ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「日本の面影」を読む

著者であるラフカディオ・ハーンは、1850年ギリシャで生まれ、1890年(明治23年)通信記者として来日した。その後、英語教師として松江に赴任し、翌年小泉節子と結婚した。1896年(明治29年)日本に帰化して小泉八雲と改名し、大学で、英語、英文学を講じる一方、日本人の内面や日本文化の本質を明らかにする作品を描き続けた方である。1904年(明治37年)没

私は、小泉八雲の作品である「怪談」などの再話文学を中学時代に読んだことがあるが、それ以外の作品は読んだことはなかった。中学時代に小泉八雲の著書を読んだきっかけは、中学時代の先生が小泉八雲を推薦したからである。しかし、当時、小泉八雲の怪談を読んでおもしろいとは思ったけど、それ以上のことは何も感じなかった。今、小泉八雲の「日本の面影」を読んで、中学時代の先生が中学生に小泉八雲を推薦図書にした理由は日本文化の理解を深める一助にしたかったのだと思った。

「日本の面影」を読んで、小泉八雲がいかに日本を日本文化を温かい目で見ているかがわかって感動した。日本文化を深く理解して、日本の全てを無条件に受け入れている姿勢に驚いた。当時の西洋人は、西洋人という先進国の目で優越感に浸りながら日本を見て、日本の文化を西洋と比較して劣ると批評した人も多かった。しかし、小泉八雲は決してそういう見方はしなかった。むしろ、西洋にないものを日本文化に見出して驚嘆したり、日本文化を今のまま存続させることを念願し、近代化と共に、日本文化が西洋文化によごされることを心配した。小泉八雲は西洋にない日本の良さをいたるところに見つけ記している。まるで日本が恋人でもあるかのように、小泉八雲の作品にはいたるところに日本賛美がある。その中には当たり前すぎて日本人として気づかないところも多くあった。西洋人の視点で見ると日本文化の良さはそういうことなのか気づかせてくれる内容であった。
60年前、中学時代の先生から勧められた時は、読んでも何も感じなかったことが、60年以上経ってやっと理解できたことになる。我ながらその鈍感さには驚くが、遅ればせながら日本文化の良さを理解できて良かったと思う。私たちの日本文化を大事にしていきたいと思う。

今回の「日本の面影」はラフカディオ・ハーンが書いた旅行記を池田雅之氏が翻訳したものである。
その中にある「盆踊り」の章について以下に記す。

盆踊りは松江に赴任する途中での体験を記したものである。1890年(明治23年)の八月二十八日に鳥取県西伯郡逢坂村の上市に投宿したおり、宿屋の関係者に案内されて妙元寺の境内で行われた盆踊りを見学したことを書いたものである。

「かつてのお寺であった本堂の陰から、踊り子たちが列をなして月の光を浴びながら出てきて、ぴたりと立ち止まった。みんな若い女や娘たちばかりで、晴れ着の着物を着込んでいる。いちばん背の高い女が先頭に立ち、その後に背の順に全員が並んでいく。十歳くらいの少女が、しんがりを務めている。その鳥のような軽やかな身のこなしは、ある古代の壺に描かれた夢のような人々の姿を、どこか思い出させるものであった。膝のまわりにぴったりとまとわりついた、素晴らしい日本の着物は、妙に垂れ下がっている大きな袖や、着物をきゅっと縛っている幅の広い帯がなかったら、おそらくギリシャエトルリアの絵でも模倣したのではないのか、と思えてくるほどである。すると、太鼓がもうひとつ、ドンとなったのを合図に、さあ、いよいよ盆踊りの始まりである。それは、筆舌に尽くしがたい、想像を絶した、何か夢幻の世界にいるような踊りであったーーーまさに、驚嘆の舞いといってよかった。


踊り子たちは、みんなが一斉に、右足を一歩前に、草履を地面から上げることなく、地面の上を滑るようにして差し出す。と同時に、まるで手を宙に浮かせるかのように、ふわっと両手を右側へ伸ばし、微笑みながらお辞儀をするように頭を下げる。それからまた同じ手の振りと、不思議なお辞儀を繰り返しながら、出した右足を後ろへ下げる。そして今度は、全員が左足を前に出し、左側に半身を翻しながら、先ほどと同じ動きを繰り返す。それからまた一斉に、二歩前に足を擦り出し、同時に一度やさしく手を打つ。こうして、また最初の動きに戻り、右と左とに交互に反復されるのである。
 全員の草履履きの足が同時に動くと、それに合わせてしなやかな手も一緒に振られ、柔軟な体が同時に前や横へと揺れる。そして、不思議なことに、はじめの踊り子たちの列は、月光の降り注ぐ境内の中を、ゆっくりゆっくりと、大きな輪となって広がってゆき、黙って見ている見物人を取り囲んで行く。
 こうして、いつも無数の白い手が、何か呪文でも紡ぎ出しているかのように、手のひらを上へ下へと向けながら、輪の外側と内側に交互にしなやかに波打っているのである。それに合わせて、妖精の羽のような袖が、同時にほのかに空中に浮き上がり、本物の翼のような影を落としている。足も全て一緒に、繰り返し繰り返し動くので、それらの動きを眺めていると、キラキラ光る水の流れをじっと見ているような、まるで催眠術にでもかかったような感じがしてくる。無言で踊る中、シュッシュッと擦れる音だけが聞こえてくる。この踊りの動きは東洋の歴史が記録に残される以前からのもの、もしかしたら神代の時代から存在したものを目にしているのではないだろうかという思いが頭をよぎった。踊り子の静かな微笑み、その静かなお辞儀は、まるで目に見えない見物人に向けられているかのように感じる。

何か夢を見ているような感じの中、美しく透き通った少女たちの歌声が聞こえて来た、それに呼応するように五十人もの歌声がやさしく唱和していく。「揃うた 揃いました 踊り子がそろた 揃い着てきた 晴れ浴衣」

あの白い提灯がぶら下がっている、灰色の墓石の下で、何世紀もひたすら眠り続けている人たちも、その親たちも、そのまた親の親たちも、さらには千年もの間に、埋葬されたお墓の場所さえ忘れられてしまった、さらに昔の知らない世代の人たちも、きっとこの光景をみてきたに違いない。いや、踊り子たちが巻き上げるあの土埃こそ、かつてこの世に生きていた人々の生命だったのである。今宵と寸分違わぬ月明かりの下で綾なす足どり、揺らめく手ぶりそのままに、にこやかに笑みを浮かべてきっと同じように歌を口ずさんだ人たちだったのである。

盆踊りを見てここまで深く理解する西洋人がいたことに驚く。そして、ハーンは精霊へ捧げる盆踊りを見て、歌声を聞いて、自分の心に湧き起こったこの感動は何かと考えた。人間の感情とはいったい何であるかを考えた。感情とは、どこかの場所や時を特定するものではなく、この宇宙の太陽の下で、生きるもの全ての喜びや悲しみに共振するするものではないかと書いている。つまり、言葉や文化風習の違いがあっても、良きもの、魅力あるものは必ず琴線に触れ共振するものがあるとハーンは書いている。ハーンは地球人という立場で日本文化を理解する人であった。