ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

花菖蒲を見に行く

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梅雨の中休みだろうか、天気予報ではしばらくいい天気が続くようだ。「こんないい天気の日に部屋で過ごすのはもったいないね。少し戸外をウオーキングしたいね」と連れ合いと相談して大村公園に花菖蒲を見に行くことにした。


大村公園では、「花菖蒲祭り」が毎年6月の第一土曜日から行われているが、今年は新型コロナ感染拡大のため、すでに中止が決定している。『今はまだ花菖蒲の開花のピークではないし、「花菖蒲祭り」は中止になっているので、大村公園の入園者はそんなに多くないと思う。しかし、駐車場が混雑しているようだったら入園は諦めよう』と話しながら大村公園へ出かけた。自宅から大村公園までは40分のドライブである。
大村公園の駐車場は空いていた。公園入口のすぐ近い場所に空きがあってそこに駐車できた。この程度の入園者だったら、そんなに密になっていないから大丈夫だろうという事で入園した。

 

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大村公園は玖島城址(大村城)に造られた公園である。玖島城は慶長4年(1599)大村家19代大村喜前(よしあき)によって築かれ、幕末まで12代約270年間に亘って大村藩2万7千石の居城として使われた城である。大村喜前は豊臣秀吉の死後、天下の乱れることを恐れ、玖島城を築城したといわれている。慶長の役で出陣した時、海辺にある城は守りに強いという教訓を生かし、玖島の地を選んで城を築いた。現在は埋め立てられ陸続きであるが、玖島という名の通り元は島であり、玖島城は海城として築かれたお城である。

 

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玖島城明治4年(1871年)に廃城となり建造物は破却され当時の建物は残っていない。明治17年(1884年)本丸跡に大村氏歴代を祀る大村神社が建立され現在に至っている。築城当時の石垣は自然石を使った野面積みで築かれたが、慶長19年(1614)大村純頼によって拡張・改修され、打ち込み接ぎと呼ばれる工法で石の角や面を加工し、高くそり返る美しい扇の勾配を持つ石垣へと作り変えられた。この際、加藤清正より設計指導を受けたとされている。その石垣が残されている。

 

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大村公園の花菖蒲園は玖島城の長堀及び南堀跡に、昭和36年熊本から肥後菖蒲を、昭和38年明治神宮御苑から江戸菖蒲をそれぞれ移植しつくられたものである。さらに伊勢菖蒲も移植され、現在は3系統、花の種類としては171種が植えられている。菖蒲園の広さは約9,500平方メートルに及び花菖蒲が咲き誇る姿は圧巻でもある。

 

玖島城址である大村公園を、花菖蒲を眺めながら散策した。大村公園は広い公園である。歩き疲れたら木陰にあるベンチに腰掛けて色とりどりの花菖蒲、青い空、白い雲を楽しむ。薫風にそよぐ青葉を見るだけでも楽しい。

毎年、「花菖蒲祭り」の時期に花菖蒲を見に来ていた。しかし、昨年は花菖蒲祭りが中止になったので見ていない。大村に来るのも久しぶりである。

大村は長崎の空の玄関口である。海上空港である長崎空港がおかれている都市である。コロナがなければ、孫たちが来崎すると言っては長崎空港に迎えに行き、帰ると言っては長崎空港に見送りに行く、大村はいつも行く場所、来る場所であった。一年に何回も行き来する場所であった。それが新型コロナ感染拡大でピタリと止んだ。孫たちは誰も来なくなった。淋しい限りである。

6月からワクチン接種が始まる。ワクチン接種に大いに期待したい。人々が自由に飛行機に乗り自由に船に乗り、自由に行き来して、自由に街に出て、美味しいものを食べて、楽しい会話の弾む日常を早く取り戻したいと思う。


オリンピックも楽しいかもしれない。しかし、オリンピックを我慢すればそのような日常を早く取り戻せると思うともっと楽しくなる。オリンピックはいらない。平凡な日常こそ欲しい。平凡な日常を一日も早く取り戻したいと思う。
早く新型コロナが終息して、以前の日常を取り戻すことを切に願う。