ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「伝統と昭和の手芸」を読む

f:id:battenjiiji:20220314121129p:plain

アメリカのロスアンゼルス郊外のガーデナ市に住む木原静玉さんより「伝統と昭和の手芸」という立派な本を頂いた。木原静玉さんは、今年88歳になる神戸出身でアメリカ在住の手芸家である。「コロナ禍拡大のため当初の予定より発行日が遅れましたが、待ちに待った本が出来上がりました」という手紙と共に本が届いた。木原さんは80歳の時に「八十路のひとり言」という著書を上梓された。80歳という高齢にも関わらず、質量共に読みごたえのある、内容の濃い本を出版されて驚いたが、今度は90歳直前の出版であり、そのバイタリティーにさらに驚いた。そこには日本の伝統を伝える手芸家としての木原さんのアメリカでの活動の歴史が綴られていた。

私は50年以上前、木原さんご夫妻にお世話になった。それ以来のお付き合いである。木原さんにお会いした若い頃、私は木原さんの作品をいくつか見たことはある。とても緻密な作品ですごいと思ったが、当時は手芸に特別興味もなく、手芸について直接お話を伺ったことはなかった。でも、頂いた「伝統と昭和の手芸」の本を読んで、木原さんの専門は押絵で、アメリカで押絵師の師範として活動し指導を続け、50年間で25人に免状を与えたということを知った。

 

f:id:battenjiiji:20220314121504j:plain
f:id:battenjiiji:20220314121555j:plain
静玉作大羽子板とレースの押絵(伝統と昭和の手芸より)

押絵というのは布細工による貼り絵の一種で、下絵を描いた厚紙を細かい部分に分けて切り抜き、それぞれの部位に適した色質の布片でくるみ(ときに綿を入れて膨らみをもたせる)、それらをもとの図柄にあわせて再編成する。布や綿の質感により、レリーフのような立体感を表現する。もっとも古い押し絵は平安時代に作られた花鳥の押絵で奈良の正倉院に保管されている。江戸時代歌舞伎役者を羽子板にした押絵が作られ、これが大流行して一般の人も手がけるようになった。明治時代には婦女子の手芸のたしなみとして筆頭にあげられていた。現在では羽子板だけでなく、種々の室内装飾品やカードに幅広く応用されている。
木原さんはアメリカで押絵を指導し販売する手芸店を開店して、伝統的な作品と共にその技法を用いて時代にあった創作押絵に取り組んでこられた。木原さんは手芸愛好家が集まる手芸店を維持しながら、手芸の先生として押絵だけでなくあらゆる手芸についても指導されていった。そのことについて、本の中で、木原さんは次のように述べられている。「日本では押絵、織物、お茶、組紐などそれぞれの分野をそれぞれ一筋の道として歩むことになりますが、手芸人口の少ないアメリカでは、それでは経営が成り立たず、お客さまや生徒さんの要望に答えるうちに、いつの間にかさまざまな手芸に取り組むこととなった。」

木目込人形
木目込み人形とは、桐糊を固めたボディに溝を掘り、そこに、金襴や友禅などの布地をヘラで入れ込んで(木目込んで)着せ付けていく人形作りのことで、1740年頃、京都の上賀茂神社の奉納箱(祭事用柳箪)を作った職人が、その残片で木目込人形を作ったのが始まりとされ、300年近い歴史を持つ、伝統ある人形である。木原さんはこの木目込人形の師範の資格を取り、手芸店で木目込人形も扱い指導していった。

そのほか、つまみ細工、水引、手まり、組紐、ビーズ細工、タティングレース、編み物、レース編み、ネクタイリフォーム、文化刺しゅう、アイリス・フォールディング、五円玉手芸、千羽鶴などなど日本の伝統手芸だけでなくあらゆる手芸をマスターして後進の指導にあたられた50年であった。

この本の前書きに生徒代表の方が感謝の言葉を寄せている。「アメリカに住むようになり、日本語で木原手芸店と書かれた大きな看板を見つけ、吸い込まれるようにドアを開けた先に、満面の笑みを浮かべた先生がいらっしゃいました。宝石箱のような手芸品に溢れたドキドキするお店、そして先生との出会いでした。あれからもう数十年、様々な手芸を教えていただきました。よく海外に住むと日本の良さが分かるといいますが、アメリカに住むチャンスがないと押絵や木目込み人形、つまみ細工などの日本の伝統的な手芸には出会えていないし、興味がわかなかったかもしれません。ましてや自分で作れるとは思ってもいませんでした・・・・・」木原手芸店のお客さんには、このような日本の伝統美再発見の方が多くおられる。また、日本語が話せないアメリカ人にも人気だったようだ。この本は日本語版と英語版の両方で出版されている。

この本は木原さんの手芸家としての活動の記録であり、アメリカで日本の手芸を扱う手芸店をオープンして専門の押絵にとどまらずさまざまな手芸を扱い指導してきた50年が書かれていた。当時、ガーデナ市に多くの手芸店や手芸教室がオープンしていたが、現在では木原さんのお店だけになってしまったようだ。男性へのアンケートで彼女からもらってあまり嬉しくないプレゼントの上位に「手編みのマフラーやセーター」がくる時代らしい。便利な世の中になり、なんでも簡単に手に入れることができる世の中になったが、便利すぎて心の温かみまで消えてしまうことはないだろうかと心配になる。木原さんが手芸を通して伝えてきたものは、「母さんが夜鍋をして手袋編んでくれた」という「母さんの歌」にある手作りの温もりであったように思う。それが異国の地でも日本人だけでなく外国の人にも理解されていったものと思う。時代が変わり、科学が進歩して便利な世の中になった反面、手芸という手づくりの良さが忘れられて廃れることは淋しい感じがする。手芸に込める人に対する温かい心だけはどんなに時代が変わっても忘れてはいけないとこの本を読みながら強く思った。