

今日の集合場所は長崎市役所新庁舎がそびえ立つ市民会館前電停である。定刻にいつものメンバー5人が集合して、リーダーから今日の行程について説明を受ける。今日は全部で23札所を巡ることになる。いつもは14〜5か所だからいつもより多い。終了予定時間は15時の予定であるという説明を受けて出発する。今日最初の札所は集合場所から、歩いてすぐのところにある、第80番桶屋町大師堂である。札所ご本尊は弘法大師である。読経して参拝する。



中島川の石橋群を見ながら次の札所へ向かう。中島川には1634年(寛永11年)に架設された眼鏡橋をはじめ多くの古い石橋が架けられている。それらの石橋を見ながら中島川沿いを歩くのはいつ来ても楽しい。季節の花、水の流れ、川の音、小鳥の囀りなど四季折々の違いがあり色んな楽しみが味あえる。ベンチに座って川の音に耳を澄ましたいと思うが、今日は先を急ぐ。そして、川沿いの札所をお参りする。


第55番出来大工町不動堂のご本尊は不動明王である。読経して参拝する。続いてすぐ近くにある第17番月桂山光雲寺へ行く。光雲寺のご本尊は釈迦如来である。読経して参拝する。


川沿いの札所をお参りした後は、旧長崎街道沿いにある札所をこれから巡って行く。町中から長崎街道沿いに進むと上りになるので、ここからバスで長崎街道の山間部まで移動して、山間部の札所を皮切りに長崎街道を町の方へ下りながら札所巡りを行うことになった。高齢者に優しいお遍路である。バスで山間部へ移動する。山間部の札所は第79番高野平観音堂である。ご本尊は十一面観音である。読経して参拝する。


旧長崎街道は江戸時代に整備された街道の一つで、小倉から長崎までの57里(約223.8km)の道程で25の宿場が置かれていた。鎖国政策の下、唯一外国との交易を行う長崎に通じる街道として重視された街道である。山間部に行くと当時の街道が舗装されながらも残っている。


旧長崎街道を下りていきながら第8番御手水地蔵堂へ行く。この札所のご本尊は千手観音である。読経して参拝する。続いて妙相寺の境内から秋葉山の方へ進むと第57番杉田阿弥陀堂へ行く。ご本尊は阿弥陀如来である。読経して参拝する。


第35番妙相寺は古くから長崎の文化人が親しんだ古刹である。ここは紅葉の名所でもあるが、今はまだ紅葉に早い。札所のご本尊は釈迦如来である。読経して参拝する。続いて第68番本立軒へ行く。ご本尊は阿弥陀如来である。読経して参拝する。


続いて、第10番足引観音堂へ行く。ご本尊は観世音菩薩である。読経して参拝する。次に、第81番出来屋敷観音堂へ行く。ご本尊はは千手観音である。読経して参拝する。


続いて第51番山の神堂へ行く。四国第51番石手寺のご本尊は薬師如来であるが、長崎第51番山の神堂のご本尊は山の神である。読経して参拝する。次に第67番小森観音堂へ行く。ご本尊は観世音菩薩である。読経して参拝する。参拝後、お菓子のお接待を受ける。


続いて第50番樋口大師堂へ行く樋口大師堂のご本尊は弘法大師であるが一般家庭の自宅の中に祀られているようだ。外には野仏が祀られている。野仏の横で読経して参拝する。次に、第70番馬頭観音堂へ行く。ご本尊は馬頭観音である。読経して参拝する。


第77番中川町地蔵堂へ行く。ご本尊は地蔵菩薩、弘法大師、観音菩薩である。読経して参拝する。続いて、第9番高林寺へ行く。ご本尊は釈迦如来である。読経して参拝する。高林寺の釈迦如来はシャム王朝(現在のタイ国)の勅願寺から贈られたもので、高林寺も鎌倉時代の仏像をお礼に送り、二つの像がささやかな国際親善の証となったと記されている。


第71番横山地蔵堂へ行く。ご本尊は不動明王である。区画整理などで今は個人宅でお祀りされているので外から読経して参拝する。横山地蔵堂参拝後、近くに美味しい海の幸を提供するお店があり、そこで昼食をいただいた。昼食を堪能した後、元気を取り戻して札所巡りを再開する。初めに第85番桜馬場観音堂へ行く。ご本尊は観世音菩薩である。読経して参拝する。


第75番春徳寺のご本尊は釈迦如来である。読経して参拝する。続いて第29番夫婦川観音堂へ行く。ご本尊は観世音菩薩である。読経して参拝する。


第56番夫婦川天寿庵に行く。ご本尊は延命地蔵菩薩である。読経して参拝する。続いて、第48番お城谷観音堂へ行く。ご本尊はは観世音菩薩である。読経して参拝する。


本日最後の札所である第76番片渕4丁目観音堂へ到着。お堂の前に整列して先達が「いよいよ今日最後のお参りです。疲れているでしょうが、感謝の気持ちを込めて元気よくお参りしましょう」と声をかける。読経して参拝する。参拝後、近所の方からコーヒーのお接待を受ける。お遍路でいただくコーヒーが美味しい。お遍路をしていると行く先々でお接待を受けることがある。見も知らぬ人からお接待を受けることは自分の力では決してない。弘法大師と同行二人だからお接待を受けるのだとあらためて思う。感謝を新たにする。