ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

『「始末」ということ』を読む

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宗教学者山折哲雄氏の著書『「始末」ということ』を読んだ。
「人生の終わりのための活動」を意味する「終活」という言葉を、ときどきに耳にするようになった。「終活」の中身は医療介護・生前整理・資産整理・相続・葬式お墓など多岐にわたるが、この本の中身は、終活におけるさまざまな処理のノウハウ本ではなかった。この本では、死に際しての我が身の処し方を、山折氏は「始末」として捉え、自分のいのちの最後をどう締めくくるのか、自分の人生にどのようにけじめをつけるのかについて書かれていた。山折氏はこの本の中で、「死を想う」ことの意義を問いつつ、氏自身の始末のこととともに、死の作法について語っていた。宗教学者としての豊富な知識と人間の死を見つめてきた山折氏の考えは、私も死を考える上で参考になるものがあった。その中のいくつかを記す。

日本人と火葬
東日本大震災では多くの方が犠牲になった。燃料不足や停電により火葬場は稼働できない。ようやく電気が通じ、燃料の補給路が確保されてからも、各市町村の火葬場の処理能力をはるかに超えた大量の遺体に、対応が間に合わない。しかも遺体は日々増えていく。震災のご遺族はみな火葬を希望されたが、腐敗が深刻化するなかで、急遽、土葬という判断を下した自治体もあった。日本では現在、火葬率が99%を越している。ほとんどの土地でごく当たり前のこととして火葬が行われている。

 

日本では火葬が当たり前であるが、世界的に見れば、火葬は決して多数派の埋葬方法ではない。イスラム教では基本的にすべて土葬。火葬は忌み嫌われる。キリスト教カソリックは土葬が主流。ユダヤ人も中国人もロシア人も根本的には土葬派である。

日本も明治以前は土葬が主流だったが土地の問題と環境衛生的な問題から火葬が推奨されてきて、現在に至っている。日本における火葬は当初は薪を使用して行われていた。しかし、大正12年関東大震災で大量の死者が出て遺体を処理しきれなくなった際、重油を使って火葬し、遺体処理のスピードアップを図ったことを契機に化石燃料による火葬が定着していった。そして、現在年間110万人以上の遺体を化石燃料で火葬しているわけだが地球の環境汚染、二酸化炭素排出量問題などから土葬を見直そうという動きもあるようだ。

 

骨と日本人 肉体の始末
国民の8割がヒンドゥー教徒であるインドでは火葬が一般的である。しかし、インドの火葬は日本のそれとは価値観がまるで違う。おおかたのヒンドゥー教徒は、親族が亡くなるとガンジス河のほとりの火葬場に遺体を運び、薪を積んだ上に遺体を置いて焼く。そして焼いたあとの遺灰を川に流す。ガンジス川に撒くのは基本的には遺灰だが、中には火葬せずにそのまま投げ込んで水葬にすることもあるので、遺体が流れていることもある。薪で焼くだけでなく、電気による火葬場もある。そちらの方が費用もはるかに安いが、そこで荼毘に付したいという人は少ない。お金がないからやむを得ないという場合にしかそちらに遺体を持ち込む人はいない。自然の力で炎を上げる聖なる火で焼くことが、ヒンドゥー教徒にとっては今もなお大事なことである。聖なる火で燃やし、聖なる川に流すことで、死者は苦しみから解放され、魂は安らかに昇天すると信じられている。ですから、彼らは墓を作りません。墓を作って死者を祀ったり慰霊したりする必要はないからですと書かれてあった。


チベットでは鳥葬が行われる。チベットの人達も死者の肉体にはこだわりはない。葬送の儀式によってすでに魂は昇天していると考えているので、肉体は魂の抜け殻だと見なしている。あとに残された遺体は神のお使いであるハゲワシに差し上げる。空をはばたく鳥がついばんでくれれば、肉体も天に昇っていけると考えている。陰惨でも何でもない。それは霊魂観が生きているからであり、彼らは魂の行き場について信じているものがあるからである。

奈良時代、日本では山のふもとや村のはずれなどの人里離れたところに遺体を置いてくる風葬が主に行われていた。万葉集には亡くなった人を悼む挽歌が多く収録されているが、そこで詠まれているのは、山の上へ、あるいは雲や霧の合間にあの人は昇っていったという歌が多い。当時の人たちは遺体について関心はほとんどなく、遺体から抜け出て山の方に昇っていく魂を想って歌を詠んでいた。ヒンドウー教やチベット仏教と同じ霊魂感と共通するものがみられるとあった。

 

ひと握り散骨
山折氏は自分の始末について「ひと握り散骨」という自然葬に決めているそうだ。山折氏は「ひと握り散骨」について次のように語っている。
『「ひと握り散骨」というのは、家族の手で縁のある場所にほんの一握りずつそっと撒いて自然に返してもらう、というものです。女房とどちらが先に行くかわからないけれども、残った方が火葬した骨を持ち帰り、家で細かく粉にする。何を使って砕けばいいのかという話になり、女房に「金槌でもいいか」と聞かれたので「さすがにちょっと金槌で叩くのは勘弁願いたい」と言ったことがあります。では何なら良いかと言うので、目下のところは「ウイスキーオールドパーの瓶なんか、ちょっと丸みを帯びていてちょうどいいんじゃないか。あれで砕かれるのであれば、まあ本望だよ」と言っています。連れ合いを偲びながら粉にする作業が、一種のホネカミよろしく、追悼の行為になるのではないかと思っています。
そして小分けにして、好きだった場所とか、かつて暮らした街とか、旅をした土地とか、思い出深い先々を訪ね歩きながら、人に迷惑をかけることのないような場所にそっと一握りだけ撒いてくる。この行脚の旅も、一種のお遍路のような、「同行二人」のような意味を持つ弔いになると考えて良いのではないでしょうか。そんなわけで、私の「一握り散骨」の気持ちには、「葬式はしない、墓は作らない、遺骨は残さない」の三無主義が付随するのです。』

終活の一つである自分自身の始末について、深く考えたことはなかった。今まで慣れ親しんだ仏教と今まで体験してきた葬儀のやり方をそのまま踏襲するだけと考えていたが、山折氏の著書を読んで、もう一度自分の始末を考えてみたいと思った。