ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

興福寺を散策する

東明山 興福寺山門 三間三戸ハ脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮雄大な山門

来週から梅雨入りという予報が出ている。梅雨入り前の最後の日曜日になるかもしれない今日は、薄曇りだがまだ雨の心配はない。連れ合いが興福寺の紫陽花を見に行きたいというので興福寺散策に出かけることにした。

長崎には、名前に「福」がつくお寺が興福寺崇福寺、福済寺、聖福寺の4ヶ寺あり、長崎四福寺と呼ばれている。これらのお寺は1620年頃にできた唐寺である。1618年にキリスト教禁教令が出され厳しく取り締まりが行われると、長崎の住民は全て寺の檀家として登録されることが義務付けられた。当時、長崎には多くの中国人が貿易などのために滞在しており、住民の6人に一人は中国人であると言われるほどであった。その中国の人たちも自分達の独自の寺を創建する必要に迫られ、次々と建てられたのが四福寺であり、その中で最初にできたのが興福寺である。

 

境内にはいろんな紫陽花が植えられて、ちょうど見頃を迎えていた。広い境内をぶらぶらしながら、またベンチに腰掛けて紫陽花の季節を堪能した。

 

 

興福寺は、日本最古の黄檗禅宗唐寺である。眼鏡橋を架けた黙子如定(もくすにょじょう)や南画の祖、逸然(いつねん)などが住持を受け持つなど、初代から代々、明国から高僧が来日して住持を務めた。なかでも、1654年(承応3年)黄檗宗の開祖隠元禅師(いんげんぜんじ)が中国福州から長崎へ渡海して、興福寺に滞在して、隠元豆、蓮根、もやし、西瓜、茄子、ダイニングテーブル、印鑑、明朝体文字、などを伝え、日本文化に多大な影響を与えた。当時、全国から僧や善男善女が参集して中国禅の一大道場となった由緒ある寺院である。

興福寺本堂である大雄宝殿は、1632年(寛延9年)に建立されたが、火災や暴風雨で二度再建されて現在に至る。国重要文化財に指定されている。

 

左:雌        右:雄

庫裡の入り口にさがる巨大な魚鼓(ぎょく)は、寺院の衆に飯時などを告げた江南のけつ魚の木彫りである。魚鼓は木魚の原形とも言われる禅宗の僧具である。主に行事や法要の始まりを報らせるために打ち鳴らされるもので、この音を聞いた修行僧は自分に宿る、貪り、怒り、愚かさの三毒を浄化する意思を固め、行事や儀式に参集するのだという。

有形文化財に指定されている「媽祖堂」(まさ・ぼさどう)は、1670年(寛文十年)の扁額がある最古の建物である。唐船に祀る守護神の媽祖像を在泊中、このお堂に安置した。

「媽祖」様は、中国南部を中心に台湾、東南アジアで広く信仰を集める航海安全の女神様である。江戸時代、長崎に貿易のために訪れる唐船にも、この媽祖様が必ずお祀りしてあった。唐船が長崎に入港すると、出港までの間、媽祖様を唐寺にお預けした。この送り迎えの行列が媽祖行列であった。

 

興福寺の幡(ばん)と五色の吹き流し

長崎が最も華やかだった唐船時代、海原を越えて長崎に入港した清朝の江蘇・浙江船の中国人達は、風頭山に立つ興福寺に掲げられた寺の幡と五色の吹き流しを望み、無事到着を媽祖様に感謝したという。そして、船から媽祖様を下ろすと、この吹き流しを目印に行列を組んで興福寺に向かい媽祖様を安置した。長崎の人々は興福寺に吹き流しが掲げられると、媽祖様の行列を心待ちにしたという。ちなみに長崎での鯉のぼりの揚げ方は、興福寺の吹き流しと同じように、斜めの笹竹に鯉のぼりを取り付けて泳がせる中国式が伝統である。


左:斉藤茂吉の歌碑     右:高浜虚子の句碑

境内に建立されている石碑を見ながら歩いていくと斎藤茂吉の歌碑があった。斎藤茂吉は長崎医専教授として、大正6年から3年3ヶ月長崎に滞在した                「長崎の 昼静かなる 唐寺や 思ひいづれば 白きさるすべりの花」

 

高浜虚子は、長崎が生んだ俳人向井去来の250年忌に寄せ               「俳諧の 月の奉行や 今も尚」と今なお慕われる偉大な先人を偲んで詠んだ。

 

境内でお抹茶を頂くことにした。紫陽花を眺めながら頂くお抹茶はまた格別である。興福寺とお茶は深い関係があり、それを知っていただくお茶はさらに味わい深くなる。お茶の歴史は古く、日本には天平時代(7世紀前半)に伝わったとされている。その後鎌倉時代から戦国時代にかけてお茶が普及していった。江戸時代初期、隠元禅師によって、禅文化と共に「釜炒り茶」の手法がここ興福寺に伝わり、緑茶を喫しながら風雅を楽しむ茶文化がさらに発展していった。興福寺はお茶文化の日本における出発点でもある。

 

興福寺の紫陽花を楽しんで帰宅してゆっくりしていたら、連れ合いの友達が珍しい花を持ってきてくれた。半夏生という花である。葉っぱが半分ほど白く変色する花で、半分化粧するから半夏生(はんげしょう)と呼ぶという説もあるらしい。一輪挿しに生けるとなかなか味わい深い。今日はいろんな紫陽花に出会い、また半夏生とも出会えて楽しい1日であった。