ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

Duolingの一年を振り返る


 携帯の語学アプリDuolingoから2022年レビューが送られてきた。昨年も同じ頃に2021年レビューを受け取ったことを思い出した。DuolingoはI年間を12月1日から11月30日までの区切りで管理しているようだ。光陰矢のごとしである。

 私は、ボケ防止を兼ねて語学の勉強をしている。中国語と韓国語は語学教室に通っているが、携帯のアプリではこのDuolingo を使っている。Duolingoは隙間時間にゲーム形式で気楽に学べるのがいい。Duolingでは中国語、韓国語のみならず、英語の勉強にも使っている。

 2022年レビューを見ると累計xpは22386で上位3%に入っていると書かれている。xpというのはこのアプリの点数で勉強すると点数が上がる仕組みになっている。昨年は上位2%入り達成と書かれていた。昨年の獲得点数は14563で、昨年より7823も点数は上がっているのに、成績が伸びていないのは参加者が増えているのかなと思う。学習した時間は15037分であり1日あたりに計算すると41分になる。学習した単語は1499と書かれているが、昨年は894であったことを思うと少しは頑張ったのかなと思う。最長連続記録943日は、昨年末が最長連続記録578日であったので365日毎日継続したことになる。このアプリはI日10分でもやればI日分カウントしてくれるから楽だ。この連続記録は今後もさらに伸ばしたいと思う。

 

同時に、このI年間のレビューをもとに学習タイプが送られてきた。今年の私の取り組み結果は、銀河系レジェンドというタイプらしい。これは一種の賞かなと思う。カッコいい名前のタイプをいただいて面はゆい感じである。

 

面はゆいというのは、実質的に語学の進歩が見られないからである。毎日、10分でも机の前に座って取り組むのはいいが、やってもすぐ忘れる。忘れたのを思い出しながらまたやり始めるの繰り返しでなかなか先に進めない。英語、中国語、韓国語と対照が増えたのも自分の習得能力の衰えを何とかカバーするために、英語よりは中国語のほうが日本人に取っては取り組みやすい。いや、韓国語の方がもっと理解しやすい、学びやすいと周りの人から教わって広げてきた感がある。広げてきたのは、できるだけやさしく学べる外国語を選んできた結果である。確かに中国語も韓国語も日本語と似通ったところはあるが、しかし、簡単にマスターできるほど甘くはないことを痛感している。

 

以前、中国語の先生と日本語で話していた時、中国語の先生が話したことが忘れられない。その先生は、日本語も堪能であるが、中国の大学で英語を勉強したようで英語も堪能であった。私が中国語の先生に、先生は何カ国語も話すことができていいですねと話したら、その先生は、語学をマスターすると自分がわからなくなることがありますと言って次のように語っていた。

「私は、英語で話しているとき、私はどこの国の人間なのだろうと思う時があります。わたしは、英語で話していたら、英国人になったような感じになる。発想が英語的で、中国人ではないような感じになる。私は一体誰?というような感じになる。自分で自分がわからなくなる」という話をされたので驚いた。あなたはそういう体験はないですかと聞かれて、「全くそういう体験はありません。してみたいです」と答えた。

 語学を学ぶということは単にその言葉を覚えて使えるようになるだけでなく、その言葉を理解して身につけていく過程でその言葉の真髄に触れるようなところがあるのかな?その言葉の発想とか思考の方法などの違いがあるのかな?と想像する。中国語の先生の話では二重人格みたいな、自己喪失みたいな本当の自分がわからなくなるという苦しさを感じる話であった。今の私には想像しても想像できないレベルの話でよく掴めない内容であったが、言葉をマスターするということはそういう一面もあるのかなということを知って驚いた。そして、先生の話を聞きながら、いつの日か私も先生と同じような境地になるくらい、外国語を深くマスターしてみたいと思った。

 あれから年月を重ねてきたが、私の語学挑戦は英語も、中国語も、韓国語もどれも遥かにレベルが低いから、自己喪失の不安もないし、二重人格に陥る危険もない。そして、これから先、どんなに語学のマスターに取り組んでも中国語の先生の領域に達することはないと確信する。しかし、無理と分かっていても、無い物ねだりの話だと分かっていても、どの言葉でもいいから、瞬間的でもいいから、自己喪失するような中国語の先生のレベルまで到達してみたいと今も夢想する。