ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

戦争反対は平和ボケですか?

 産経新聞は1月29日朝刊で、日本政府が、中国の南西諸島侵攻を想定し、沖縄の離島住民の避難方法を検証する図上訓練を3月に初めて実施する方針を固めたと報じた。同紙によると、政府と沖縄県、与那国、石垣、宮古島など離島の5市町村が参加して、連絡態勢や民間の航空機、船舶を活用した迅速な避難を試すという。「台湾有事」からの波及を含む南西諸島侵攻が懸念されるなか、政府は今後、実際に住民を避難させる実動訓練につなげたい考えだという記事が掲載された。その記事を受けて、ジャーナリストを名乗る葛城奈海氏という方が次のような投稿をした
「備えを怠れば国土も国民も蹂躙される。沖縄での実動訓練めぐり『倒錯した思考』はなぜか。日本人はなぜこれまで『平和ボケ』してしまったのか。仮に、この実動訓練が実現したならば、『ようやく日本もここまで来たか』の感が深い。何せ日本は、訓練をすることが、あたかも実戦を招いてしまうかのような『倒錯した思考』に長く縛られてきた。訓練をしようがしまいが、ある日突然、戦いの火蓋は切られる。昨年の2月24日、大多数の識者の予想に反して、ロシアがウクライナに攻め入ったように。その時、国の命運を分けるのは、『いかに備えていたか』だ。備えなしに攻撃にさらされた場合、人々はどう行動してよいのかが分からない。結果、平和な町は一転、阿鼻叫喚の様相を呈し、パニックに陥った人々の被害は雪だるま式に増えるに違いない。被害を極限するために事前訓練が欠かせないのは、災害も有事もまったく同じなのだ。それにしても、日本人はなぜ、これほどまでに『平和ボケ』してしまったのだろうと述べていた。また、葛城氏によると、日本人の平和ボケは,日本を弱体化するためにGHQ(連合国軍総司令官総司令部)が行なった洗脳工作と戦後の教育が原因であり、平和ボケのルーツはそこにあると語っていた。日本人の『平和ボケ』の頭では『軍』や『戦』は、すなわち『悪』である。あたかも、そんなものを肯定するから戦争が起きるかのような錯覚を、日本人は起こしてしまった。しかし、もういい加減、目覚めなければならない。現実世界では、備えを怠れば、国土も国民も蹂躙(じゅうりん)されるのだ。図上訓練に続く、実動訓練の実現を、願ってやまないと結ばれていた。

 葛城氏は、日本人は平和ボケだから、避難計画を戦争に結びつけて騒ぎすぎると言っている。日本政府が、台湾有事からの波及で中国の南西諸島侵攻を想定し、沖縄の離島住民の避難方法を検証したり、実際に住民を避難させる実動訓練を行うことは当然なことであると語っている。また、葛城氏は戦争準備を怠れば国土も国民も蹂躙されると言っているので、当然、葛城氏は軍拡や敵基地攻撃能力の保持などについて賛成なのだろう。

 私は、葛城氏の戦争反対者は平和ボケという投稿文を読んでとても違和感を覚えた。私は、為政者のするべき仕事は大きく二つあると思う。一つは国民を飢えさせないこと。一つは戦争をしないことである。国民に選ばれた為政者はこの二つのことを特に全力で取り組む必要がある。特に、戦争しないことに失敗すると、即国民を飢えさせることに繋がるので、戦争しないことは絶対である。葛城氏は戦争に関わる避難計画について反対を叫ぶ、最近の国民の声を「平和ボケ」と呼んでいるが、果たしてそうだろうか。
 今年は戦後78年目にあたるが、これまで戦後77年間、日本人は戦争で1人も死ぬことなく、また他国民を戦争で1人も殺すことなくやってきた。しかし、昨年、岸田政権は防衛費を5年間で43兆円という従来のGDP(国内総生産)1%から2%への増額を打ち出した。さらに日本の平和外交の柱である「専守防衛」を投げ捨て、敵基地攻撃能力の保有に踏み出した。これは憲法違反であり、予算委員会においても追及されているが説明になっていない。また、台湾有事に関して、日本への攻撃がなくても米国が戦争を始めたら、集団的自衛権の発動で自衛隊は米軍と融合して敵基地を攻撃する。その結果は相手国の報復攻撃による日本国内の焦土化が想定されていることなどが明らかになっている。このような戦争危機は過去77年間あっただろうか?全くなかったわけではない。これまでも米国から米国の戦争に軍隊を出せと強要されたこともあったが、時の政権は、日本国憲法を盾に断固として拒否したこともあった。しかし、いつのまにか戦争に巻き込まれる事態になっている。これほどまで深刻な状態は過去77年間なかった。どうしてこのような戦争事態が起きるのか納得できる説明がなされていない。戦争を回避するための外交手段はベストを尽くしたのか説明してもらいたい。戦争への準備のための予算案に賛成してほしいと言う前に、平和への準備に最善を尽くしたのかを語ってもらいたい。平和を絶対諦めないという姿勢を示してもらいたい。戦争に向かおうとする流れを目前にして、戦争反対の声を上げることを平和ボケと呼ばれるのなら、平和ボケでもかまわない。願わくはウクライナの二の舞にならんことを祈るばかりである