ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「新型コロナと貧困女子」を読む

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この本の中で著者は語っている
「平成時代に起こった貧困や転落は自己責任とされている。特に貧困に陥った底辺女性に向けられる「自己責任論」と「誹謗中傷論」はおぞましいと思うほどである。学歴が低いのは自分が悪い、非正規雇用を選んだ自分が悪い、暴力を振るう配偶者を選んだ自分が悪い、稼げないのに子供を産んだ自分が悪いと、社会と制度に優遇された男性たちが苦しむ女性達にネット上で厳しい声を叩きつける。女性の苦境がインターネットで記事になれば、、その記事は男性たちが書き込む自己責任、誹謗中傷の言葉で埋まっていく。

10年以上前から、女性が生きていけず、生きるために続々と風俗や売春に走る異常事態となっている。政府も自己責任論を支持してその貧困を放置している。自己責任なのでセーフティーネットはない。社会保障費をもっと削減するために国民の互助や自助を煽っている。そしてその状況は、コロナになって、さらに悪化している。」

この本はカラダを売ってギリギリの生活を強いられる女性が膨大に存在するという現実、貧困の巣窟とも言える水商売、風俗業界の惨状をレポートしたものであった。この本を読んで、暗澹たる気持ちになった。


このような底辺女性を手助けする制度はないのかと案じていたら、犯罪者の社会復帰を手助けするシンポジウムが長崎で行われ村木厚子氏が「罪に向かわせない」というテーマで基調講演を行った。 

村木厚子さんは厚生労働省の元官僚の方である。村木さんは2009年6月、全く身に覚えのないことで逮捕され、拘置所で164日間暮らすことになった人である。裁判の結果、身の潔白が立証され無罪放免になった。そして国から賠償補償金が支払われたが、その賠償金を「共生社会を創る愛の基金」に寄付し、その活動を支援した。

村木さんは拘置所生活の中で若い女性受刑者に接して、彼女たちの罪名が薬物や売春であることを知ったことで、「愛の活動の基金」の一貫として、虐待や貧困に苦しむ少女や若い女性を手助けする「若草プロジェクト」を立ち上げた。

村木さんは講演の中で次のように語っている

「若い人を取り巻く現状はとても厳しい。7人に1人ぐらいの子供は相対的貧困である。ひとり親家庭だと二人に一人が厳しい家庭にいる。児童相談所に通報があった虐待の相談件数は増加していて年間16万件に達している。このうち、施設や里親に預けられた子供は3%にすぎない。他の子は相変わらず自宅に戻される。万全とは言い難い状況の自宅に戻る子もいる。
施設に収容されても、18歳になると基本的に「大人だから自分でやっていけるよね」ということで施設から出される。頼る実家がない子たちが、すぐに一人で生きていける職業がどれくらいあるだろうか。

活動を始めて、必要なものを提供できているのか実はそこがなかなか難しかった。若草プロジェクトの活動をはじめた頃、若い女の子達の気持ちが分かる同世代の支援者に来てもらって勉強した。とりわけ強烈だったのが支援者の女性の次の言葉であった。「日本の全ての公的福祉は JK ビジネスのスカウトのお兄さんに負けている。」女性曰く、行政は「困ったらここに相談を」と座って待っているだけである。JKビジネスのスカウトは夜な夜な一人一人に声をかけていく。困っている子、弱ってる子を出来るだけ早く見つけ優しく声をかけて奈落の道へ誘っていく。支援者とスカウトのどちらが先に声をかけるかの競争が続いている。別の支援者の女性は「立派な大人は敷居が高い。女の子が抱える不安や葛藤を知る信頼できる大人になって下さい」と言った。そのような支援者の声を踏まえて、「市民自立型社会」の実現を目指している。

 

犯罪者や生活困窮者はいくつかの問題を抱えていることも多い。本人だけでなく家族の問題も重なっていることも多い。困っている人に伴走型で一緒に歩きながら、問題解決の道を探していく。本人に付き添って「この問題はこの人に」と地域の社会資源とつなぐことをやっていく。福祉という狭いテリトリーの人だけでなく、地域の社会資源が一緒になって、自分ができることを提供していく社会を作ろうと変わってきている。

そのような動きは刑事司法の分野でも起こっている。2016年に再犯防止推進法が施行された。罪を犯した人が再度、刑務所に行くことがないようにするため「国だけでなく自治体も一緒にやっていこう」と 塀の中と外、一般社会が協力して息の長い支援をするとうたった法律ができた

「見つかってくれてありがとう」兵庫県明石市長の言葉だ。犯罪をして逮捕されて刑務所に入れられる。そのことで初めてここに困ってる人がいたんだとわかる。社会が、特に行政が犯罪者を「出所後、住民として帰ってほしくない」と思うか「この後、放っておかない」と思うかで大きく対応は違ってくる。

犯罪は川下だと思う。犯罪に結びつく前に、子供のときに家庭環境が厳しかった、悪い大人に騙された、犯罪に至るまでにはさまざまなプロセスがある。犯罪は最後に結果として出てくる。奈落の底に沈む前に「どこかで引っかかる社会」を作れないかと思っている。

引っかかるためには本人にも力が入る。手を差し伸べて救うためにも、本人側が助けてくれと手を出して声を出すためにも力がいる。大事なのは自立という概念である。日本では人に頼らないのが自立だと教わってきた。

しかし、これからは自立の概念を変えていかなければいけない。自分ができないことは人に頼り、人ができないことを周りが助けながら生きていく社会を作らないといけない。困ったことを早くオープンにできて、専門家や周りの人の手助けを借りられる社会が生き心地の良い町であり、きっと犯罪も少なくなる。そんな社会を作っていきたい。それが「市民自立型社会」である。


大きな課題があったら行政も企業も NPO (民間非営利団体)NGO(非政府組織) も司法もみんな協力してやっていく。「市民自立型社会」を目指しながら、みんなで何ができるかを考える機会になれば嬉しい」と結んでいた

 

村木さんの基調講演を聞き、確かに犯罪は川下だと思う。奈落の底に落ちる前に、困っている人、弱っている人に社会が気づき、手を差し伸べられるような町であったらいいなと思う。自分さえ良ければという考えではなく、生きづらさ、生きにくさを感じている人たちをみんなで支え、助け合う「市民自立型社会」創りに心から共感したいと思う。