この本は、コロンビア大学教授のキャロル・グラックさんが行った特別講義を受講した14名の学生との対話をもとに編集されたものである。
特別講義を受講したのはコロンビア大学の大学生で、専攻は日本史、国際関係学、社会学、政治学、経済学など多彩で、また国籍も日本、韓国、中国、インドネシア、カナダ、アメリカなど国際性に富んでいた。講義の冒頭、教授は「この特別講義のテーマは別々に場所から集まった多様なバックグランドを持つ学生たちと、第二次世界大戦の「歴史」と「記憶」について4回に分けて話し合うことです。この講義は授業ではなく対話形式で行います。第1回目の今日は「パールハーバー」を題材に、第二次世界大戦の「共通の記憶」についてみなさんが考えていることや知っていること、私が考えていることや知っていることを話していきましょう。まず、この質問から始めます。「パールハーバー」と聞いて、思い浮かべることは何でしょうか」という質問で特別講義が始まった。
参加した学生全員がさまざまな意見を述べる。それらの意見を聞いて、いつそれを聞いたのか、どうやって知ったのかなどと質疑をした後、さらに学生に質問する。みなさんが今話したことは、「歴史に属することでしょうか、共通の記憶に属することでしょうか」どちらでしょう。どう思いますかという質問であった。ほとんどの学生が、授業で習ったこと、家族から聞いたこと、映画やヒストリチャンネルやテレビで学んだことなどから歴史に属すると答えた人が多かったが、これはすべて「共通の記憶」に属するものということであった。「歴史」と「共通の記憶」は相合に関係しているので実際に切り離すことはできないが、分けて考えるとその特性を知ることができる。「歴史」というのは、歴史家が「歴史書」に書くもので、なぜそれが起きて、その結果、どうなったかということが書かれている。主に学者や一部に読者に読まれるものを指すという説明であった。
第二次世界大戦についての「共通の記憶」について、各国によって記憶の重点が違う。同じ国民であっても、個人間でも世代間によっても違いが出る。また時代によって「共通の記憶」の中身が変わることもある。戦争の歴史については知っている人もいるが、知らない人も多い。歴史については個人によっても知識の差がある。「記憶の政治」という言葉がある。国にとって都合の良いことだけを国民に学ばせて、国が統治しやすいように国民を仕向けることである。
そのような中から、教授は次のように述べている
「第二次世界大戦が終結してから、既に75年近くが経つ。だがこの戦争は、今なおニュースになる。アジアでは慰安婦と靖国神社が、東欧ではナチスとソ連による占領期が、国内と国家間の双方で、政治的、そして感情的な問題となっている。なぜ、はるか昔の過去がこうも現在形で存在しているのか。歴史と記憶の問題を、どうすれば最良の方法で解決できるのか。過去がこれほど今に存在している理由の一つは、戦争の歴史をどう見るかはそれぞれの立ち位置によって変わり、戦争の捉え方が一致を見ないからだ。アメリカ人は、第二次世界大戦をドイツと日本の侵略に対抗する「良い戦争」と見る。日本人は、自国の指揮官によって悲惨な戦争に「巻き込まれた」と考える。韓国人にとってこの戦争は日本による植民地搾取の極地であり、中国人にとっては勇敢な抗日戦争だった。ロシア人にとっては「大祖国戦争」であり、インドネシア人は戦後の独立へと続いていく序章と見る。
これらの簡潔でわかりやすい「国民の物語」は、総力戦の渦に飲まれた国民の行動や犠牲を称える。これらの物語自体は「良い記憶」と呼べそうなものであり、それぞれの国を団結させ鼓舞するのに役立つ。しかしこれは同時に「悪い歴史」でもある。なぜなら国民の物語は、第二次世界大戦の物語の全てを語ってはいないからだ。国民の物語にあるのは、自国側からの視点だけだ。だが文字通りの「世界」大戦というのは、ある一国のみの視点からでは語ることはできない。
そして今、アジアでは中国と韓国と日本の間で、東欧ではロシアとポーランド、そしてバルト諸国の間で苦い感情を生み出しているのが、この「国民の物語」同士の衝突である。過去の戦争についてのそれぞれの国民の物語がぶつかり合い、現在において政治的かつ感情的な敵対心が生まれている。こうした「記憶の政治」にうまく対応するための一つの方法は、他国の「記憶」を尊重しつつ、それぞれの記憶に「歴史」をもっと加えていくことだ。記憶というのは物事を単純化するものだが、一方で歴史は、あの世界大戦の幾何学がいかに複雑で、入り組んでいて、多くの立ち位置が存在していたかを教えてくれる。良い記憶、良い歴史ーーーその二つが共にあることが、最良の解決策につながる。
この特別講義を終えて
「本書に収録されている全4回の講義は特に、国や社会、政治的背景がそれぞれ異なる学生達の見解を聞くことを目的としている。参加者すべてが発言し、他の学生の意見を尊重し、自分たちの記憶がどこから来ているのかに思いを馳せて欲しかった。対話の中では学生たちがたびたび意見を異にする場面も登場するが、同時に彼らは、互いの立ち位置がどれほど大きく違おうとも、他の人の発言を聞こうとしていた。
この対話を通して、私たちは戦争の記憶について意見を交換し合い、自分だけの見方に伴う限界や、複数の見方に触れることで得られる利点について、お互いから学びあった。全4回を通じて、学生たちは過去(歴史)についてより多くの知識を得ることや、多様な見方(記憶)を尊重すること、そして過去と未来の両方(歴史と記憶の両方)に責任を持つことの必要性を語っていた。全4回の対話を繰り返し出てきた言葉は知識・視点・尊重そして責任である。これらの言葉はより良い未来を開くための優れた道標になると思う。学生たちが対話を通して明らかにしたように、私たちに変える責任があるのは過去ではない。未来なのだ。」
日本は韓国・中国と歴史認識において問題を抱えている。その解決策としては対話以外に無いと思う。知識・視点・尊重・責任という道標をもとに解決に向けて取り組んでほしいと願う。