ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

美輪明宏の金色の時間

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ある日、夜中に目が覚めて眠れない。無理に寝る必要もないと思いラジオを聴くことにした。NHKのらじるらじるの聞き逃しコーナーで番組を探していたら、「美輪明宏の金色の時間」という番組を見つけた。この番組は1月1日に放送された番組で、案内には「美輪明宏の金色の時間。2022年元旦、ふたたび極上の音楽とユーモアたっぷりのトークをお楽しみいただきます。番組は、美輪さんが戦前戦後の名曲を自ら編曲・紹介するDJスタイル。コロナ禍で疲弊した心にしみる名曲たちをご紹介します。」とあった。この番組のことは知らなかったが、私は美輪さんのフアンである。これはいい番組を見つけたと思い、早速聴くことにした。

 

「皆さん新年おめでとうございます。令和四年、美輪明宏の金色の時間が始まります。音楽というのは生活においてとても大切な役割を担っています。・・・・生活というのは生きることを活かすと書くでしょう。素晴らしい本を読んで、美しい音楽を聴いて、質の良い美術品に接し、毎日をいきいきと生きていきましょう。」という美輪さんの楽しいお話を聞いていたら曲が流れてきた。オープニング曲は文部省唱歌の「冬景色」であった。

さ霧(ぎり)消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚(さ)めず、岸の家。

この曲を聞きながら、ずっと昔の小学校時代、教室で先生のオルガンで歌った思い出が蘇ってきた。懐かしい。この曲は作詞作曲不詳ということであった。

美輪さんのトークが続く
「昨年はコロナでいい話はひとつもなかったですね。私の業界もキャンセルが続いて大変なことになってしまいました。その反面、素敵なことに大谷翔平君という野球の神さまみたい人が現れ大活躍しました。しかも笑顔で敵も仲間に引き込むような人柄で、みんなから愛されとても嬉しかった。また、ショパンコンクールで2位を獲得した反田さんとか、いろんなジャンルで活躍した人を見て感動したりしました。男性に限らず、女性の活躍も嬉しかった。柔道や女子サッカーや女子ラグビーなど、昔なら、女性はすべきではないと怒られたスポーツで、堂々と女性が活躍して素晴らしいと思った。LGBTもずいぶん市民権を得ていろんな番組で取り上げられて、賛成派の人も増えていいこともずいぶんありました。だから、いいことだけを考えるようにして過ごしました。
次の曲は敗戦後、日本が元気をなくし落ち込んでいた時に元気を与えてくれた曲です。今もまた大変な時期ではありますが、明るい気持ちで、新しい年を迎えたいと思って「青い山脈」をお送りします。歌は藤山一郎奈良光枝さんです。」

若く明るい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

青い山脈」を久しぶりに聴いた。大学時代、酒を飲みこの曲を高歌放吟したこともあった。この曲に溢れる若さ、青春、笑顔から、確かに元気をもらった。

 

次に大正時代のロマンテックな曲が紹介された。松平あきら、伏見信子が歌う「花言葉の歌」である。この曲は甘くて可愛らしい歌である。
可愛い蕾よ きれいな夢よ
乙女心に よく似た花よ
咲けよ咲け咲け 朝露夜露
咲いたら上げましょ あの人に
私はこの曲を知らなかった。しかし、どこかで聴いたことがあるような懐かしさを感じた。聞いてすぐにハミングできる親しみのあるメロディーである。甘くて可愛らしいそれに清潔である。大正時代の文化についてよく知らなかったが、この曲を聴いて大正時代がとてもお洒落で素敵な時代と感じた。

 

次に、戦時中は禁止曲として演奏することも歌うことも聞くことも禁じられた曲、昭和初期の恋愛の歌2曲が紹介された。クラッシック歌手四家文子が歌う「私この頃変なのよ」と渡辺浜子が歌う「忘れちゃ嫌よ」である。
「私この頃変なのよ」
いつも出ている お月様
丸く大きな お月様
ひとりでじっと 見ていると
いつか泣いてる わたしなの
わたしこの頃 変なのよ
なんだかなんだか 変なのよ

「忘れちゃ嫌よ」 
月が鏡で あったなら
恋しあなたの 面影(おもかげ)を
夜毎(よごと)うつして 見ようもの
こんな気持ちで いるわたし
ねえ 忘れちゃいやヨ 忘れないでネ

この二つの曲はユーモアたっぷりのお洒落な曲である。しかし、戦時中はユーモアの歌は不謹慎であり、「ネ」がついた曲は艶かしいという理由で、不健康で国策に反するということで禁止曲に指定された。戦時中の文化を潰す時代についてとんでもない時代だったと美輪さんは語っていた。

次の曲は美輪さんの思い出の曲として紹介されていた。1937年ドイツ映画の主題歌としてつくられた「夜のタンゴ」である。歌手はポーラ・メグリである。この「夜のタンゴ」は美輪さんのお芝居「毛皮のマリー」のテーマソングとして使われた曲であった。この曲はロマンテックで退廃的でちょっと崩れかかった良さがそこはかとなく漂うような感じの曲であった。私は美輪さんの「毛皮のマリー」のお芝居を見ていないが、「夜のタンゴ」を聴いて「毛皮のマリー」のテーマは愛と死ではないかと連想した。

 

次の曲はナッキングコールの「too Young 」という曲であった。美輪さんのトークが続く。
「この曲は、終戦後、禁じられていたアメリカ文化が日本に怒涛のように入ってきた。雪崩のように服装から食べ物から全部何から何まで、一気に押し寄せてきた。そういう中、この歌が流行して、どこでも流れていた。
この歌を原爆で破壊された長崎でも聴いた。銀座の焼け跡でも聴いた。みんな貧しく、まだ、銀座に屋台がある時代だった。私も進駐軍相手にジャズを歌ってその日のパンを稼いだ時代だった。歌の意味は、みんな僕らは若すぎるという。本気で愛するには若すぎるという。愛という言葉の本当の意味を知りもしないという。けれど僕らは若すぎるとは思わない。この愛は何年経っても変わりはしない。」

私はこの曲は聞いたことはあるが、意味は知らなかった。アメリカ文化が怒涛のように押し寄せ、見合いが主流の当時の日本人の価値観を粉砕したのではと思う。

美輪さんのトークと音楽を楽しんでいたら、あっという間に30分番組のエンディングである。
「お別れの時間が来ました。今年は、流行り病なんかどこかに吹っ飛んで、昔のように、健康で文化とか経済とか活発で、日本本来の働き者が蘇るそういう年にしたいですね。日本はこれまでの長い歴史のなかで、何度も何度も流行り病に襲われました。その度に病いと戦い、克服してきたからこそ現在があります。そのことを思い出しながら励みにしていきたいとおもいます。そのような日本人の底力というのはすごいものですよ。今度は文化の方でさらなる文化国家日本をめざして、みなさん自信を持って一生懸命働きましょうね。楽しいですよ。健康だということは本当にありがたいと思います。生きているだけで丸儲けです。最後に、沖縄の歌をお贈りします。」
最後の曲は、作詞作曲喜納昌吉「花〜すべての人の心に花を〜」であった。

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日かいつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日かいつの日か 花を咲かそうよ

人間に元気と活力を与えるのは文化だろうと思う。美輪さんの音楽番組を聴き何か楽しくなった。たくさん元気をもらった。美輪さんを通して音楽文化に触れて気持ちが晴れた。文化を圧迫する時代が日本でも75年前にあった。そのような時代が二度と来ることがあってはならないと思う。美輪さんが言うようにさらなる文化国家目指してみんなと一緒に頑張りたい思う。