ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

宮台真司氏の番組を見る その2

 社会学者・宮台真司さんの番組を見て、現代人は感情が劣化し、いわゆるクズ化していると話しているのを聞いた。人間のクズ化とは、宮台さんの言葉を借りると、言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシンになることだという。「言葉の自動機械」とは、自分で考えるのではなく、コンピューターでプログラムされたように自動的に動くだけになってしまう人間のことで、そうなると他人との共感もできず、他人との関係を築くことが困難になるという。また、「法の奴隷」とは、法に縛られ、法に触れるか否かだけが問題で法の精神を理解せず、つまり本当に大切なことが分からなくなっている人を差している。そして「損得マシーン」とは、他者との共感ができず、自分の利益を得ることしか考えない人、また自分の立場や地位が少しでも高くなることのみを考え、自分より高い立場の人を忖度する人を言うようだ。現代は、資本主義の発展によってこのようなクズ人間が増えていくような社会システムになっていると宮台氏は語っていた。

 同時に、社会システムによってそのようにならざるを得なかったとも言っていた。その意味は、我々は今、資本主義と民主主義という二つのベーシックな方法論のなかにいる。この二つはどちらも、人が人を気にしたり、思いやったり、共感したりする存在でいて初めて機能化するものであったが、資本主義が進んでいくと、人間の心や感情が力を及ばさないようなシステムになっていった。つまり、資本にとって都合の良い社会システムっていうのは、どんどんどんどん人間を非人間的にしていくことであった。そして、資本主義が広がった状態では、人々は資本主義に乗らなければ食えなくなるので、人々はもはやその資本主義的に振る舞うしかない状態になっていった。感情も大事、思いやりも大事、しかし、今それを言っていたら競争に負ける。食えなくなるということで人間的価値観を欠いた単に損得で右往左往する人が拡大生産されていった。

 そういう社会の中で、他人との結びつきや接触が希薄になる中で、さらにスマホ社会の実現によって“同じ世界を生きる”という感覚も失われていった。例えば、携帯が広まる前の時代、みんな前を向いて歩いていた。お互いが前を向いて歩くので“同じ世界を生きる”実感があった。時には、目が合ってそこから二人の世界が始まることさえあった。しかし、スマホ世代以降、どこでも、みんなスマホに目をやり下を向いて歩いている。グループでレストランに行っても各自が下を向いてスマホを見ている。一人一人が個々の世界で生きていて、同じ世界を生きていない。これが現代社会である。

ある調査では、大学生に友達がいるというのは100人に1人という結果が出た。もちろん、友達がいると答える大学生は多いのだけど、詳しく聞くと、悩みは話しませんという友達だったりする。それは友達ではなく知り合いでしかない。知り合いはいるけど悩みを話せる友達はいないし、また、悩みを聞いたら一肌脱ぐという親友みたいな友達はもっといない。友達も親友も“同じ世界に生きる人”である。“同じ世界に生きる人”を身近に持たない人が恋人を作れるかという疑問がわく。

 ある男あるいはある女が誰かと取り合うという恋愛問題は所有権争いではない。単純にどっちが相手を幸せにできるかという競争である。男でも女でも誰かを取り合うということは、相手に自分の愛をギフトし、相手に受け取ってもらうことである。愛する力と幸せにする力というのはほとんどイコールである。ある男もしくはある女が人を取り合うというのは、その人をより幸せにするということである。それは交換しか体験のない他人と共感できない人には簡単な課題ではないようだ。

現在、若い男が恋愛から逃避する傾向が現れている。男たちは恋愛をビジネスマインドで語る。“女はコストパフォーマンス悪いわ”とか、“予測不可能という観点からリスクマネジメントできないわ”などといって恋愛から逃亡し、恋愛について語っている。“リスクマネジメントできないことをするってまずくないですか”と言う男は本当に馬鹿だし、クズだと思うと宮台氏は言う。
恋愛っていうのは、そういうビジネスマインドで動く社会の外に出るためのもので、人間性回復のチャンスなのに、恋愛にビジネスマインド持ち込んだら、そりゃ風俗の方がいいだろう、ダッチワイフの方がいいだろうとなる。その辺の劣化が男の方が圧倒的に激しい現実があるようだ。

「しかし、そういう男の子たちこそ、“閉ざされから開かれへ”進んでもらいたい。言葉に閉ざされる、法に閉ざされる、損得に閉ざされる人より、全てに開かれた人が人間的に良いに決まっている。その開かれた人を目指していくべきだ。そのために恋愛に失敗しても、なお恋愛に挑戦してもらいたい。ダメさを自覚して改善して開かれた自分を目指してもらいたいと思う」と宮台氏は語っている。また、親に対して、「子供に、勝ち組になれなんて言うべきではない。勝ち組になれと言うことが、AIよりも劣るようなクズを育てることに繋がっている。教育方針を変えてください。他人を人を幸せにできる奴になれと言ってください。他人にギフトができる人間に育てることが大切です。」と語っていた。

若い人の実態を知らない身としては大変参考になる話であった。若者にはぜひ、宮台さんが言う「閉ざされから開かれへ」の道を歩んでもらいたいと念願したい。