメートルの土地が帰還困難区域とされています。

大地があれば、人々はそこで生きていくことができます。しかし、あの原発事故のせいで大量の放射能が撒き散らされ、大地そのものが使えなくなってしまいました。放射能は人間の力でなくすことは決してできません。汚染された大地はこの先、長期間にわたって使うことができないのです。本来なら立ち入ることすらできないほど高濃度の放射能で汚染されている場所に、何百万もの人が置き去りにされています。いずれ何らかの健康被害が生じるであろうことを思うと、たまらなく胸が痛みます。

言葉では言い尽くせないほどの甚大な被害が出ていると言うのに、原子力開発に関わった人間の誰一人として処罰されていません。東京電力津波を予見することはできなかった、だから自分たちに罪はないといいます。私から言わせれば「冗談じゃない」のひとことです。

 

原発は膨大な放射性物質、つまり“死の灰”を生み出します。私は、いつか必ず事故が起きるから、大きな事故が起きる前に原発を止めなければならないと言い続けてきました。ところが、国も東京電力も「事故なんか決して起きない」と言い、原発を造り続けてきました。その結果、福島第一原子力発電所の悲惨な事故が起こってしまいました。原子力の場にいた人間として事故を防げなかったことを本当に申し訳なく思います。事故から10年が過ぎますが、福島第一原子力発電所の事故はいまだに収束していませんし、生活を奪われてしまった人たちは言葉にできないほどの無念さを抱えながら暮らしています。

私は、どんなことがあっても原子力だけはやってはいけない、その思いでこれまで原発廃絶を訴えてきました。月日の経過とともに、多くの人々から原発事故の記憶が薄れていってしまうことにどうしようもなく焦りを感じます。しかし、原発事故は10年を過ぎた今でもまだ続いているのです。」

2011年3月11日に出された原子力緊急事態宣言は現在も今なお発令中である。

 

原発はひとたび事故を起こせば破局的な被害をもたらします。それは福島第一原子力発電所事故によって、事実として示されました。電気の恩恵を受けるのは都会です。しかし、原発はあまりに危険なため、都会に造ることができず、過疎地に建てることを続けてきました。危険なことがわかっているならやめるべきなのです。しかし、国も電力会社も地方の市町村に犠牲を強いて、原発開発を続けてきました。これは地方差別以外の何ものでもありません。原発は不公平、不公正の上に成り立っています。不公平、不公正であるという、ただそれだけの理由でやってはいけません。電気が足りない、エネルギーが足りないということと全く関係なく、原子力は不公平、不公正だからやってはいけないものなのです。

そのうえ、たとえ事故を起こさなくても、原子炉内でウランを核分裂させれば、核分裂生成物という放射能物質ができます。それをなんとか無毒化したいと、多くの科学者が研究を続けてきましたが、できないのです。残念ながらそのゴミは未来の子どもたちに押し付ける以外に方策はありません。未来の子供たちは、今の私たちが原子力を選択し、始末のできないゴミを後世に残していくことに異議を申し立てることができません。私たちは未来の子どもたちに対して犯罪者行為を犯しています。そのことだけを考えても、原子力はやめるべきです。国や電力会社も、もはや尋常な神経ではないと私は思います。」と記されている。

 

私は小出さんの意見に賛成である。私は原子力がこんなに危険なものであるということを福島第一原子力発電所事故の前は知らなかった。危険なものだから都会地に造ってはいけないということが法律で定められていたことも知らなかったし、原発は安全であるという認識しかなかった。福島事故から10年経った今も何一つ解決されないまま、今後100年経っても解決される見通しも立っていないのに、福島のニュースが流されないことから事故の記憶も風化しつつあった。

 

私たちは福島事故から原発は危険なものだからすぐ廃絶すべきものという教訓を得たが、原発を推進する原発マフィアは福島事故から「どんな悲惨な被害を出しても、誰も処罰されない、責任も取らなくていい」ということを学んでいるとこの本には書かれている。

 

原発マフィアは小出さんが言うようにもはや尋常な神経ではないと私も思う。原発は危険すぎる。一旦事故が起きると膨大な被害が発生する。だから、多くの人が住む都会地に造ることはできないが、過疎地であれば万が一事故が起きても被害はそこに住む人だけに限定される。だから過疎地に造るという発想は過疎地の人々の命を軽んじていることと同じである。殺していい命も、殺されていい命も一つも存在しないように、故郷を追われ、生活を奪われ、苦悩の中で生きることを強いられていい人など一人もいない。国が推進するものに対して反対行動を取ると非国民と言われるのかもしれない。私はあえて非国民と言われても原発の廃絶をこれからも叫び続けようと思う。