ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

作家、音楽家の死と社会運動

長崎新聞の評論欄に、社会活動家でルポライターの鎌田彗氏による「作家、音楽家の死と社会運動 原発推進を痛烈に批判」というタイトルの反原発の評論が掲載された。このタイトルにある作家は大江健三郎氏のことであり、音楽家坂本龍一氏のことである。これは反原発運動の先頭に立って行動されてきた大江健三郎氏と坂本龍一氏おふたりへの追悼文であった。
鎌田氏の評論を要約する
 「大江健三郎さんと坂本龍一さんのおふたりは日本を代表する作家であり、音楽家である。またおふたりは、原発に対する痛烈な批判者であり、反原発運動家でもあった。残念なことに、大江さんは今年3月上旬、坂本さんは今年3月下旬お亡くなりになった。偉大な個性が同じ月に相前後して世を去ったのは、惜しみても余りある。おふたりは「さよなら原発、1000万署名 市民の会 」の呼びかけ人として集会に参加し、原発政策とそれを進める政治家たちへの批判を加えていた。

 おふたりが同じ 『さよなら原発 』集会の壇上に立って発言したのは、東京電力福島第一原発の過酷な爆発事故が発生した 2011年3月からほぼ1年半後の2012年7月、東京 代々木公園での集会だった。この日、代々木公園に集まったのは17万人で、60年安保反対闘争以来の大集会となり舞台は2つ、 パレードは 3コースに分かれて行われた。

 大江さんと私はその集会の少し前、首相官邸に出かけて、当時の 藤村修官房長官に750万筆の署名を手渡したのだが、そのあとすぐに、大飯原発(福井県)の再稼働が決定された。大江さんは怒りを込めて語り、中野茂治の小説 『春先の風』にある、女主人公の『私らは侮辱の中に生きています』との言葉を引用して演説を行った。
 大江さんの最後の小説『晩年様式集』ではご自身の発言をこう書いている。『私らは侮辱の中に生きています。今、まさにその思いを抱いて、私らはここに集まっています。私ら十数万人は、このまま侮辱の中に生きてゆくのか?あるいは もっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱の中で殺されるのか?そういう体制はうち 破らねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きていけるはずです。そのことを、私は今 皆さんを前にして心から信じます。しっかり、やり続けましょう』大江さんはデモの先頭に立って歩いたばかりでなく 日本外国特派協会での記者会見 などにも何回か付き合ってくださった。

 坂本さんは代々木公園の集会に 『No Nukes 』(原発ノー)とプリントされた T シャツを着て現れた。42年前 、18歳のとき、70年安保反対集会に参加して以来、と懐かしそうに語ったあと、『たかが電気のために 何で命を危険にさらさなければならないのか。子供の未来を危険にさらすべきではない。福島のあとに沈黙しているのは野蛮だ』と言い切った

 私は福島原発事故の1年前に、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場 反対の集会で坂本さんにお会いしていた。事故後は若いロックグループなどに呼びかけた コンサートを主催して、ご自分で運動を作っていた。反原発の『すじがね入り』の運動家だった。『さよなら原発』の署名は 880万 筆を達成し、その後も反原発の運動をつづけている。それでも、岸田政権は原発推進の道を押しつけている。人間を侮辱する、倫理ゼロの政策、いのちを無視する野蛮。原発の終わりはちかい。」と結ばれていた。

この評論を読みながら、改めておふたりの声を思い出した。大江健三郎の「このまま侮辱の中に生きてゆくのか?」という声と、坂本龍一さんの「日本は民主主義国家なのか原発帝国なのか?」という声である。侮辱されたまま生きるのも、原発帝国で生きるのも人智・文明が開かれていない未開の地で生きる野蛮人と同じである。野蛮人ではなく、文明社会に生きる自覚があれば、原発を止めなければならない。大江健三郎さん、坂本龍一さんに共感し、あとに残されたものとして、断固とした決意で反原発を訴え続けねばと思った。