ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

南山手ウオーキング

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青点をスタートして矢印方向に進み、出発点に戻る周回コース。距離5.0km、歩数7250、最高高度61m、最低高度1m、上昇高度108m、天気晴れ、気温22度、湿度82%

南山手は昔の居留地時代の面影を残す場所である。南山手にはグラバー園など長崎観光の代表的な施設などもあり、昼間は観光客で賑わうエリアである。南山手はエキゾチックな雰囲気が感じられる魅力的な町である。久しぶりに南山手を歩きたいと思い出かけることにした。

 

 

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 今日のコースは南山手の一角に当たる松が枝地区からスタートすることにした。この地区は海岸線にあり、すぐ近くには旧香港上海銀行(現在は市の歴史資料館)の建物が今も威風堂々として聳え立っている。1904年頃に撮影された古写真の中央に立つ白い建物がそれである。その右には当時長崎一豪華なホテルと言われた3階建ての長崎ホテルが見えるが、そのホテルは今はない。南山手は昔の居留地時代の風情が残る町である。

 

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歩き始めたら電車の音が聞こえてきた。長崎は市内を路面電車が走っている。南山手の先が「石橋」という路面電車の終点になっている。路面電車を追う形で石橋まで歩いたら、大浦国際墓地という案内を見つけた。大浦国際墓地は、江戸末期の1867年、長崎で亡くなった外国人のために造られた墓地である。今でこそ周りが住宅地になっているが、当時は居留地に近い町のはずれということで、この地が選定されたのだろう。

 

 

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大浦国際墓地から戻って南山手へ向かう。南山手は丘陵地である。その丘の斜面に、日本で初めて道路として造られた「斜めに動くエレベーター」が見えてきた。この斜行エレベーターは「グラバースカイロード」と呼ばれている。エレベーター距離100m、高低差50m、傾斜角度31度のエレベーターはこの丘陵地に住む住民の強い味方である。

 

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グラバースカイロードを使うと、汗もかかずにあっと言う間にに上まで行けるが、メタボ減量中の私は階段を一歩一歩登っていくことにした。階段の入口に「大浦元気坂318段」と書かれてある。318段は簡単と思って上り始める。しばらく上ると足が重くなる。立ち止まって振り返ると見慣れない景色が広がっている。上に行ってもっと良い景色を見たいという気持ちが湧く。良い景色を楽しみにさらに上っていく。

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階段を上り切ったら、観光客のための休憩施設である南山手レストハウスに着く。この洋館は江戸時代末期の1864年頃に造られた古い洋館である。室内は当時の人々が使用した家具やオルガンなども置かれている。居留地時代の古写真やビデオも観られるようになっている。

この洋館に住んでいた一人の若い主人の悲しい話も伝わっている。「この洋館に住んでいた炭鉱技師ストダート氏は24歳のとき愛妻と共に長崎に来て、炭鉱の監督官として活躍していた。ある時、上海で流行性感冒にかかり衰弱しながらも船で長崎に帰り着いた。そして仲間に止められながらも、この自宅までやっとの思いでたどりついた。なぜならそこに愛する妻がいたから。しかし、肺炎を併発していたため、翌日、妻の腕の中で息を引きとった」とある。

 

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南山手レストハウスからの眺望は長崎らしさをよく表している。山の頂上までびっしり張り付いた家々、この坂のまち、長崎ならではの光景を長崎の版画家田川憲氏は「人間の丘」と呼んでいる。

 

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南山手レストハウスからの眺望を楽しんだ後は、「祈念坂」を下っていく。ストダート氏は愛する妻が待つ自宅に向けて、この祈念坂を上って行った。衰弱している身で下から上ってくるのは大変だったろうと思う。この祈念坂は夕方6時に教会の鐘とお寺の梵鐘が協奏曲となって聞こえてくる場所である。

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祈念坂を下りてしばらく進んだら、大浦天主堂に出る。大浦天主堂は日本最古のゴシック建築様式の教会である。大浦天主堂は、200年以上の時を超えて、潜伏していた隠れキリシタンがマリア様の前で信仰を告白する、いわゆる信徒発見の舞台となった場所である。

 

 

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大浦天主堂の前を通って進んでいくと、すぐにグラバー園入口に着く。今日はグラバー園は見学しないのでそのまま通過する。しばらく行くと、グラバー園の出口に着く。グラバー園出口には明治時代の黒いポストが設置されている。グラバー園が明治時代の建物だから、ポストも明治時代のものが準備されたようだ。もちろん、このポストは今も現役である。

 

 

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グラバー園を過ぎて、右手に港を見ながら歩いていくと、「ロシアコンスイ坂」に出る。ここは、昔ロシア領事館があった場所である。ロシア語で領事館のことをコンスルと呼び、それが訛って「ロシアコンスイ坂」と呼んだらしい。

 

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「ロシアコンスイ坂」を通り過ぎてさらに進むと、「ドンドン坂」に出る。雨が降ると流れ落ちる水がどんどん早くなることから、こんな名前がついたと言われている。南山手には港を見下ろす石畳の坂が至る所にあって面白い。

 

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「どんどん坂」をどんどんと下ってくると「居留地境」という石柱を発見。南山手には居留地時代の番地や境を示す歴史の証人とも言える石柱が至る所に残されている。

 

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居留地境の石柱を見て出発点に戻っていく途中にきれいな洋館が建っている。案内板によると南山手乙9番館という建物である。この建物は明治半ばにロシア人によって建造されたと書かれている。現在は美術館に使われている。

 

南山手を久しぶりに散歩した。南山手は居留地だから異国の人たちが住んだ町である。イギリス人、アメリカ人、ロシア人、フランス人、イタリア人、オランダ人などいろんな国の人が住んでいたのだとあらためて知った。南山手の風景と南山手からの眺望はいつ来ても懐かしい思いがする。