ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「日本と韓国、近くて遠い国でいいのか」を読む

長崎新聞のニュース論点に、弁護士である内田雅敏氏が「日本と韓国、近くて遠い国でいいのか」という文章を寄稿した。

この中で内田氏は日本と韓国の間に横たわる歴史問題の解決には歴史認識の共有が不可欠であると述べておられる。私も全く同感である。

内田氏は続けて以下のように述べておられる。
「日本と中国の間には、1972年の日中共同声明で「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と述べ日中戦争について両国の歴史認識を共有した。

しかし、韓国との間には未だ歴史認識が共有されていない。日本と韓国の間には1965年に日韓基本条約・請求権協定を結んだが、そこでは植民地支配について歴史認識の共有はなかった。韓国側は、1910年の韓国併合は当初から違法、不当であったと主張し、日本側は、韓国併合は当時の国際法上合法であり、インフラの整備など良いこともしたと主張した。

しかし、植民地支配の実態を知るべきだ。創氏改名を強い、日本の神社を創り、強制的に参拝させ、「私たちは日本国の臣民である」と唱えさせた。また、併合前史では、1985年10月8日未明、国王妃(閔妃ミンピ)の暗殺、死体の焼毀までやってしまった。韓国では誰でも知っている事実だ。このことを知っている日本人がどれだけいるか。韓国が植民地支配は合法だったと言えるはずがない。

65年の日韓基本条約・請求権協定で日韓間の問題が全て解決したという現在の日本政府の見解は到底通用しない。
歴史問題の解決は判決でなく当時者間の自発的な和解によるのが望ましい。そにためには、被害者の声に耳を傾け、①加害の事実及びその責任を認め謝罪、②謝罪の証としての和解金、③被害者に対する追悼事業と、将来のための歴史教育の3点が不可欠である。③を抜きにして①、②だけでは解決にならない。加害者らが被害者・遺族らと共に③を誠実に継続することが、被害者・遺族らの気持ちを和らげ①の謝罪が真摯なものであることが理解され、加害者も加害の事実を深く認識し、将来への戒めを強くする。

2015年の慰安婦合意で岸田文雄外相は「安倍首相は、慰安婦としてあまたの苦痛を体験され心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からのお詫びと反省の気持ちを表明する」と述べた。ところが当の安倍晋三首相は記者会見で「最終的、不可逆的な解決を戦後70年の節目にすることができた。子や孫、その先の世代に謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない」とやった。これでは信用されない。謝罪は歴史問題の終止符にはならない。歴史問題の解決には被害者の「寛容」と同時に、加害者の「慎みと節度」という相手の立場に立って考える姿勢が不可欠である。

最後に、内田氏は「閔妃暗殺」の著者、角田房子さんのあとがきを引用されていた。
『「閔妃暗殺」を書くためにほぼ3年間、私は日韓関係の歴史、特に近代史を学んだ。(略)及ばずながら日韓関係の事実を知ったことで、私は実感の伴う“遺憾の念”を持つようになった。私の使い慣れた言葉で言えば“申し訳なさ”がその基盤となった感情である。(略)お読みくださる方々の一人でも多くが、どうぞ隣国への“遺憾の念”を持ち、それを基にした友好関係、相互理解を深めてくださるようにと、私は切に願っている。』
一本の葦のような小舟でも渡れる近しい隣の国、韓国。古代における渡来人以降、朝鮮通信使など日韓は長い伝統的友好の歴史を有する。対馬藩儒学者雨森芳洲が唱えた「誠信交隣」など、先人の知恵に学ばねばならない」と内田氏は結んでいた。

私は、若いとき角田房子さんが書かれた「閔妃暗殺」を読んだ。これは小説ではなくノンフィクションである。「閔妃暗殺」は、韓国国民の国母である王妃を、日本の公使が首謀者となり日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させ公然と殺害するという、国際関係史上、例を見ない暴挙を扱った作品である。

そのような歴史には蓋をして、日本はインフラ整備で貢献したと主張しても相互理解は深まるはずがない。また、逆の立場に立って、日本が被害者側だったらどうだろう?加害者側から言葉で謝罪したから両国間の歴史問題は解決済みと言われたらどうだろう、その誠意の無さを知って不信感しか持てないだろう。歴史問題の解決には相手の立場に立つという姿勢が不可欠であると内田氏は書いているが、まさに日本側に欠けてかけているのはその姿勢であると思う。

私の古い経験から言うと、私は小中学校でも高校でも近代史を学ばなかった。学年末で超特急で触るか触らない程度の学びしかしなかったように思う。そして、このことは、近代史を知らない若者が多いことを考えると現在も変わっていないように思う。自国の歴史を知らない人が現在のグローバル社会で、国際人として人間として信頼されるだろうかと心配になる。日本人がやった先人の功績は多いに誇り語り継ぐが、先人の間違いには口をつぐみ知らない認めないという人間を、世界の人々は国際人として信頼するだろうかと疑問に思う。狭い日本社会でのみ生きるのであればまだしも、そのような不実な狭量な人間は軽蔑はされても、とても国際人として信頼を得ることはできないと思う。

もし、まだ角田房子さんが書かれた「閔妃暗殺」を読んだことがない人は日本人として是非読んでほしいと思う。
タイトルにある「日本と韓国、近くて遠い国でいいのか」について、もちろんダメである。未来を思う時、近い国同士仲良くしていきたいと思うし、仲良くしていかなければと思う。そのためには日本と韓国の間に横たわる歴史問題を解決しなければならない。歴史問題を解決するためには日本人一人一人が近代史を知る必要があると思う。角田房子さんの「閔妃暗殺」は日韓関係を学ぶ教科書の一つになるかもしれない。