ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「掏摸」を読む

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中村文則氏の「掏摸」を読んだ。読んだ後に、何か口の中に苦いものが残ったような、普段あまり感じないような嫌な味が残った。この普段感じない味というのは私が単純な人間であることと、体験したことのない裏社会が舞台となっている小説だからかもしれない。自分にとって理解できない知らない世界というのであれば興味をなくして、途中で読書を中断してももちろん言い訳だが、そこは中村氏の豊かな表現力に引きづられて、また未知の世界を覗いてみたいという好奇心も手伝って最後まで読み切ってしまった。しかし、後味の悪さがいつまでも残る結果になった。

この小説の主人公、西村は、掏摸(すり)である。掏摸という漢字はなかなか書けないが、「すり」は他人が身につけている金品を、その人に気づかれないように、すばやく盗み取る人である。主人公は東京を根城とする天才掏摸師である。この小説を読んで掏摸師は親指を使わないことを知った。懐中の財布を掴む時、人差し指と中指で挟むらしい。人差し指より薬指が長い人は中指と薬指を使う人もあるようだ。いずれにしても親指は使わず、抜き取る時は3本の指を使うらしい。掏摸師は手の技だけでなく、周囲の人の中から一番裕福な人を見つける才能が必要らしい。裕福な人を見つければ間違いなく大金を盗むことができるということだ。

裕福な人かどうかはその人の服装で判断するようだ。小説に出てくる話では、「初老の男の服装はコートも背広もブルネロで、靴はオーダーもののベルベッティの革靴で少しもすり減っていない。そして左手首に巻いた銀の腕時計はデイトジャストで、袖口からわずかに見えた」とあった。天才掏摸師は一瞬で持ち物からどの程度の裕福さであるかを判断するようだ。ブルネロもベルベッティもデイトジャストも判断つかない私には掏摸師は無理だとわかった。

主人公がどのような環境で育って、どのような経緯で掏摸師になったのかはわからないが、一匹狼として裏社会で生きていた。何もなければ、天才掏摸師として捕まることもなく、気ままに、静かに過ごしていくだけであったが、裏社会で一匹狼で生きていても友達ができる。その友達に頼まれ、一度強盗のを手伝いをしてしまう。ある時、万引きをしている母子を見つけ、助ける。万引きをさせられている子供に小さい頃の自分を投影したのか、その子に関心を持つことになる。そういう中、裏社会のつながりで、裏社会の黒幕である木崎から三つの仕事を頼まれる。仕事内容の一つは、ある男から携帯電をを取ること。ただし、盗まれたと思われないように落としたと思わせるように盗むこと。二つ目は、別の男から、盗まれたと思われないように指紋のついたライターを盗むこと。併せて、髪の毛を2〜3本ぬきとること。3つ目はある男から書類を盗むことという三つの仕事を依頼された。断ると母子を殺すというので否応なく仕事を受けてしまうということで物語が展開していく。


読後感に嫌なものを感じるのは、西村に三つの仕事を依頼するときに木崎が言った次の言葉である。
「この人生において最も正しい生き方は、苦痛と喜びを使い分けることだ。すべては、この世界から与えられる刺激にすぎない。そしてこの刺激は、自分の中でうまくブレンドすることで、全く異なる使い方ができるようになる。お前がもし悪に染まりたいなら、善を絶対に忘れないことだ。悶え苦しむ女を見ながら、笑うのではつまらない。悶え苦しむ女を見ながら、気の毒に思い、かわいそうに思い、彼女の苦しみや彼女を育てた親などにまで想像力を働かせ、同情の涙を流しながら、もっと苦痛を与えるんだ。たまらないぞ、その時の瞬間は!世界の全てを味わえ。お前がもし今回の仕事に失敗したとしても、その失敗からくる感情を味わえ。死の恐怖を意識的に味わえ。それができた時、お前は、お前を超える。この世界を、異なる視線で眺める事ができる。俺は人間を無残に殺したすぐ後に、昇ってくる朝日を美しいと思い、その辺の子供の笑顔を見て、なんて可愛いんだと思える。それが孤児なら援助するだろうし、突然殺すこともあるだろう。かわいそうにと思いながら!神、運命にもし人格と感情があるのだとしたら、これは神や運命が感じるものに似てると思わんか?善人や子供が理不尽に死んでいくこの世界で!」

木崎は裏社会で君臨する人間である。苦しんでいる女を見て、同情の涙を流しながら、もっと苦痛を与えろと言っているのが理解できない。裏社会で人を束ねて生きていくにはこのような考え方が必要なのかどうかわからないが、私にはどうしても理解できない内容である。

この小説は、主人公西村の掏摸という仕事を通して、人間の運命を語っている。西村は小学生の頃から、ものを盗んで生きてきた。生きるためにはオニギリを盗んできた。盗むことに抵抗など感じることはなかった。他人の作ったルールは他人のものでしかなかったと西村は語っている。そのような運命に生まれ、裏社会で生きる西村に、裏社会に君臨する木崎が生き方を示しているが怖いと思った。中村氏の作品は面白いが疲れる。