ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「中国学者・内藤湖南が見抜いた中国の本質」を見た

NHKBSで「千年の眼差しで中国を見よ!内藤湖南が見抜いた中国の本質」という番組を見た。内藤湖南については何も知らなかったが、中国語を勉強中なので興味を覚え見ることにした。

内藤 湖南(1866年(慶応2年)ー1934年(昭和9年))は陸奥国毛馬内村(現:秋田県鹿角市生まれ)の日本の東洋史学者である。1884年明治17年)に秋田師範学校を卒業後、上京して雑誌記者や新聞記者などジャーナリストを務めた後、1907年(明治40年)に京都帝国大学東洋史学講座講師に就任し、1909年(明治42年) には京都帝大教授になった。講師となって以後、東洋史担当講座に足掛け20年務め、同僚の狩野直喜桑原隲蔵とともに「京都支那学」を形成、京大の学宝とまで呼ばれた方である。

内藤湖南は東洋学学者として、中国を見つめてきた。中国は1840年に起きたアヘン戦争でイギリスに敗れ、1894年には日清戦争で日本に敗れ、1900年には外国人排斥運動から義和団の乱が起こり、その鎮圧のため外国による植民地支配がますます強まるなか、1911年辛亥革命が起こり、270年間中国を支配してきた清王朝が倒されることとなった。そのような混乱の極にある中国の現状を見つめながら、中国の近代化の始まりは千年前の宋時代にはじまるという唐宋変革論を唱えた。宋時代に人民が力を持ち人民が自ら経世済民を行う近代化の基本が宋時代に行われていた歴史の事実を示し、幾多の過ちや試行錯誤を繰り返しながら中国は人民が力を持つ共和国制へ進むでいくだろうという説を唱えた。これは湖南の学説であり、同時に中国への提言でもあった。

唐宋変革論の中で、内藤湖南は次のように語っている「この自然に発動する流れは、表面の激しい流れの底で、必ず一定の方向に向かって、ゆるく、重く、鈍く、強く、推し流れているのである。その流れを見るのが目下の諸問題を解決する鍵である。」内藤湖南は目の前の問題を読み解くために1000年の歴史を遡って考えるというスケールの大きな視点を持った人物であった。

内藤湖南は、日中戦争が始まる3年前の1934年に亡くなった。亡くなる2ヶ月ほど前、知人に語っている。「日本人の力と熱をすれば、必ず一度は中国大陸を支配するでしょう。しかし、底知れぬ潜在勢力をを持っている中国の土地と人民を到底長く治めきれるものではありません。中国を支配したために、日本は必ず滅びます。」
内藤湖南の言った通り、1945年、日本は戦争に負けて、日本は滅んだ。

内藤湖南の番組を見て、私は知るということ、ものを見つめるということを考えさせられた。湖南は中国を知るために日々起こる変化する表面の現象だけを見ていては本当のことはわからない。なぜ、それが起きるのか、どうして今なのかなど問い詰めていくと歴史を遡ることになった。そして1000年前に近代化の始まりを発見した。表面の出来事に気を取られ物事の本質に目を向けることができずに、そして判断を間違うということが多いのではないだろうかと私自身反省しなければならないと思った。

 

番組の中で、司会者から内藤湖南から何を学びましたかという質問を受けたゲストの方の話も参考になった。
「斎藤湖南は唐宋変革論を書きました。日本人の多くの方が中国について様々のものを書いています。実はアメリカの女流作家が斎藤湖南と同じ時代に「大地」という長編小説を書いています。この本は一般民衆を主人公にした長編小説です。当時の一般民衆の大部分を占めていた農民の日常を、考え方を、生き方を、何を考え、どうしてそうするのかなど何代にもわたる農民の生活を書いた小説です。中国の隣人である日本人で中国の一般民衆である農民を主人公にした小説を書いた人はいない。このことを考えると私たち日本人は本当に深いところから中国人のことを知っているのだろうかと思いました。何も知っていないのに知っているつもりになっているのではないかと思いました。」と意見を述べていたのはなるほどと思った。私は昔、大地を読んだことがあるが、何代にもわたる中国農民の話で中国農民の土の匂いのするような小説だったことを覚えている。

もう一人のゲストの方は
内藤湖南は「中国で起きることは日本でも起きる。そして、日本がやっと宋時代に追いついた」と述べたことが私たち日本人への警告みたいで怖いと思った』と言っていた。この意味は、宋時代に官吏登用試験である科挙が始まった。科挙はエリート中のエリートである。その科挙試験に合格するために実務的には価値がない、ただ試験に合格するためだけの勉強に明け暮れ、科挙試験に合格し国を統治するエリートが生まれた。そのような純粋培養で育った科挙合格者が国を統治し、長い歴史の中で、国を滅ぼすという歴史を中国は経てきた。明治大正になって日本は中国の宋時代に追いついたという内藤湖南の発言は、官吏登用制度を述べていて、これからの日本を考えると怖い感じがしたと話していた。確かに、超難関な試験に合格した優秀な日本のエリートが恥も外聞もなく政治家に忖度して国を歪めている現在の官僚の実態は内藤湖南には見えていたのかも知れないと思った。
内藤湖南から学ぶべきものは様々あって面白い。