ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「戦争をする国づくりを止める」を見る

 「第七回 安保政策大転換 戦争する国づくりを止める」というテーマのオンラインシンポジユウムを見た。このシンポジユウムは「安全保障関連法に反対する学者の会」が行ったものである。今回は5名の方の基調報告がまずなされ、その後パネルディスカッションが行われた。基調報告においては、それぞれの方が様々な観点から岸田首相が行っている戦争する国づくりがいかに多くの問題を内包しているかを語っていた。

 例えば、同志社大学准教授の三牧聖子氏は、「危機の言説を吟味するー日本をとりまく安全保障環境を考える」というテーマで以下のように基調報告をされていた。

 岸田首相は今回決定された43兆円という防衛費増額について「防衛費増額は対米公約ではないし、数字ありきでもない。何よりも日本による主体的な選択である」と繰り返し言っているが、昨年5月のバイデン大統領の訪日時に相当の防衛費の増額が語られていたし、そして12月に突如43兆円が出てきて、1月に訪米してバイデン大統領に防衛費の増額と、安全保障政策の転換を報告し賛同を得られたと語っていたことからすると、国民の頭越しに、日米当局が決定したことであり、日本が主体的な選択をしたとは思えないと判断する国民が多い。このことは民主主義国家としての決定のあり方として大いに疑問がある。

 決定のプロセスだけでなく、中身である防衛増税については多くの国民が反対の声をあげている中、例えば麻生副総裁は1月9日の講演で「防衛増税は国民の理解を得た」「岸田首相は、安倍晋三元首相が夢にまで見た数字をさっと決定した。頼りないと言われたが、日本は世界の中で地位を高めつつある」と語っていて、国民的議論を経ず、さっと決定したことを賞賛している。民主主義国家にもかかわらず、国会で議論されることもなく、安全保障政策の大転換が行われたことは賞賛すべきことではなく、重大な背信行為である。

 安全保障政策では中国の国防費が問題として挙げられていた。その中国の国防費は日本の6倍にも及ぶということが強調されている。確かに、各国の年間国防費はアメリカ7410億ドル、中国は3470億ドル、日本535億ドルである。しかし、日本を圧倒するようになった中国の国防費はなぜ生まれたかというと、中国経済が成長したからである。国防費の裏付けは経済力である。中国の国防費は経済力からすると不相応に伸びているわけではない。相応に伸びているだけである。反面、日本は20年間成長が止まり、経済力が低下している。経済力が圧倒的に劣る日本が軍事力だけ背伸びして対抗することが可能なのか、合理的な判断なのか考える必要がある。

 現在日本では安全保障に関連して危機という言葉が度々使われているが、そこで語られる危機は軍事的危機だけである。しかし、国民生活においては様々な危機が現実に存在する。内閣が発表した全世代型社会保障構築会議報告書においても、少子化は国の存亡に関わる危機と位置付け、早急に手を打たないと手遅れになると言われているが、少子化については防衛費の増額のようにスピーディーに対応はできていない。また、有事の際に、国民の命を守るために食糧、エネルギーについてどうするのかという議論は聞こえてこない。政権の危機に対する議論は軍備、装備をどうするかという話だけで、国民一人一人の命を守るという議論がなされていない。安全保障をめぐる議論はますます国家中心になり、肝心の国民の危機が置き去りになっている。

 台湾有事についてはシュミレーションが作られている。どのシュミレーションもかなりの犠牲がでるが、日米が軍事協力すれば、中国の台湾侵攻を防ぐことはできる。それゆえに、日米はますます軍事的に一体化して緊密に協力できる体制を築かねばならないと提言されている。その一方で、このシュミレーションで語られていないことは犠牲の内容である。かなりの犠牲という言葉が使われているが、このシュミレーションにおいては住民の犠牲などは一切考慮されていない。台湾有事は日本が戦場になることでシュミレーションされている。国家が安全保障の前面に出てきているが、人々が受ける影響、犠牲について触れることなく安全保障が追求されていることは重大な問題である。また、現在の国際状況は、厳しい安全保障環境と表現しているが、日本も国際環境を構成する1プレイヤーである。厳しい安全保障環境について、日本が軍拡の手段をとり続けることが国際的安全保障環境に負の影響を与えることも考えるべきではないか

 覇権争いから、米中対立は深まると言われている。その両国は、昨年11月の米中首脳会談において台湾問題などについて見解の相違が存在することを認めた上で、だからこそ対話で対立を管理するという一致点を見出している。また、今年2月の偵察気球問題では緊張が一気に高まったが、ミュンヘンで両国外相が非公式会談を行い、開かれた対話ルートの維持が重要ということを確認している。対立の中でも、両国は対立の危機をコントロールするための取り組みを行っている。中国の隣人である日本こそ、中国との危機の緩和に向けて取り組む必要があるのではないか。軍事増強のみでは対立を険しくするばかりである。


 米国内では新しい動きが起こっている。それは米国民の米国軍事覇権主義への懐疑・批判である。アメリカは軍事覇権主義を維持するために巨大な軍事費を使い、国民生活がずっと犠牲にされてきた。その反動で、米国では軍事費を削減して国民生活を立て直すべきという動きが起きている。日本にはこうした米国社会の動きを内向きとして批判的に見る人も多い。つまり、日本の安全はアメリカの軍事介入がないと成り立たないと考えているからである。本当に、日米軍事一体化の先にしか日本の安全はないのだろうか?むしろ、そうではない安全保障環境を目指していくべきではないかと思う。

日本ではウクライナ戦争に関して、日本は法律の制限があり戦車の提供ができないが、法律を変えて戦車などの軍事支援ができる国にすべきだという意見が自民党内から出されている。しかし、NHKが今年2月にウクライナの調査機関と共同で実施した「日本に何を求めるか」というウクライナ市民へのアンケート結果で一番多い要望は「復興支援」であった。日本の長い民生支援・人道支援の伝統をもとに、日本に復興支援を期待している声が多くあった。戦車を提供するなどの軍事的支援を行うべきという意見が日本にあるが、現地の人はそんなことを日本に期待していない」

三牧氏の報告は、日本政府が言う危機、安全保障が軍事面にのみ焦点を当てたものであることがよくわかった。危機への対処も軍事力での対処しか考えていない非常に偏狭な考え方によるものであることがよくわかった。また、アメリカ国内の動きは、アメリカの軍事介入に頼るしか生きられない日本という姿を見直す好機であると思う。世界には百数十か国があるが、それぞれがそれぞれの経済力による軍事力で独立を維持しているのだから日本だってできないはずがない。これを好機として真の独立国を目指すべきである。