朝から一つ用件を済ませて、昼からは自宅でゆっくり過ごすつもりいたが、天気は良いし自宅にとじこもるのはもったいないと思い、山に行くことにした。昼からの山登りだから往復2時間程度の山歩きで行ける山を考えて、行き先は網場金比羅岳に決定した。網場金比羅岳は今回がはじめての山である。金比羅岳は標高278mの低山である。登山口の標高は110mだから標高差約170m、距離約3kmの登山道の所要時間は70分である。それを休憩しながら120分で回ろうと思う。これから準備をして現地に行き、登り始めは12時半くらいになる。山登りのルールでいうと12時過ぎたら下山の時刻である。下山の時刻の12時半から登山を始めるのは低山ならではである。14時半終了の予定で登山を開始する。
「日見金比羅の森」0.8kmの案内標識から今日の山歩きを始める。舗装された車一台が通れる狭い車道が続く。その車道に沿って上っていく。今日は天気がいいので日差しが当たると暑い。歩き始めたらすぐに汗が出始める。
上りながら左手を見ると青い海が広がっている。青い海は橘湾である。遠く水平線に見える陸地は天草である。今日は霞んでいるため陸地が判然としない。これから上っていくとさらにいい景色が待っているに違いないと期待しながら上っていく。道は樹木に覆われて木陰ができた。木陰の道路では涼しい風が吹き、気持ちが良い。
日見金比羅の森案内図という大きな看板が設置されている金毘羅の森入り口に到着。ここには駐車スペースとトイレが設けられている。ここまでは車で来ることも可能だ。しかし、対向車があった場合の離合場所はなく、そのときは狭い道を何百mもバックすることになりかねない。運転に自信がない私は歩くしかないようだ。ここからいよいよ山道となり金比羅岳展望台を目指して上っていく。
ここから展望台へ行くには直登すると10分で行けるが、山歩きを楽しみながら巻道を進む。巻道経由だと展望台まで30分の予定である。ほぼ平坦な道路を20分ほど進んだら鳥居が見えて来た。ここから金刀比羅神社の参道になる。一礼して鳥居をくぐる。金比羅岳展望台は金刀比羅神社の先になる。ここから山頂目指して上っていく。
鳥居をくぐり、階段を上っていく。この石段はいつの頃積まれたのかわからないが、随分古い感じがする。ゆっくりゆっくり一歩づつ上っていく。黙々と上ってきたら目の前に金刀比羅神社のお堂が見えてきた。お堂はそんなに古い感じはしない。新しく建てられたようだ。
お堂の後ろに回っていくと、奥の院のように石の祠が置かれていた。この石の祠が当初の金刀比羅神社のお堂ではなかったかと思う。お堂の周りには明治時代、大正時代の石塔や御手水が置かれている。
金刀比羅神社のお堂と奥の院を過ぎて、さらにもうひと上りすると網場金比羅岳頂上に到着である。高度278m。頂上の一角に石柱が置かれてある。その石柱の4面にそれぞれ文字が彫られてある。その文字を読むと、「陸軍省、、長崎要塞区域標、明治ニ十ニ年六月十日、第ニ十八・・」と刻まれてある。この一帯は明治ニ十ニ年から要塞区域だったようだ。
展望台という矢印を見つけ、展望台に向かう。展望台の一番高いところに立っても、四方全く見通しがきかない。展望台の周りの樹木が大きく成長してしまい、大きな壁になってしまっている。展望台の真上の青空が見えるだけであった。網場金比羅岳は橘湾を見下ろす位置にあ本来は絶景が見られる場所である。この絶景を楽しみに上ってきたのだがとても残念である。
展望台の絶景を諦めて下山する。帰りは直登コースで下山する。一気に下っていくと広い草原に出る。金毘羅の森広場である。ここで水分補給と休憩をとる。この草原に紫の花が至るとことに咲いている一角があった。何の花かなと思って近づくとアザミであった。アザミは春から秋にかけて開花する花期の長い植物である。アザミは棘があり動物も食べるのを嫌うようだ。
休憩した後、出発点に戻っていく。白い花をたくさんつけたような木々がたくさん見えてきた。近づいて見ると、白い花に見えていたのは花ではなく、枇杷の袋がけである。収穫前になると甘い枇杷に虫がつかないように袋がけをして枇杷を守る。これが斜面地いっぱいの琵琶の木々に花が咲いたように見える。ここは琵琶の産地である。至る所に白い花が咲いたように見えるのは琵琶の木々である。琵琶を食べたくなった。
昼からの山歩きで、2時間コースの予定だったが、実際は2時間半かかってしまった。30分オーバーである。私の山歩きは道草が多いのでどうしても予定時間をオーバーしてしまう。わかっているが、道草は楽しいのでやめられそうにない。