ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「アフガニスタンで考える」を読む

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亡くなられた中村哲医師が、国際貢献憲法9条について書いた「アフガニスタンで考える」というブックレットを読んだ。

このブックレットの冒頭、中村哲医師は
アフガニスタン国際貢献、そして憲法九条。これらが一体どう結びつくのか、と思われる方もいらっしゃると思います。あるいは、国際貢献なら話はわかるが、なぜそこで憲法九条が出てくるのだ、と思われるかもしれません。ですが、国際貢献のために自衛隊の海外活動が徐々に拡大してきた中で、私達のようにアフガニスタンで日々活動していると、日本という国のスタンスと憲法9条とがいかに深く関わっているかを、痛切に感じざるを得ないのです。
実際、私たちが日本に帰ってきて危惧するのは、現地の現実と、日本で行われている様々な平和に関する議論が、あまりにもかけ離れている、と感じることです。それを、説明するためにも、まず、現地の様子を知って頂きたい、と考えます。アフガニスタンはどういう国か、「国」の実態と我々が普通に想像する姿とどう違うのか、そして今、どういう状況に置かれているのか・・・・・・・・』

『私が初めて現地ペシャワールに入ったのは、1984年です。当時アフガン戦争の真っ只中でした。1979年12月、当時世界最強の陸軍と言われたソ連軍10万が大挙してアフガニスタンに侵攻するという事件が起こりました。その後、1989年2月にソ連軍が撤退するまで10年近くも、アフガニスタンは戦乱の渦の中に置かれ続けました。この戦争による死者は200万人は下らないと言われています。その三分のニは非戦闘員です。つまり、国民の約10分の一がこれによって命を奪われたわけです。さらに600万人、国民の四人に一人が難民となりました。「アフガン難民」です。そこで、私たちも医療の立場から必然的に難民問題に巻き込まれていきました。

ソ連軍が撤退した後も、アフガニスタンに平和が訪れることはなく、その後は激しい内戦状態に陥りました。
私達は外務省が言うところの危険地帯と呼ばれるところで活動を続けています。しかし、現地の人々から攻撃を受けたことはありませんでした。
当時、アフガニスタンのどこに行っても、奥地の奥地に行っても、どこの国の人かと尋ねられて、日本人と答えると丁重な扱いを受けることがよくありました。

私たちは活動を通じて多くのアフガン人に接しますが、アフガニスタンにおいては、単に日本人であるがために命拾いをしたとか、単に日本人であるがために仕事がうまくいくようになった、とかいうことはそれこそ数知れずありました。これは、日本という国の大きな財産だったと思います。この理由にはいろいろな側面があります。古いところでは日露戦争(1904〜1905年)での日本の勝利(負けなかったこと)を挙げる人がありました。極東の弱小国が大国ロシアに勝った、ということへの敬意です。
そして、もう一つは敗戦後の経済復興への賞賛です。広島、長崎のことはみんな知っています。原爆を二つも落とされた壊滅的な敗戦からここまで経済的に成長したことへの敬意、といえばいいでしょうか。
そして、経済的大国となったにも関わらず、他国への武力による介入を行なわなかったことへの敬意。長いあいだ、これは日本の安全保障上の大きな財産でした。
ところが、これが、決定的に変わり始めたのは2001年10月のアフガン空爆からイラク戦争に至るまでの、一連の日本政府の決定とそれに伴う自衛隊(現地ではジャパニーズアーミーという)の動きが現地に伝わるようになった頃から、徐々に変わっていったのでした。私たちを知ってる人達はもちろん、わかってくれますけれども、今や、地域によっては、単に日本人であるために攻撃を受けたり、単に日本人であるがために仕事の妨害をされる、といったことも起こりつつあるのです。このことは、是非知っておいていただきたいと思います。』と語っている。

中村哲医師は日本に帰国すると、ペシャワール会への活動報告会を精力的に行なっていた。その中でも「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語っていた。

『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かります。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障です、と危険地帯で日本の憲法9条の庇護の下に活動を続けていた中村哲医師が銃弾に倒れた。
憲法9条が守ってくれていると言っていた中村哲医師が銃弾に倒れたことは、日本国は今までと違い、憲法9条を放棄した国になったと思われたからでないかと推測する。
私は、危険地帯ほど助けを求めている多くの弱い人たちがいると言って、危険を顧みず国際貢献に邁進していた尊敬すべき同胞を守れなかったことを心から悔やむ。