ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「狂った世間をおもしろく生きる」を読む

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宗教思想家であるひろさちや氏(1936年(昭和11年)7月27日 - )が2011年に上梓した著書「狂った世間をおもしろく生きる」を読んだ。この本の中で氏は宗教思想家の立場から現状の社会を地獄の社会と呼び、その中でいかに生きていくべきかを直言している。氏の直言は説得力があり、共感することが多くあった。

その中で、興味を覚えた箇所を記す。
『ここに二人の人間がいますがパンは1個しかありません。そのとき、パンをどう分けたらいいでしょうか?選択肢は次の四つです。A半分ずつに分ける 、B 一人が食べてもう一人は食べない、C二人とも食べない、Dパンの数を増やす、ABCDあなたはどうしますか?
講演会場での回答はほとんどの人がA(半分ずつに分ける)と答えます。全体の90%くらいの人がAと答えます。次がD(パンの数を増やす)で6〜7%くらいです、あとはB(一人が食べて一人は食べない)が2~3%ほどで、C(二人とも食べない)と答える人はほぼゼロです。

戦後の貧しい時代、私たち日本人は自民党政権が進めてきた政策 D を支持しました。パンを増やすことで豊かになろう。皆の分け前を増やしていこうという経済成長路線です。こうした考え方は1960年に就任した池田勇人総理大臣の元、所得倍増計画として国民に発表され、多くの国民がそれを支持して今日まで来ました。

経済成長を目指す以上、必ずそこについてまわるのが競争原理です。パンを限りなく増やすためには、どうしても競争が必要です。もし、競争原理が導入されていなければ、二人の人間にパンが二つになった時点で、経済成長はストップしたことでしょう。競争をしないことには、それ以上パンは増えないんです。私たち日本人は、もっともっとパンを増やす道を選びました。所得が倍増しても飽き足らず、二人に3個、ニ人に4個というように、ただひたすらパンを増やそうとしてきました。それが、その後の高度経済成長、田中角栄元首相の唱えた日本列島改造論、そしてバブル経済へと続く道です。そして、その間、国民は一度も競争原理の導入に対して反対を唱えたことはありませんでした。おかげで、私たちは競争が良いものだと思い込むようになりました。

しかし、競争社会においては、パンの数が増えても分け前が増えるとは限りません。「2人に一個だったパンが、高度成長で四つになったら、一人あたり二つになるだろう」と言うかもしれませんが、競争社会というのはそんな甘っちょろいもんじゃありません。私達は、これまで競争原理を導入して、ひたすら頑張ることで高度経済成長を成し遂げました。今の日本の社会というのは、二人の人間にパンが5つあるような状況と言ってよいでしょう。じゃあ、2人にパンが五つあったら、どう分ければいいでしょうか。

先ほどの問題で A と答えた人、つまりパンを半分ずつに分けるという原理を取った人は、ここでも当然2個半ずつに分けるべきと言うでしょう。ところが、今の日本ではそうした考え方はどこにも現れてきません。1980年代頃までならいざ知らず、いわゆる小泉改革以後、私たちの社会は大きく変質してしまいました。
二人の人間に五つのパンがあるとしたら、そのうち負け組は一個だけを取り、勝ち組は4個取るという社会になってしまったんです。負け組が不満を漏らすと、「格差があってなぜ悪い」と勝ち組は開き直る。いつのまにか、社会の中に大きな格差があることを、私たちは当たり前のように受け入れてしまいました。
そんな中、金持ちは今どうしているかというと、「景気が悪い。もっと景気を良くして、もっといい世の中にしてくれ」と言ってるわけです。かといって、もはやパンが6個、7個になるなんて誰も信じていません。では、彼らは何を求めているかといえば、自分たちの取り分を増やしたいと言っているわけなんです。つまり、これまで四つのパンを食べていた金持ちにとっては4.5個食べることが「いい世の中になる」ことになります。つまり、ひとつしか食べてない人の半分を奪うほかありません。そのために、税制を自分達の都合のいいように変えたり、貧乏人の福祉を減らしたりするわけです。それが実現したら、次は4.7個取れるように金持ちは画策することでしょう。一方、負け組の方は、1個から半個、次には0.3個とどんどん自分たちの取り分が減っていくことに対して、たいした抗議もできずに押し黙っているのが日本の実情です。なかには、「国の財政が厳しいから」なんて勝手に気を回して、金持ち優先の税制改革に、積極的に賛成する貧乏人もいるんですからお人好しもいいところです。

そんな庶民が一致結集して、政府に対して「5個のパンを2.5個ずつ分けろ」と異議申し立てをして表舞台に登場したならば、きっと日本は大きく変わることでしょう。それが庶民にとっての「いい世の中」なんです。でもそんな気力が庶民に残されているでしょうか。どうも日本人は去勢されてしまったように思います。金持ちのいう「いい世の中にしよう」という麗句に騙されてはいけません。「いい世の中」というのは、その立場によって違ってくるものなんです。』と主張されていた。

日本の社会の現状は、金持ち優遇の政策を推進する自由民主党の歴代首相によって今日の地獄の社会が作られてきたのだと私も思う。金持ち優遇の政治から庶民のための政治に変えるには政治を変えるしかないと心から思う。

ひろさちや氏は愛国心のついても次のように語っている。
愛国心なんていりません。間違えちゃいけないのは、絶対にこの国を愛する必要がないということです。その点はきちんと認識しておかなくてはいけません。なぜって、この国は地獄だからです。地獄を愛する人なんていますか?政治家に愛国心を持てなんていうやつがいますが、ちゃんちゃらおかしい。盗人猛々しいとはこのことです。それはそうでしょう。愛される国を作る義務を持っているのが政治家なんです、愛することができない国を作っておいて、この国を愛せというのは、政治家が間違っているんです。お前たちはこの国から出て行けと私は言いたい。
そして、「こんな地獄の社会など愛せないんだ」と腹をくくったときに初めて、私たちは真の幸せを得ることができるのです。』

愛国心についてもひろさちや氏に同意する。このような国民の人権が無視されるような地獄の社会を愛することはとてもできない。愛国心については、2006年12月に第1次安倍内閣の下で成立した改正教育基本法で、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」という愛国心が盛り込まれた。安倍首相は平和憲法を無視して戦争法を通した人である。その人が愛国心を主張するのは、愛国心で国民を戦争に駆り立てたいのだろうと思う。安倍元首相の嫌悪すべき人柄を思うと、こういう人に利用されたくないと国民としてつくづくと思う。