ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「18歳のためのレッスン 第4回」を見る

「18歳のためのレッスン」は18歳に選挙権が与えられたことを機に、そのための勉強を始めようということで作られた講座である。

前回、浜矩子先生による「18歳ためのレッスン」について書いたが、このレッスンは11回あるようだ。今回は立教大学教授の西谷修教授による「ほんとうの戦争の話をしようか」を見た。

 

今回も前回同様、西谷先生が最初講義をして、そのあと質疑応答で理解を深めていくという形で進められていた。

西谷先生は戦争について以下のように話された。

『戦争を考える時の共通理解として、戦争という言葉から私達は国家間戦争を考える。それは

国家が国民を動員してほかの国と戦争することである。これが私達が規定する戦争である。昔から人間は戦争をしてきた。昔から私達は集団の中に社会をつくり、普段は安定した生活をしていく。集団という社会の中で普段は一人一人が好きなように自由に振舞いながら生活していく。そういう個人の自由が集まって社会を形成する。そのような社会が、一旦戦争状態に入ると一人一人の生き方が否定され、個人の意味もなくなる。集団が重要になり「個に対する集団の圧倒的優位性」が生まれる。戦争では集団が生き残るために個人が犠牲になるのは当たり前になる。一人一人の個人が死んでも怪我しても仕方ないこととされる。個の全てが否定される。その状態が戦争であり、戦争は普通の人間の枠組みを壊して、非人間化、脱人間化をもたらす。

 

そのような戦争の枠組みは17世紀にヨーロッパにおいて主権国家が成立することによって始まった。主権国家が成立するとともに主権国家は世界に進出して世界各地で植民地化を目指した。日本も明治以降主権国家となった。主権国家は戦争する権利を持つことが容認された。戦争は主権国家であればいつでもやってよいとされた。主権国家の力関係で世界の広域秩序がつくられていった。

 

「20世紀は世界戦争の時代」

第一次世界大戦以前は、戦争は局地戦であり、新しい秩序をもたらす手段として必ずしも嫌なものではなかった。

しかし、第一次世界大戦は、当初3週間で片がつくといわれていたが、長期化し、規模が拡大し、被害が圧倒的に大きくなった。最終的に一方に革命が起こり、一方の無条件降伏で終了した。一方の国が亡国しない限り戦争が終わらないという甚大な被害と広域的な荒廃と莫大な数の難民の発生という事態を招いた。この被害の大きさから戦争は悪だと言われ始めた。

しかし、二度と世界大戦が起こらないようにしようと努力している中、第二次世界大戦が勃発した。第二次大戦はさらに規模が拡大し、近代産業が戦争産業に動員され、全世界を巻き込んだ総力戦の全面戦争に発展した。大量虐殺がおこり、原子爆弾という悪魔の兵器が開発され、人類史上最悪の戦死者を出して終わった。

戦争の目的は相手国を屈服させて自分の主張を認めさせることである。しかし、大規模殺戮、大規模破壊そして全てを消滅させる核兵器の登場により、戦争はもはや正当化できなくなった。

 

「核の時代」

核の時代の到来により主要国は戦争ができなくなった。どちらが戦争を起こせばそれは地球の破壊を意味することになった。その結果、国家間戦争はできなくなった。その代わり冷戦状態が作られた。冷戦状態は経済戦争をもたらした。共産主義自由主義の経済戦争は自由主義の勝利となり、自由主義グローバル化していった。

 

「21世紀の戦争」

21世紀は国家間戦争はできなくなったが、グローバル秩序を守るための戦争という名目の「テロとの戦争」が起こった。いま、日本は戦争をしない国から戦争ができる国になろうとしている。政府はその理由を中国が覇権を強めているからとか国際社会に貢献するためとかいっている。しかし、どんなに中国の脅威を煽っても国家間戦争はできない。今の世界の現実はテロとの戦争である。テロとの戦争が今までの戦争と違うのは、相手が国ではないということである。今までの戦争は対等な主権国同士の戦争であったので、戦争においてもルールがあった。しかし、テロとの戦争の場合はルールは何もない。テロとの戦争においては、テロリストである敵は一切の権利を認められない存在である。

 

「テロと戦争」とは何か

文明を守るために、テロリストは殺してもよい、人権がない人間がテロリストであり、テロリストは叩き潰してよい虫のようなものとして扱われる。そのようなテロリストがどうして生まれたかは一切問われない。

病気をもたらすウイルスを駆逐しようとしてワクチンを投入する。そのワクチンに耐性力を付けたウイルスがさらにはびこる。テロリストとの戦いはこのウイルスとワクチンの戦いに例えられる。テロとの戦争という名目でテロリストが住む地域に一方的な爆撃が行われ、それによって多くの難民が発生する。難民は援助を受けられないばかりか、多くの付随的被害が難民にもたらされる。被害を受けた難民の中からまた新たなテロリストが誕生する。これが現在の戦争の現実である。

