ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「呪いの言葉の解きかた」を読む

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この本は法政大学教授である上西充子氏が上梓した本である。不気味なタイトルで宗教関係の本と勘違いする方がいるかもしれないが、決してそういう類いのものではない。


上西先生は「呪いの言葉」について「私たちは、言葉を通じて物を考え、状況を認識し、自分の気持ちを把握する。言葉によって、私たちの思考は、行動は、縛られもするし、支えられもする。そういう中にあって、力を持つ者は、言葉によって私たちを支配しようとする。その支配しようとする言葉が「呪いの言葉」である。「呪いの言葉」は、いとも簡単に、私たちを縛ってしまう。その言葉の背後に、私たちは世間の目を感じて、あるいは迎えたくない破局を想像して、怯えてしまう。そういう効果を狙って、力を持つ者は、「呪いの言葉」によって私たちを支配しようとする。」と説明している。

そういう呪縛の言葉が「呪いの言葉」であり、本書には、労働の場での呪いの言葉、ジェンダーをめぐる呪いの言葉、政治における呪いの言葉などに分けて、それらの呪縛に満ちた「呪いの言葉」から抜け出し、自由を取り戻すための方法が書かれてあった。

上西先生の話を続ける。『「嫌なら辞めればいい」これは典型的な呪いの言葉だ。長時間労働不払い残業パワハラ、セクハラなどそういう問題に声をあげる者に対して「嫌なら辞めればいい」という言葉が決まって投げつけられる。

確かに辞めるという選択はある。けれども、辞めてすぐに次の仕事が見つかるとも限らない。だから、辞めるというのは、そんなに簡単に選択できることではない。にもかかわらず、「嫌なら辞めればいい」という言葉を投げつけられると、その言葉は増幅されて自分に迫ってくる。「その仕事を選んだのはおまえだろう。辞めずにいるのも、おまえがそれを選んでいるからだろう。だったら、文句を言うな。文句を言うくらいなら辞めればいいじゃないか」と。

だが、ひと呼吸おいて考えたい。「嫌なら辞めればいい」という言葉は、親身なアドバイスではない。親身になって考えてくれる人であれば、あなたが簡単に辞めることができない事情にも目を向けたうえで、言葉をかけてくれるだろう。

では、「嫌なら辞めればいい」は、何を目的に発せられる言葉だろうか。「嫌なら辞めればいい」と言われると、「それができるなら苦労はしない」と思ってしまう。けれども、そう考えるときに、私たちはすでに相手が設定した思考の枠組みに取り込まれているのだ。「嫌なら辞めればいい」という言葉は、辞めずに文句を言う者に向けられている。

長時間労働を強いる者や、残業代を支払わない者、パワハラをおこなう者、セクハラをおこなう者などに向けられたものではない。そもそもの問題はそちら側にあるにもかかわらずにである。不当な働かせかたをしている側に問題があるにもかかわらず、その問題を指摘する者を「文句」を言う者と位置づけ、「嫌なら辞めればいい」と労働者の側に問題があるかのように責め立てるのだ。不当な働かせかたという問題の本質を隠し、「なぜ辞めないのか」という問いの中に相手の思考の枠組みを固定化し、思考停止を迫る。「嫌なら辞めればいい」は、そのような「呪いの言葉」である。」と語っている。

 

このような「呪いの言葉は」相手の思考を縛り、心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めるために悪意を持って発せられる言葉だ。そのような「呪いの言葉」を浴びせられたら、その言葉に搦めとられないことが大切だ。「辞めればいいと言ったて・・・・・」と考え始めた時点であなたはその「呪い言葉」に搦め始めている、では、搦められないためには、どうすべきか?大事なのは相手の土俵に乗せられないことだ。相手の土俵に乗せられていると気づいたら、そこからすぐに降りることだと述べて、具体的には下記のように文例をあげている。

「嫌なら辞めればいい」

「どうせ辞められないだろう?だったら理不尽にも耐えろというわけですね」

「嫌なら辞めればいい」という言葉は、不当な働かせかたでも文句を言わずに働けという圧力と理解することができる。そのように捉え直すと、さらに、そのような不当な圧力に対してどう対抗できるかという発想を変えることができる。労働組合に相談する、公的機関に相談する、弁護士に相談する、など発想を変えて初めて様々な選択肢が浮かんでくる。その相談から、具体的な状況改善の糸口が見えてくることもある。』と結んでいる。

 

読んでいて、呪いの言葉を投げかけられ、それを呪いの言葉と認識せず、その呪いの言葉の中で思考の堂々巡りに陥り、苦しんでいる真面目な人も多いのではと思った。「嫌なら辞めればいい」だけでなく、さまざまな呪いの言葉が日本社会に発せられているのが現状であるように思う。例えば、若者がデモに出向き始めた当初、「デモ行くなんてよっぽど暇なんですね」「デモなんかで何が変わるの」「デモ行ったら就職できなくなるよ」などさまざまな「呪いの言葉」がネットに流れた。多くのこれらの言葉はデモ参加者を心配した上での言葉でなく、デモを抑圧するための言葉であると上西先生は語っていた。私たちは、常に呪いの言葉に囲まれていると思っていいかもしれない。

「呪いの言葉」だけの日本社会では息が詰まりそうだが、本書の後半には相手に力を与え、力を引き出す「灯火の言葉」さらに、みずからの身体から湧き出て自らの生き方を肯定する「湧き水の言葉」についても語られていた。言葉について改めて考える機会になった。