ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

能登半島地震と珠洲原発

 先日の羽鳥慎一モーニングショーでは能登半島地震原発が話題になった。その中で、今回の能登半島地震震源地に近く甚大な被害を出した珠洲市では、かつて原発建設の話があり、もし、この珠洲市原発が計画通り建設されていたら、その被害は能登半島だけでなく、東日本壊滅になろうとした福島原発を上回る大惨事になっていたのではないかということであった。

 珠洲市原発が建設され、そして稼働中であったなら、福島原発が東日本壊滅の危機に瀕したように、間違いなく甚大な被害がもたらされていただろう。今回の能登半島地震によって、多くの尊い人命と莫大な物的損害を被ったが、もし、珠洲原発が存在していたのであれば、想像を絶するほどの人命の喪失や物的損害を被っていただろう。日本の本州の大部分に人が住めない事態になっていたかもしれないことを思うと、その恐怖に寒気さえ覚える。珠洲原発は計画されたが、計画が実行されなかったのは、住民による原発反対運動によって阻止されたということを知って、原発に反対した方に心から感謝申し上げたいと思った。

 珠洲市原発反対運動について書かれた資料をネットで拝見した。
 珠洲市原発反対運動は28年間に及ぶものであった。当初、珠洲市の多くの市民は原発反対派であった。珠洲市能登半島の先端に位置する過疎の町である。その過疎の町に、原発を誘致すると町が豊かになりますよ。原発を推進するとさまざまな施設ができますよ。財政が豊かになりますよ。原発に不安がある方は研修旅行を受けましょうなどと豪華な旅行が提供された。住民の原発反対運動を籠絡するために猛烈な切り崩しが行われていった。そして、小さな市が反対派と賛成派に分かれて、28年間原発を焦点に対決し続けることとなった。そして、選挙のたびに反対派賛成派両陣営がそれぞれの首長を担いで、熾烈な選挙戦を戦ってきた。そして、その対決は不正選挙にまで及んだ。
 原発推進派市長と反対派市長の選挙戦は毎回激しく行われてきたが、1993年4月の市長選は,僅差の戦いが予想され選挙戦は熾烈を極めた。そして開票の結果は,反対派候補が8241票,推進派候補が9199票であった。しかし,開票後,投票総数が投票者数より16票多いことが判明し,不正・違法選挙であったことが明らかになった。原発推進派陣営は,珠洲市選管と一体になり,推進派への大量増票操作を行い,帳尻合わせに失敗した,というのが大方の見方だった。
 不正な開票作業を目の当たりにした市民は大いに怒り,反原発派の市民は「不正選挙を糾明する会」を結成し,1993年4月28日に市選管に「選挙無効」の異議申し立てをしたが5月28日に却下された。6月16日,県選管に申し立てを行ったが,これも11月30日に棄却された。
 1993年12月24日,市民約2200人が選挙無効を訴えた審査請求を棄却した県選管を相手に,裁決の取り消しと選挙無効を求める訴訟を,名古屋高裁金沢支部に起こした。1994年2月16日から第1回公判が始まり,そして,1995年12月11日の第14回公判で,「選挙無効」という歴史的な勝利判決が下った。
 この訴訟に,県選管は最高裁に上告した。しかし,1996年5月31日,最高裁は「選挙の手続き全般にわたって厳正かつ公正に行われたかどうかについて、疑いを抱かざるを得ない」と述べ,「珠洲市長選挙を無効」とした名古屋高裁金沢支部判決を支持し,県選管の上告を棄却した。高裁に次ぐ最高裁の勝訴で,反原発派の市民は歓喜した。
これにより,選挙の無効が確定し,同時に原発推進派「市長」の当選が無効となり失職した。

 最高裁の判決を受けて、やり直し選挙が行われることになった。前回同様、推進派と反対派に分かれて選挙が行なわれた結果、原発を争点から外し対話路線を掲げた推進派候補者が当選した。しかし、投票の翌日、警察は、市長職務代理者の珠洲市助役が、市職員に推進派候補者への支援を求める演説をし,前回同様市役所ぐるみの選挙を企てたことによる公職選挙法違反(事前運動・公務員の地位利用)で逮捕した。助役は辞任し、有罪が確定した。このように,やり直し市長選挙原発の利権にありつこうとする人たちによって,不正選挙が繰り返され,恥の上塗りが行われた。原発推進のためなら不正選挙さえもやる。原発利権に毒された珠洲市は、選挙さえもまともに行えない市になってしまった。
そのような中においても、原発反対派は地道に戦い続け、2003年(平成15年)12月5日,関西・中部・北陸電力の3社長が珠洲市役所を訪れ,「珠洲原発の凍結」を申し入れ、ここに,28年間に及んだ珠洲原発計画は撤退した。

 反対運動に参加された方の声が記されていた。「反対運動の余力は残っていなかった。あと一年この戦いが続いていたら推進派に負けたかもしれない。長い苦しい戦いであった」と書かれていた。
 珠洲原発の基本調査では、珠洲原発近辺の地盤は原発建設に適地という評価のもとに進められてきたものである。現在の科学で、原発立地にふさわしい土地と太鼓判を押された場所のすぐ下が、震源地であったというのであれば、日本には原発を稼働させる適当な場所はないということと同じである。珠洲市の反原発の市民の方が最後の力を振り絞りながら、適地という妄言にも惑わされず反原発を貫いたことで、なんとか今回は救われたが、本当に感謝したいと思う。地震列島日本では原発など稼働すべきではないということが明確になった今、即原発停止、即原発廃止へ急がなければと改めて思う。