テロという犯罪行為を

戦争に仕立て上げて

報復戦争はいまや世界を

無法の秩序状態に巻き込んでいる

 

日本は中国の覇権に対処するためにとして軍事国化を急いでいる。しかし、日本の再軍備の本当の狙いは集団的自衛権に見られるように、アメリカのテロ戦争に参戦することである。アメリカが日本の再軍備を認めることはアメリカの戦争の手伝いをさせるためである。再軍備したら必ずアメリカの「テロとの戦い」引きづられることとなる。』という話であった。

 

質疑応答

大学生「安倍首相がテロリストには屈しないという発言をしたが、これはテロとの戦争の中でどのような意味になるか」

西谷先生「これはブッシュ大統領の発言の追認である。テロリストには屈しないという意味は交渉相手として認めないという意味である。テロリストは交渉相手と相手の資格がないということは、同時に人質は見捨てるという意味でもある。文明国の秩序を守るために非文明は叩き潰すという宣言である。」

 

大学生「国家のために戦争で犠牲になった人を祀るのは当たり前のように思う。靖国神社について先生はどのように考えますか」

西谷先生「お国のために滅私奉公するのは当たり前であり、そのような尊い行為をして亡くなった方のことを決して忘れてはいけない。このような精神を大事にしましょうという思想を広めることは、そのような死を国家が取り込み「死の貯金箱」として「国家の資産」にしていくことである。靖国ナショナリズムを稼働させるための国家の装置であると考えている。」

 

大学生「テロリストが生まれるのと社会的弱者の犯罪の発生には同じ構造みたいなものを感じる。ただ処罰するだけでなく、どうしてそれらが生まれるのかを考えないと根本解決にならないと思う。そのようになされているとは思えない」

 

西谷先生『その観点は重要です。犯罪について考えると、アメリカの刑務所は民間委託が進んでいる。アメリカは、犯罪が起こるとそれを罰する警察的管理国家社会になってきている。なぜ犯罪が起きるかそれは重要でない。犯罪は機械的に処罰される。貧困が増加する。犯罪が増える。刑務所が不足する。刑務所を増やす。管理が大変になって刑務所の民間委託が始まる。そして多くの刑務所が民間委託に変わる。その流れで処罰対策が重要視され根本的解決は疎かにされていく。

 

冷戦後の戦争の民営化も同様である。戦争は、破壊であり略奪であり人殺しをすることだから、今までは国家が関知する政治領域であった。現在の戦争は機械化が進み兵站が巨大になり国だけでやることが困難になった。戦争に関連して民間企業にできることは全て民間企業に委託するようになった。戦争において国が行うことは少なくなり、戦争に国が全責任を持たなくなるようになった。現在の戦争は民間企業が自由競争の中で戦争業務をやるという状態になっている。

戦争するためには若者を動員するために徴兵制が必要になるが、いまはその徴兵制も必要ない。その徴兵業務も民間委託することで解決している。アメリカではニクソン大統領時代から若者を貧困状態においてリクルートする制度が定着している。

 

アイゼンハワー元大統領が、「我々の国は恐るべき勢力によっていつの日か乗っ取られるかもしれない。それは軍産複合体である。」と言ったことが現実になってきている。

民間委託することで企業が日常生活も戦争も関わりを持つようになってきた。そして企業の力が国を動かすほど大きくなってきた。昔は、国が企業を育て指導していた。今や、企業が国を動かすほどになってきている。これが硬直した社会構造の大きな要因となっている。そして、日本もアメリカと同じ道を歩もうとしている。

 

バカな戦争をやらないためには、企業の方針に賛成して戦争できる国を作るために力を注いでいる政党や政治家を選挙で落選させることしかない。政治を取り戻すことしかない。政治を復活させることしか道はない。そのために動くことが必要である。』

 

講義を受けて、一人の大学生が言った。「戦争は仕方ない。人間は石器時代からずっと戦争している。戦争は必要悪であると言う人もいる。私はそれはおかしいと思う。確かに、人間は戦争をやめたことはないかもしれない。しかし、私は人を殺したくないし、殺されるのも嫌だ。だから戦争反対を言い続ける。大人になることは物分かりのいい人間になることであるみたいな話を聞く。大多数の人が戦争に賛成しても、私は戦争に関しては物分かりのいい人間にならない。戦争反対を言い続けたい。行動したい。」

 

西谷先生の講義を受けて企業が戦争を受注している実態を知って驚いた。戦争を続けない限り食べていけない人たちがいるということである。そのような社会構造がつくられ、日本もそのような危険な道を歩もうとしている感じがする。私も大学生と同じように、戦争については決して物分かりのよい人間にならないようにしよう。戦争しない国を作るためにこれからも戦争反対をいい続けていこうと思う。