3月16日の長崎新聞に、安倍晋三元首相や維新の会が主張する、「米国の核兵器を日本に配備して共同運用する核共有」について有識者の意見が掲載された。
明海大学の小谷哲男教授は、『核共有政策は1950年代に北大西洋条約機構(NATO)が抑止力を高めようと導入した政策である。NATO が核共有を取り入れた背景には米国の「核の傘」への不信があった。このため日本が核共有導入を持ち出せば「米国の核の傘による抑止力を日本が信用しておらず、日米同盟に満足していないと周辺国に捉えられる」として、日米安全保障体制に悪影響を及ぼしかねない。また、実際の運用面では、攻めてきた部隊を撃退することが想定されており、「例えば他国が南西諸島を不法占拠した場合、自衛隊が米国の核を南西諸島に落とす」という考え方がある。その場合、非核三原則に抵触する「持ち込み」だけでなく、日本が国内で核兵器を使用する事態に発展する。核共有に賛同する政治家らは、政府が保有を検討する「敵基地攻撃能力」の延長線上で考えている可能性がある。「米国は核のエスカレーションを恐れて、敵基地への攻撃に同意するとは考えにくい。日本に核兵器を置いても先制攻撃の対象になるだけで、むしろ安全性は低下する」と述べた。
早稲田大学の水島朝穂教授は、「広島、長崎の原爆投下による惨禍を背景に、戦争放棄を定めた憲法9条ができ、それを具体化したのが非核三原則である。安倍氏の発言は9条の根底にある核兵器を徹底的に否定する姿勢や、日本の憲法秩序の根幹を覆すものである。安倍氏は首相在任中にプーチン氏と会談を重ね、密月をアピールしてきた過去があり、世界中にプーチン氏はいい人だと宣伝してきたような人が責任も取らずに、このタイミングで核共有を発言する資格があるのか、国民の不安に便乗している提言で、百害あって一利なしだ」と切り捨てたとあった。
私も両氏の意見に賛成である。まさに核共有は「百害あって一利なし」である。敵が核を持ち出せば、こちらも核を持ち出す。常に新しい兵器を備え、戦力において敵より優位に立とうとする軍拡では戦争は抑止できないというのを示したのが今回のプーチンのウクライナ侵攻であったように思う。
先月、古賀茂明氏のインタビュー番組を見ていたら、古賀氏は日本はそもそも、戦争なんてできる国ではないと述べておられた。「日本は原発が日本海側に林立している。その原発を攻撃されたら日本は滅亡しますよ。日本に人が住めなくなりますよ。核攻撃ではなく通常兵器で原発を攻撃されたら日本は簡単に終わります。そのような国なのだから戦争は絶対できないのです。日本が国際社会で生きていくには武力の充実では無理があります。だから、現実をしっかり踏まえて対応策を考えていく必要があります」と述べておられた。
14日の国会で、日本国内の原発が武力攻撃を受けた場合の対応が議論されたことが新聞に載った。国会答弁で浮かんだのは、万全な対策を持たない日本の実情と、安全保障上の深刻なリスクであった。野党からは原発再稼働反対や廃炉を求める声が上っている。
今回のプーチンのウクライナ侵攻で、世界的にエネルギー危機と食糧危機が叫ばれている。エネルギー危機に対する世界各国の対応は、エネルギーの供給体制の自立化を急いでいるようだ。エネルギーの自立化というのは他国から輸入しない基本的には太陽光、地熱、風力、潮力など自国内の自然エネルギーの拡充である。日本では、エネルギー危機に対して原発の稼働や原発の新規着工が計画されているようだが、安全保障上からも原発は必要ない。新規着工して稼働は10年後の原発などすぐに役に立たない。核共有は必要ない。さらに原発も必要ない。他国同様、自然エネルギーによる自立化を目指してほしいと思う。